〔40〕 そこに、君がいたから。(後)
『嘘つく元気があるんだったら、私が来る必要は無かったみたいね』と、美奈津先生。
頼み事は本当の事らしいが、気落ちしている俺を気分転換させたかったらしい。
本当にお節介が多いよ。
だから俺はバカでもいいから、その期待に応えなくては。
ここに来る回数は前と変わっていないが、話上出てくるのは久しぶり。
例の場所。学校僻地の湖地区。
相変わらず水面が陽光を跳ね返し、周辺にグラデーションを刻む。そよ風が吹いただけで、すっかり秋の色に染められた木々の葉が散り舞う。木の葉の絨毯を踏みしめ、ゆっくりと腰をおろした。
初めて逢った時もこの季節だった。すべてが移り変わっていく、この秋の季節。
江津とはここで逢い――変な男子四人組に追われていた所を助けた、という中々奇遇な逢い方だった。
瑠那とは、下校中偶然助けることになったおばあさん――いや、お姉さんを手伝うことになり、瑠那の家で逢った。
あの日、俺のすべてが変わったと言っても、もしかしたら過言ではないのかもしれない。総ての転機が集結したのではないかと思うぐらい。
確か、あのとき俺と瑠那と江津は学級委員になったんだ。隼先の働きにより、なぜか俺たち三人がアンケート集計を行うことになって、そこで瑠那に顔を見られたんだよな。江津には会った直後にばれていたけど。
あの時は、二人と接することをよく思っていなかった。今思えば、浅はかな理由で。
アンケート集計の後、美奈津先生の携番を教えてもらった。どこかで隼先に復讐しようと目論んだのだ。それはピクニックに行く時に果たされた。
あのピクニックも結構楽しかった。冬休み、自分で河原に作った小さな広場に行ったら、その近くに江津の家があって、そこで栄美に会って、流れでピクニックをすることが決まったんだ。
そして当日、香甲斐を連れて出ようとしたとき、そこで瑠那と遭遇。瑠那は秀二を連れていた。このピクニックで隼先と美奈津先生は仲良くなり、そして香甲斐と秀二と栄美も仲良くなったんだ。
思い出すたびに、笑いが込み上げてくる。その時には気付かなかった楽しさを、今ゆっくり噛み締めて。
冬休みが明けて、俺と瑠那はクリーンバトルのための下見に出かけた。そうしたらすごく深い穴にはまってしまって、制服を燃やすと言う自殺ぎりぎりの行為を潜り抜けて脱出できたけど、その時数人の生徒に顔が割れてしまったんだっけ。入学式の時にトラブルが起こってしまったけど、俺は危惧しすぎてたよな。
クリーンバトル当日、結局俺はサボる事にした。死にかけたのにこんな行事……そんな感じで。瑠那は賞品目的で頑張っていたみたいだったけど。
午後になったら江津が来て、雨が降っていろいろ話した後に、休みの日、江津が家に来ることになったんだ。メイドさんたちを沈静化させるための作戦が見事に成功したんだよな。江津はそこで生真面目に宿題やってたっけ。
そして、やって来たのがバレンタイン。初めてもらって嬉しいと思えたとき。
―――多分そう。ここらから、明らかに二人を女性として見るようになった。表現する事の出来ない気持ちを、どう表していいか解からなくなっていたんだ。
二人が家にきた……確かそれは俺が初めて風邪を引いた時のこと。
その日、江津に好きだと言われた。その日、瑠那が俺の事を好きなんだということを改めて認識させられた。
俺が二人の事を好きだと認識したのが、エセデートの日。なんだか栄美に脅された記憶しか無いのだけれど、やはりそこが確定日なんだろう。
認めてしまった事に後悔しながら、答えの出し方をぼんやりと考えていた気がする。
解かっているけど解からない、曖昧模糊とした考えの状態で、何時までもそこから抜け出せず、そのまま夏が到来する。
