〔24〕 遠夜(えんや)
何か浮遊感を感じていた俺は、ゆっくりと目をあける。腹部に何かシコリがあるが、 たいした問題じゃない。
顔を横に向けると時計があった。
ええと……7時。
……そうか、俺は瑠那に気絶させられたんだ。
さすがに、みんな帰った……
わけがない。
目の前には先ほどのメンツ。瑠那だけはすまなそうに俯いていた。
「ごめん……はやとちった……」
今の言葉から察するに、誰かが……といっても江津が、事情をきちんと話したのだろう。 誤解が解けて、ほっとした。
……だけど、変な感じ。
解けて、瑠那がいつも通りの関係になったという事の安心感と、解けてしまった事の喪失感。
嫌な感じだ。
「おお、修、起きたか」
そこで、また新たなメンツが現れた。それと同時に、皆は散っていく。そしてまた何かの準備をし始めた。
新たなメンツ、隼先だ。
「さて……」
隼先は、なにやら紙を取り出す。
大量の品物が記入されていた、レシートだった……
「修、払ってくれるよな?」
「……なんのレシート?」
「……桐生と鮎河の誕生日パーティーらしい。お前が承諾したんだってな」
いつの間に事実がねじ曲げられているんだ!?
……というか、ここは隼先の部屋じゃない事に気がついた。
……俺の部屋だ……。
香甲斐を見る。
香甲斐は俺からわざと視線をはずしているようだった。
あいつ……最近俺を軽く見ていないか?
ま、別にかまわないけど。
「レシート……」
とりあえず、突きつけられたレシートを見る。計36342円
「いろいろ買いすぎじゃないっすか?」
「……だから、俺のふところから出すのはきついんだ」
「わかった。後で渡します」
「よろしくな」
別に36342円なんてたいしたお金じゃないし。けど、食糧だけだったらすごい値段だ。
改めて、部屋を見渡す。
俺の部屋に、いつもと違うものが置いてある。それは、立食パーティーの時に使うような、長机4本。その上には白い布が大っぴらに広げられていて、さらにその上には、豪勢な料理が数点……
「桐生さん、これでいいの?」
「うん、えっと、……あと、こしょうで味付けするみたい」
瑠那と江津は、俺の部屋にある簡易キッチンで料理を作っていた。
……勝手に……
最近怒る気すら起こらなくなっていた。少し体がだるいということもあるが、もっと別の理由もありそうだ。
というより、江津と瑠那が仲良くなっている。いい事だ。後ろ姿を見ていると、瑠那はそんなに料理がうまくない。初心者だ。江津に教わりながら手伝っているのだろう。
その前に、自分たちのバースデイパーティーなのに自分で料理を作るか?
隼先は多少なりとも手伝っていたらしい。服に少し汚れがついている。
……一番楽しているのは、香甲斐と秀二と栄美。
テラスに出て、三人で会話をしている。
……香甲斐は、女嫌いじゃなかったんだろうか? 栄美と会話している香甲斐の表情は、とても自然だ。俺と話しているときと同じような緩めの表情。学校などでの表情は、何かしら強張っている。周りが視線を集めるからだろう。それでなくても、人と合うときは、必ず何かタテマエを作ってしまうものだ。これは香甲斐だけではなく、人間誰にもいえる。本当に隣にいても不快じゃない人としか、ホンネなど見せない。
今の香甲斐の表情は、タテマエなど作っている表情じゃない。秀二も同じような感じだ。秀二の表情も、緩やか。学校で見たときより格段に。
……今になって考えてみると、……今まで自覚してなかったけど、今俺の視界に映ってる人たちには、俺は、タテマエを作っていない……と思う。
隼先はもちろん、香甲斐にも、秀二にも、栄美にも。栄美とも、けっこう一対一で会話をしている時がある。この一ヶ月で栄美とも仲がよくなったのは確かだ。
そして、瑠那と江津。
全然、タテマエを作っていない。
他の四人とは明らかに違うほど澄み切ったホンネ。
……………………
「おい、修、どうした?」
はっと我に返る。
そうだった、隼先が目の前にいたのだ。
隼先は、俺の目の前で手をひらひらさせている。
うざいのでその手を払う。
「……なんでもない」
「そうか、ま、とりあえず寝ておけ。用意にあと一時間ほどかかるだろうから」
そうか……って、本当にあいつら泊まる気だったのか!
