【71.例えばタカハシさんと僕のお話】

 放課後、僕は図書室で課題を終わらせた後、帰路につこうとしていた。
 みんなと一時間も下校時刻がずれると、廊下ですれ違う人がほとんどいない。生徒たちは部活へと向かったか、家に帰ったか。それ以外の行動をとっている人間が稀有な存在になる。職員室にいる先生たちの気配がするだけで、喧しい生徒達の声は外からしか聞こえてこない。
 誰一人として出会わないまま玄関までやってくる。靴に履き替えて外に出ると、夏の日の長さに慣れていた僕には、驚くほど早く日は落ちていて薄暗くなっていた。夕方独特の侘しさを持った冷涼な風が、僕の足元を通り抜けていく。
 昇降口から漏れる光に照らされて、一人の少女が壁に寄りかかり、僕を睨みつけていた。
 タカハシトモカさんだった。
 長い髪を掻き揚げ、鋭い眼光を僕に向けている。
「貴様がハセガワか」
 なぜこんなところにと、そんな疑問を抱く時間すら許さない威圧的な言葉が飛んできた。僕は驚き、小さく首を縦に振る。
「カタヤマと言う蛆虫が張り付いていて邪魔だ。そのカタヤマは貴様が扇動しているらしいな。しかもこれまで私のことを探っていたのも解っている」
 初対面で初会話、それが詰問口調なんて滅多に味わえない斬新な体験だ。
「止めてくれないか? 至極迷惑をこうむっている。人権を疎かにするほどそちらも阿呆ではないだろう? そちらが否と答えるなら、こちらも実力行使にうったえることになるが」
 僕はタカハシさんを見据えながら、じっと考えた。ここでの受け答え次第で、タカハシさんは二度と僕やカタヤマへ接触することはなく、関心を持つこともなく、こちらから近付くのも厳しくなる。
 しかし、カタヤマの行為で相手が嫌がっているなら、僕はカタヤマを止めるのが仕事だ。僕が詮索したことで相手が傷つくなら、僕はそれ以上の深入りはしない。相手の気持ちを汲み取ってこその、恋の仲介人だ。
 けれどどうして、今回だけは引いてはいけない気がした。
「じゃあさ、一回ここで笑ってくれたらカタヤマのことを止めてあげるよ」
 僕はさも当然のように言い切った。タカハシさんの炯炯たる眼も緩み、訝しげな表情になった。
「貴様何を言っている?」
「だから、タカハシさんがここで笑顔を見せてくれたら事を済ませてあげるよ」
「なんでそんなことをしなくてはならない?」
「タカハシさんの笑顔って絶対可愛いと思うんだけど、僕も周りの人も今まで見たことないから、見てみたいと思って」
「バ、バカをいうな!」
「まあ、笑ってくれないならこっちも厳しいかな。笑顔を見せる気になったら僕のところ来てね。それじゃあ、またね」
 僕は足早にその場を後にする。タカハシさんが後ろから罵声を浴びせていた気がしたが、僕は気にせずに歩を進めた。
 なんだか愉快なことになってきたと思っている僕は、恐らく性格が悪いと思う。