美奈津先生に学校に召喚されて、なぜか沖縄行きが決定して、当然のように江津と瑠那がついて来て、栄美と香甲斐と秀二もついて来て。
トランプして、風呂入って、枕投げして――――――――――。
アノ日、初めて自分が哀れになった。
本当は言いたかった。
今は俺がいるから、とか、俺がお前を護ってやるからとか。いや、そんなバカみたいな科白じゃなくても、大丈夫だとか、抱きしめるだけじゃなくて抱き寄せるとか。
出来なかった。してやれなかった。あんなに小さかった二人に、ただ包んでやる事しか出来なくて。もっともっと、心の底から安心させたかったのに。
はは、そうだよな。こんなんじゃ当たり前だよな。二人が離れていったのは。
俺でも逃げる。何も決められないウジウジした男なんてクソ喰らえ。ダサいしカッコ悪いし、何より見ていて胸糞が悪い。自分で評価してここまで酷いんだったら、周りから見たらもう最悪だろう。
二人を思い浮かべた。
なぜ好きになったかを考えると、それはすぐに答えが出た。
『俺』を見てくれたから。そして、強さを持っていたから。俺には無い、全く別の強さ。
自分を、自分として認めていく力。逃げの気持ちじゃない、攻めの気持ち。
俺の心は陽光を照り返す湖のように、なぜか穏やかだった。重大な事を決めようとしているのに、もう何も余計な事が浮かんでこない。悩む事に飽きたのか、疲れたのか、それとも――。
考えた。俺は、どちらの方が好きなのだろう。
好きと言う感情にはピラミッドが存在する。
下層部の何となく好きには、いくらでも入る。少し知り合いになっただけでもここにはいるという容量の多さを誇る。中層部の好きは、この場合LOVEではなくLIKE側、友達としての好意だ。そして上層部、ここには一人しか入れない。
どちらかが中層部の最高位にいて、もう片方が上層部にいるはずなんだ。その差は無いと思っていいけど、薄い境目があるはずなんだ。
「でも結局は、気持ちの持ち様だよな」
こんな事を考えても、俺の一言で決まるんだ。
そっと、目を閉じる。ずっと奥深くにいる自分に問い掛けるために。
『なぁ、修。自分に訊いてみろ? 弱い部分……虚の部分を埋めてくれるやつは誰かってな』ふと、隼先の言葉が聞こえた。
尋ねる。
なぁ修。俺の虚の部分を埋めてくれるのは、どっちなんだ?
ずっとずっと、俺を満たしていた人は…………
…………っ。…………嗚呼、なんだ、簡単に答えが出たじゃないか。
顔を掌で覆い隠し、苦笑てしまった。可笑しい、あまりにも可笑し過ぎる。抱腹絶倒破顔大笑、ここぞとばかりに声を上げて笑う。
自分の虚が外に現れたところに、いつもいたじゃないか。なんで簡単な事に気付かなかったんだろう。
馬鹿で馬鹿であまりにも愚かで、あまりにも簡単で。灯台下暗しとは、よく言ったものだ。
笑った、気持ちが収まるまで。自分の憎い所を全部笑い飛ばせるまで。
それから少しして、笑いが収まって来て、両手で頬を引っ叩く。気合入れ。
決着をつけに行こう。それで断られたんだったら、あとはすっきりさっぱり行こうじゃないか。
立ち上がろうとして、動きを止めた。
がさ。
俺が立ち上がろうとした時にでた音ではない。明らかに違う場所で、人が起こしたソレ。
振り返ると、人が居た。
答えと、違えた人物が。
「ここにいたんだ、修」
「……瑠那」
顎に正確無比なアッパーを喰らわされたように、全体が揺らいだ。
「自分に、決着つけに来たんだよ」
結局は気持ちの持ち様、薄い境目。
「あんな手紙書いたけどさ……なんだか、全然スッキリしなくってさ。修が桐生さんと付き合ってるなら諦められたけど、それも無いって聞いたから余計にもやもやしちゃってさ。ずっとずっと、修のこと考えてた」
決めたって、そこに着いていなければ、決着がついたことにならない。