【72.例えばコンドウさんと僕のお話5】

「ハセガワくんって、他のクラスの人とかの名前知ってたりする?」
 梅雨入り前くらいだろうか。休み時間に、コンドウさんが話しかけてきた。
「まだほとんど知らないよ。よっぽど目立ってる人とかならともかく、二ヶ月程度じゃちょっと辛いかな」
 今年中には学年全員の情報を網羅してみたいのだけど、中学と違い人数が多いから難しいかもしれない。
「そっか……それじゃあ、イデメグミって女子は知ってる?」
「イデさん? イデさんなら知ってるよ。いろいろと噂が絶えない女子だからね」
「噂?」
「そう。あんまり良くない噂。いわゆる不良ってことで、笑っちゃうくらいステレオタイプな噂が流れてるんだ」
「ステレオ……? ええと、その悪い噂ってのは、本当のことなの?」
「調べたけど、ほとんど嘘だったかな。唯一正しかったのは、男ととっかえひっかえ付き合ってて節操なさそうだということ。それでも周期が短い程度だったけど、他は根も葉もない噂だったよ」
 噂はエグいものだ。それが虚偽でも真実でも、構わず本当のこととして周囲に広がり、渦中の人物を傷つけるのだ。自分勝手で無責任、噂なんて最も下らない情報の一つだと思っている。
「ところで、なんでコンドウさんがイデさんのことを知ってるの?」
「ちょっと話す機会があったんだ。だからどんな人かなと思って」
 コンドウさんとイデさんは、クラスも違うし、何となくだけど行動パターンの相違も大きい気がする。接点が見受けられないのだけど、どこで知り合いどんな話をしたのだろうか。少しだけ驚きである。
「僕がわかるのは噂が嘘ってくらいで、イデさんがどんな人かは解らないけど、恐らく悪い人じゃないと思うよ」
「私もそう思った。ハセガワくんと同じ印象だったし、きっと友達になれたら楽しいよね」
 傍から見たら容姿も性格もまったく違う二人だけれど、うまく行く気がする。
 コンドウさんの、不安なんてない真っ直ぐな瞳を見ていたら、誰でもそう感じると思うのだ。


【73.例えばヤマさんとラーのお話】

 ミサキがケチャラー、イデさんがマヨラー、ヤマさんがショウユラー、僕がソルトラー、友人がソースラー、モチダがペッパラーだと言うことで解決したけれど、一人だけラー付けが難しい人がいた。ササキくんである。
 ササキくんは何もかけないタイプなので、どんな単語にラーをつけていいのか解らないのだ。
 悩んでも思い浮かばなかったため、僕はヤマさんに相談することにした。
「そうだったわね。シンゴは寿司すら何もつけないのよ。そうめんもそのまま食べてたときは目を疑ったわね」
「ずいぶん徹底してるね……。それはまたどうして?」
「素材の味を殺すから、調味料はあまり好きじゃないとか言ってたわね。別に嫌いって訳じゃなく、わざわざ追加したいとは思えないそうよ。私から言わせれば、適度の調味料はむしろ素材の味を引き立てると思うんだけど」
 僕もそう思う。ミサキやイデさんやモチダみたいなのは例外として。
「で、シンゴにどんなラーの称号を与えるかよね」
「うん。僕たち全員にラーがついてるんだから、ササキくんにもつけないとね」
 ラーをつけなくてもいいじゃないか、そんな考えは最初から無視である。
「素材をそのまま、何もかけないで食べるを単語にすると何がいいかしら? 何もないからノー、ノン……ダメね。ラーをつけても面白い単語じゃ無いわ。じゃあシンプルでシンプラーとか……もうちょっとって感じね」
「そのまま、手を加えないまま、自然のまま……何かあるかな」
「自然のまま、自然はナチュラル。ナチュラー……これいいんじゃないかしら? バカっぽくて」
「確かにナチュラーは何かバカっぽいね。ダサいのに気どった感じがさらに面白い。ササキくんが『俺、ナチュラーなんだ』とか言ったら僕笑っちゃうかも」
「それいいわね! 想像しただけで笑っちゃいそう。これからシンゴは、ササキ・N・シンゴに改名ね」
 なぜかツボにはまり、思わず吹き出してしまう。
「そんな命名したら名前見るたびに笑っちゃう」
「私今だったら顔見ただけで笑っちゃうわ」
 この後も二人でナチュラーササキについて語り合い、存分に笑いあったのである。

 ササキくんにもラーの称号を与える事はできたけど、しばらくはササキくんの顔をまともに見られなくなったことを追記しておく。


【74.例えばコンドウさんと僕のお話6】

 ヤマさんとコンドウさんは親友だ。同じ中学で同じ高校で、クラスは違うけれど会えば楽しそうに会話をしている。
 そう言えば、ヤマさんはこの高校に入れる成績だったけれど、コンドウさんはヤマさんよりだいぶ下の成績だったはず。二人一緒の高校に入るためにコンドウさんは相当の努力をしたのだろう。
 休み時間、ヤマさんがうちのクラスにやってきた。数Iの教科書を忘れたので借りに来たのだという。
「ミサキ、確か今日ここのクラス数Tあったわよね? 教科書忘れちゃったから貸してくれないかしら?」
「うんあるよ。ちょっと待って」
 鞄の中を覗いて教科書を探し始めるコンドウさんだが「あれ?」と声を上げた。
「……私も忘れてる」
「そうなの? じゃあどうしようかしら。まだ他のクラスにあまり知り合いいないのよね」
 ふと、僕とヤマさんの目が合った。僕もヤマさんと中学からの知り合いで、仲が良かったと同時に、頼もしい情報源の一人でもあった。
 じゃあ僕が教科書を貸そうかと声を出そうとした時、
「あ、そうだ」
 コンドウさんがぐりんとこちらに顔を向けた。
「ハセガワくんは持ってるよね?」
「う、うん、持ってるよ」
 僕は鞄から教科書を取り出して、ヤマさんに渡してあげた。
「ありがとう。しかし、ミサキチ、ハセガワと結構話すようになったの?」
 僕とコンドウさんは中学の頃ほとんど話したことがない。それなのに今、コンドウさんが僕に普通に話しかけたことが不思議だったのだろう。
「ハセガワくんと席が隣になってから、それなりに。ね?」
「うん」
「ふーん。まあハセガワ、教科書ありがとうね」
「私も誰かから借りてこないと」
「ミサキはハセガワに見せてもらえばいいじゃない」
「え、それは悪いよ。次の次の授業だからまだ時間あるし……」
「別にいいじゃない。いいわよね、ハセガワ?」
「まあ僕は別にいいけど」
「ほら、ハセガワもそう言ってるし、計画通りでよかったじゃない」
「けい……? そ、そんなわけないよ! リサのバカ!」
「はいはい。それじゃ、終わったらすぐに返しに来るわね」
 ヤマさんは満足そうな笑みを浮かべて教室を出て行った。教科書を借りただけなのに不気味である。
「コンドウさん、計画って何?」
 ヤマさんの姿が見えなくなった後に疑問点を尋ねたら、コンドウさんは慌てたように「なんでもないから、リサが適当に言っただけだから」と言うだけで、結局計画については教えてくれなかった。
 教科書を見せてあげた数Iの授業中の挙動もおかしかったし、計画って何だったんだろう?