「ここでちゃんと言う。ちゃんと答えもらう。前から言ってたけど、今度はちゃんと」
礎が築かれていない、不安定な状態。
「初めは一目惚れ同然だった。家に突然マブい人がいてさ、乙女チックだけど王子様かと思った。そんな憧れみたいな気持ちだったけど、一緒に行動して、喋って、遊んで――いつの間にか、修以外の事が考えられなくなったの。
私――ちゃんと言うからね」一つ、大きな深呼吸をはさんで「修が好き。前みたいな軽率な好きじゃなくて、心から」
些細なことでも、心は揺れ動く。
「好きです」
真正面から放たれた言葉は、あまりにも重く全身に降り注ぐ。
思考が何度も反転していた。一度決めた事が、あまりにも揺らぎすぎていた。
俺が、最も空虚になるところ。それは三つ存在する。
あまりにも広大すぎて、枯渇している家の部屋。現実から逃げるようにして造った、河川敷の広場。
そして、俗世から抜け出す事のできる、癒しの空間。それがこの場所。
――――――――そうだ。瑠那だって、そこに来たじゃないか。
河川敷にも、部屋にも、ここにも。だったら、瑠那で、いいんじゃないか?
そうだよ。別に、問題はない―――。
――いや、そうなのか?
本当は、もう涙を見たくないだけなんじゃないのか?
「修」
思考の渦に飲み込まれていた俺は、はっと顔をあげた。
「駄目だなぁ……ポーカーフェイス下手すぎ」
大粒の水晶が、絨毯の上に落ちていた。
「前は上手だったのにね。今なんて、何考えてるかすぐに読めるよ」
何も、動かなかった。言わなければならないことは山ほど有るのに、口が開かない。顔の筋肉、四肢すら動かない。もしかしたら、心臓も停まっているのではないのか。
「今日一番最初の顔はさ、何か決心してた顔つきだったのにさ」
―――――――――――――――――――――――――――ごめん。
「ちゃんと告げた瞬間、急に目線が淀んだんだもん」
俯いた。瑠那の表情を、見ていられなくなった。
「ごめん」
「修、そんな顔はしないでよ」
絶対、情けない顔になってるに違いない。瑠那の方が辛いはずなのに。
最後の最後まで、本当にバカヤロウで、
「ごめん」
「修は考えたんでしょ。だったらいいよ。そりゃぁ……悔しくないって言ったら……嘘になるけど……」
「ごめん」
結局、何もしてやる事が出来なかった。一人の力は、こんなにも無力なものなのか。
涙を、拭ってやる事さえ、叶わないのか。
「うりゃぁっ!」
瑠那の拳が、
「かっ……ごほっ、ごほっ」
鳩尾に激突した。
何の対処もしておらず、抗うことできずにその場に崩れ落ちた。
「これでスッキリした」
顔をあげると、止みそうにない涙を浮かべながら、けど微笑んでいる顔があった。
「修、ちゃんと言ってきて。そうじゃないと、私が馬鹿みたいでしょ?」
「この状況だと、今すぐは出発できない……ごほっ」
「……そんなに強く当たった?」
「ごほ……ん、もう大丈夫」
あまりにもゆっくりと、俺は立ち上がる。
「ごめん、泣かせちゃて」
「また謝った」
「今度は大丈夫」
瑠那は俺に見せた。今まで見た中で、最上の笑みを。
「桐生さんのこと、泣かせたら絶対に許さないかんね」
小さく頷いて、俺は駆け出した。
後ろから嗚咽が聞こえたけれど、後ろは振り返れない。
振り返らない。
ごめん、瑠那。
そしてありがとう。
失うものなんて、これ以上あったって驚かない。
ゼロからでもマイナスからでも、俺は進んでみせる。
HR
…………瑠那ゴメン。ほんと。いや……ね、初めから考えてた設定だったけど、切ないね。
それではエピローグ兼エンディングへ、どうぞ。
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