【75.例えばササキくんとマニキュアのお話】

 休み時間、ササキくんは机に突っ伏してぐったりしていた。
 新作のゲームが出た次の日はぐったりしていることが多いけど、別に昨日は新作ゲームがあったわけでもなさそうだし、どうしたのだろうか。
「昨日な、リサに化粧を施された」
 突っ伏しながら、ササキくんが答えた。
「ヤマさんがササキくんに?」
「そう。なんか新しい化粧品が出たからって、なぜか俺で試し始めたんだ。そうしたらだんだん悪乗りし始めて、危うく女装させられる手前まで行ったんだ。夜遅くまで、ありとあらゆる顔の部位に化粧を施していって、満足したらそれで帰って……。それが深夜で、さらにそれを落とすのに時間がかかって、寝不足だよ」
「それは災難だね」
「ああ、本当に災難さ。リサは『シンゴは素材がいいから』とか言うが、それは普段と会長の姿にギャップがあるからだし、会長の時は爽やかな笑みで騙してるんであって、素材そのものは大したことないのはリサだって解ってるだろうに……」
 ヤマさんへの愚痴と寝不足とで、ササキくんの機嫌がすこぶる悪い。
 ササキくんは自分のことを大したことないと評価したけれど、僕から見ても素材は良い方だと思われる。しかも顔のつくりは中性寄りなので、ヤマさんからすればいじりやすいことこの上ないのだろう。
 ふと、突っ伏しているササキくんの爪の色が、赤、紫、緑に良く解らない色……と、カラフルになっていることに気が付いた。
「ササキくん、爪が……」
 ササキくんはビクッと跳ね起き、目を見開いて自分の爪を凝視した。色とりどりに塗られた爪を隠すように、慌てて拳を握り締める。
「くそ、落とし忘れてたか。初めに見つかったのがハセガワくんでよかった。先生に見つかったら連行ものだな」
「イデさんなら除光液持ってるかもよ」
「後であたってみるけど、どちらにせよ昼まではこのままだな。それまで他の誰かに見つからないようにしないと」
「下手に目立てないね」
「授業中も寝て問題当てられても厄介だから、すべてに集中しないとな。まあそう難しくないだろう。能ある鷹は爪を隠すというくらいだ、人間ができなくてどうするってところだ」
「そうだね。僕もばれないようにサポートするよ」
「ことわざの用法に関してはスルーか……さすがハセガワくんだな」
 ササキくんの言っている意味は解らなかったけれど、今日一日、ササキくんの爪の件はなんとか隠し通すことができた。
 ただ、ノートを取ろうとシャーペンを持つのに苦労している姿を笑いそうになってしまったことは、後で謝っておこうと思う。


【76.例えばコンドウさんと僕のお話7】

 移動教室での授業が終わり、僕はカタヤマと雑談を交わしながらクラスへ戻る。ふと前方を見ると、クラスに入る直前で、コンドウさんが派手に転んでいるのが目に入った。コンドウさんの友達が慌ててコンドウさんを立ち上がらせ、コンドウさん自身は恥かしそうに慌ててクラスに入っていく。
「あれ、足に足を引っ掛けてたよな?」とカタヤマ。
「そうみたいだね」
 コンドウさんが転ぶ理由は、自分の足につまづいて、と言うのが八割をマークする。後の二割は物にけつまづいてと言う普通の理由だけど、頻度が頻度なので普通とは言えない。
「俺さ、コンドウさんが転ぶ姿、一日に一回は見てる気がするんだけどよ、実際どれくらい転んでるか……まさかハセガワ数えてねーよな?」
「さすがに数えてないよ。初めは数えてもみたんだけど、どうせ姿が見えないところで転ばれてもカウントできないと思ってやめちゃった」
「マジ数えてやがった……」
 友人に引かれてしまった。自分自身でもどうかと思うことは多々あるが、人物の特徴を分析したいと思っていると、ついどうでもいいことを調べたり覚えてしまう。
 すべての授業で先生が生徒に当てる平均回数を調べたり、爪を噛む人がいたらその噛む頻度や理由を調べたり、お昼の時間に弁当を食べているのかパンを食べているのかを一々全員チェックしたり、はっきり言って無駄なことをしているとは思う。でもたまに、下らない調査から思いもよらない事実が出てくることもあるのだけれど。
「にしても転びすぎだよなー。途中まで数えてたハセガワとして、何かコンドウさんがよく転ぶ原因とかあったりするのか?」
「いや、別にどこかに問題があるわけじゃないよ。だから転ばないようにするには、足元をよく見るとか、いつも足に意識を向けるとか、そんなことをしていくしかないと思う」
「それは面倒だな。ま、俺らには関係ないことだけど」
「あとは……」
 僕は言いかけて、口をつぐんだ。
「なんだ?」
「あ、いや、なんでもない」
 友人は不思議そうな顔をしたけれど、『誰かがコンドウさんの側にずっといればいい』なんて、なんだか恥かしくて言えなかったのだ。


【77.例えば彼女と風邪っぴき3】

 彼女が風邪をひいたというのでお見舞いに来たけれど、彼女の熱はすでになく、気持ち良さそうに寝ているだけになっている。
 僕は彼女の布団の近くに腰掛け、背中を壁に預ける。ミサキに大事がなくてよかったと、彼女の寝顔を眺めていた。彼女の飼っている猫に餌をあげたし、彼女の顔に落書きもしたし、もうやることはない。
 彼女が寝ぼけていた時にどんなものを見ていたのだろうと考えていたら、餌を食べ終わったのか、猫一匹が部屋にやってきて、僕の膝の上に乗ってくつろぎ始めた。三毛猫の、名前はハナ。この家で初めて飼った猫だそうで、そろそろ十歳になるという。ハナ以外にも彼女の家には十三匹もの猫がいるので、一匹一匹の名前を覚えるのに苦労したものだ。
 ハナをかわぎりに、他の猫もこの部屋にやってくる。彼女の布団の端にちょこんと座ったり、僕の膝でくつろぐハナと軽くじゃれたりしていた。
 微笑ましい光景に気持ちが安らぎ、僕は猫のぬくもりを感じながら、ウトウトして寝てしまった。

 しばらくすると、玄関の扉が開いた音がして、僕ははっと目を覚ました。
「ただいま」
 家に響いた声の主はミサキのお母さんだった。仕事から帰ってきたのだ。時計を見ると七時を回っていた。僕もずいぶん寝ていたようだ。
 挨拶に行かなければと立ち上がろうとしたら、僕の膝が見事なまでに猫に占拠され身動きが取れなくなっていた。
 先ほど十三匹の猫がいると言ったが、その猫がすべて僕の膝の上、もしくはその周辺で寝ているのである。ミサキが起きていたら、彼女は大喜びで写真をとっていることだろう。
 しかも足を動かそうにも感覚がほとんどない事に気が付いた。足がしびれていた。立ち上がろうとすれば必ず転び猫に被害が及ぶ。猫が敷き詰められているせいで手の付き場もない。絶体絶命だった。
 どうしようと困っていたら、ミサキのお母さんが僕らがいる部屋に入ってきた。
「あ、ミサキのお母さん、こんばんは……」
「あら、ハセガワくんこんばんは……」
 ミサキのお母さんは、僕の膝の上の惨状を見るなり思い切り吹きだした。
「うふふ、すごい状態ね。大丈夫?」
「あの、足がしびれてるんで……できれば助けて下さい」
 ミサキのお母さんの救援のもと、僕は猫の樹海から脱出できた。


【78.例えばコンドウさんと僕のお話8】

「ハセガワ、カタヤマはいないのか?」
 一学期も終わりだろうか。放課後、カタヤマと共にバレー部に所属しているモチダが話しかけてきた。クラスが違うモチダだけど、カタヤマを仲介に知り合い、カタヤマのバレー部サボりの件でよく話すようになった。
「ごめん、捕まえられなかった。と言うか、帰りのHRの前には教室出てた気がする」
「まったく仕方がないな。部長がそうとうお冠だと言っといてくれ」
「解った。部活頑張ってね」
「ああ」
 やれやれと首をふり、モチダは教室から出て行った。
「またカタヤマくん?」
 入れ替わりに、コンドウさんが話しかけてきた。
「うん。カタヤマのお守り役を任されちゃってモチダも大変だよね」
「モチダくんは人がいいもんね」
 モチダは一時期、毎日のようにカタヤマを捕縛しに来たことがあったので、コンドウさんもモチダの気苦労を知っているのだ。
「でもさ、僕が思うに、そういうところがいろんな人から信頼されてるところだよね。そういえば、女子からの人気も高かった気がする。最近モチダに関しての質問が増えてきたよ」
「私の周りでもモチダくんっていいよねって話がちらほら……」
「コンドウさんも、モチダみたいな人が好みだったりする?」
 訊いてから、なぜか深く後悔をした。
 今までたくさんの人物に、好みの人物像をたずねてきた。誰がどんな人を好むのかは、恋愛相談を受ける上で最もアドバイスしやすい情報だ。男女構わず、僕はその情報を得るために、些細な仕草を見逃さないように、さり気無い会話を聞き逃さないようにして、時には直接的な言葉をもらってきた。
 今回も会話の流れ上問題のない質問のはずだ。好みか好みじゃないか、たったそれだけの話でなぜ僕はこんなにも緊張しているのだろうか。
「んー、私は……」
 彼女が口を開く。たったコンマ零秒の間が長い。
「そうでもないかな。モチダくんが人気がある理由は解るけど、私はそんなに、かな? きびきびしてる人は、あんまり好みじゃないかも」
「そうなんだ。それにしてもカタヤマもどうにかならないかな?」
 それ以上のことを聞くのは怖くて、とりあえず違う話にシフトさせる。
 コンドウさんの答えを聞いて、どうしてか解らないけれど、ほっとしている自分がいた。

 この僕の中に渦巻いた感情について説明する、あまりにもシンプルな単語に気が付くのは、もう少し後のことになる。


【79.例えばモチダと犬のお話】

 僕の知り合いで、猫好きといえばミサキを越えるものはいないけれど、犬好きといえばモチダになるだろうか。
「ああ、犬は好きだな」
 モチダは言った。
「小さい頃から犬に触れてきたし、今も犬を飼ってるからな。散歩やらしつけやら餌やりやら、世話はほとんど俺が進んでやってるし、派閥で言えば犬派になるんだろう。猫は嫌いではないんだが、こちらにお構いなく動くからどうも相性が悪い。犬と触れ合って遊んでいる方が気持ちが安らぐな」
 モチダはジロウと言う名の犬を飼っている。何度か写真を見せてもらったが、毛の色が白い雑種で柴犬のような体つきをしていた。そのジロウを撫でているモチダの顔が、非常に良い表情だったのが非常に印象に残っている。
 そういえば、イデさんが犬のジロウについて愚痴っていたことがあった。モチダはデートにも犬を連れてくるときがあるのだという。
「どうせ歩き回るデートなんだから、散歩も兼ねて一石二鳥でいいと思うんだが、イデには不評でな」
 イデさんの同意を得ているならともかく、そうでないなら不評なのは当然のような気がする。
 ただ最近は、イデさんもモチダが犬を連れてくることを諦めてると言っていた。犬と一緒にいるユウくんが生き生きしているから、これはあり、と思うようになったのだとか。
「ただし言っておくぞ。俺は犬好きだが、コンドウさんほどではない」
 きっぱり言い切られてしまった。まあ、ミサキの猫好き度合いは滅多に見られないレベルなので、モチダくらいの方が健全でよいと思う。


【80.例えば彼女と風邪っぴき4】

 猫の樹海を脱出したけれど、足がしびれていてミサキの部屋を脱出するまでには至らない。
「緑茶でもいかが?」
 ミサキのお母さんがお茶を淹れてくれるというので、この部屋でいただくことにした。本当はミサキのお母さんと入れ替わりで帰ろうとしたのだけれど。お茶をもらうにしても居間に行きたいのに、動けないのだから情けないことだ。
「いつも看病に来てくれてありがとうね。可愛い一人娘だから本当はいつも側にいてあげたいんだけど、仕事は休めないから」
「いえ。ミサキのお母さんの仕事に比べたら大したことはしてません。土曜日も出勤したり出張も多いって聞いてます」
「前は幼い娘がいるからって断ってたけど、最近は娘を理由に断れないからね。でも仕事が忙しくないとこの家を養っていけないから辛さ半分嬉しさ半分って所ね。こんなに仕事で忙しい私を支えるために、食事以外の家事はこなしてくれるこの子はもちろん、風邪を引いて一人ぼっちのミサキに付き添ってくれているあなたにも、本当に感謝してるのよ」
「そんな、好きでやっていることですから。感謝されることではないです」
「ミサキの熱に浮かされて弱っている姿は可愛いから見に来ているということ?」
「いえ、そういう意味では……えっと、それにミサキはいつでも可愛いですし」
「あら、まさかこんなところで惚気られるとは思わなかった」
「……すみません」
 ミサキのお母さんは口に手を当ててくすくす笑う。
「いいのよ。ところで、今のミサキの容態はどう?」
「もう熱はありません。今はただ寝ているだけだと思います」
「そう。なら安心ね」
 ミサキのお母さんは、自分で入れたお茶をすすった。僕も湯飲みを持ち上げて、それに倣うように渋いお茶をいただく。
 ミサキの家は母子家庭だ。ミサキ小学校低学年のころ、交通事故で父親を亡くしたのだという。
 元より両親は共働きだったため家計で心配する事はなかったが、ミサキは体が強くなかったので、病気の時に面倒を見てくれる人を探すのに苦労をしたのだそうだ。
「そりゃ、投げ出したくなるくらいいっぱい苦労をしたけれど、今は病弱も緩和されて、面倒のかからないくらい大きくなって、立派な彼氏もいて、わが子が幸せなら私は嬉しいのよ」
 ミサキのお母さんはいつもこう言って笑っている。立派な人だと、僕は思う。
 そんなお母さんの期待に応えるために、僕は立派な彼氏にならないといけないと思うのだけど、病み上がりの寝顔にラクガキした彼氏は果たして立派なのだろうかと、心の中で苦笑する。
 彼女の顔に書いた『好き』と言う文字が彼女と彼女のお母さんに見つかったら、二人はどんな反応をするだろうか。

 僕はしばらくミサキのお母さんと雑談をしたあと、ごちそうさまと家を後にした。
 空を見上げた。澄み切った空に星が瞬いている。明日は、彼女の好きな雲ひとつない快晴になりそうだ。


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HR(独り言ルーム)

71.例えばタカハシさんと僕のお話
 タカハシさんのキャラが決定。正直キャラクター設定やりすぎた。
 いろいろと複雑にしていきます。
72.例えばコンドウさんと僕のお話5
 これたととリンク。
 僕は噂が大嫌いです。嫌いなので、噂があれば真偽をすぐに確かめてきます。
73.例えばヤマさんとラーのお話
 ナチュラー(笑)
74.例えばコンドウさんと僕のお話6
 察しのとおり、コンドウさんは僕と一緒の高校に入りたいがために勉強しました。僕が鈍感すぎて笑えます。
 計画も、まあ察しのとおりです。まあ当然、偶然の産物ですけれど。
75.例えばササキくんとマニキュアのお話
 お前ら恋人同士か! ってね。傍目いちゃいちゃしまくりです。
 しかしヤマさんはそんなこと解ってないし、ササキくんは解ってるけど構わないと思っています。いつかこの辺の話も書きたい。
76.例えばコンドウさんと僕のお話7
 100話への伏線。読み返してくれたときになるほどと思っていただければ。
77.例えば彼女と風邪っぴき3
 猫に囲まれた生活は憧れます。一度でいいから猫ハーレム状態になりたい。
78.例えばコンドウさんと僕のお話8
 僕もコンドウさんの返答に緊張していましたが、その返答するコンドウさんも当然どぎまぎデス。
 「私をよく知ってくれる人がいい」とも書こうと思ったんですが、流石にやりすぎだと思うので却下ー。
79.例えばモチダと犬のお話
 犬好きのモチダは作者の敵だ!
 まあ冗談は置いといて、このジロウさんは、番外編などでいろいろと動いてもらいます。空気の読めるとても賢い犬です。
80.例えば彼女と風邪っぴき4
 ようやくミサキが母子家庭だということを書けました。
 母の話は出てくるのに、父の話が出てこない違和感を感じ取っていた方はやっぱりと思われていることでしょう。
 いろいろと、伏線を敷いた回です。
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