つか、まだ料理を作る気なのか?
……どうでもいいか。
俺は今病人である事には変わりないのだ。
隼先の言う通り、寝てよっと。
「修」
目をつぶった俺の顔に、誰かの手がペシペシと当たる。
うすらと目を開けると、目の前に瑠那の顔があった。
……10センチ前に。
近すぎだ!
俺は慌てて瑠那の顔を離す。
近すぎたせいで俺の顔に瑠那の髪がかかっていたが、それが離れる。
「どうした? 瑠那?」
顔は離れたものの、やはりいつもより近い。
上から見下ろされているからだろうか?
瑠那は、膝に手をあてて俺を見下ろしていた。
「あの、ちゃんとあやまっとこっかなーって」
優しい目で、俺の目を見る。
いつもと違う瑠那の表情に少し動揺する。
「さっき謝らなかったか?」
「ちゃんと。だって、修って寝起き悪いじゃん。さっきはあまり頭働いてなかったんじゃないかって」
「……やっぱり、俺は寝起き悪いんだな」
「うん。授業中たまに寝てるじゃん」
本当にたまにだよ。一週間に五回……。あ、一日一回だ。
「その後、修の顔見ると、絶対修はボケてるな、って」
授業中暇だから、指されないときも何となく勘で分かるし、寝てる。だけど、寝顔を見られていたとは……
「えっと、殴ったのはそりゃ私も悪かったけど、修も悪いんだよ」
「どうして?」
「仮の恋人に、私じゃなくて桐生さんを選んだから」
瑠那が目つきをきつくする。逃げようにもその視線から逃げる事ができない。
「それは、考えついた時に、ちょうと江津がいたんだよ」
「そっかぁ、修ってすぐ実行タイプっぽいもんね」
納得はや! こんなに早く納得できるものなのだろうか?
「でも、今度は私にしてよね。修斗が望むんだった、一肌でも二肌でも脱ぐから。もちろん服でも脱ぐよ」
「やめてくれ」
なぜ、こう瑠那は節操ないのだろう?
それもそれで特徴なのかもしれないが。
「修ってさぁ、クイズ番組、簡単に優勝できそーだよね〜」
「なんで?」
「だって、ここまで修はすごいなら、もう頭も完璧じゃないとおかしーでしょー。実は、テストの点数抑えてたりとか」
……なぜに、こう勘が鋭いのだろう?
だから困るんだ。ゆっくりさせてくれないから、考えられないから、……。
ああ、くそ。何か、もやもやが目の前にある。
「まぁな。確かに、点数抑えてる。事実、千点取れる」
もう隠す必要などないのだ。瑠那にも、そして江津にも隠す事などもうない。
「うわぁ……私って勘いいなぁ」
自分で言うな。
「ねぇ、修が点数わざと落としてる理由って、もしかして、私と一緒のクラスにいたいから?」
「違……」
う。のだろうか? ……
「違うな」
とりあえず、こう答える。
「隼也先生と一緒にいた方が、何かと楽だから」
「ふーん」
瑠那は立ち上がった。そして、背伸びをすると、ベッドに腰掛けた。
「添い寝してあげよっか?」
「遠慮」
「言うと思った」
瑠那はクスリと笑う。
……そういう表情は、否応なしに、綺麗に感じる。
「修ってさぁ、……すごいよね。何でもできるし、何でも良いし、私と大違いだなぁ」
「それが、俺はいやなんだけどな」
「自分を好きにならないと、周りにすかれないよ……って、私は修の事好きだけど」
「はは………………ありがとう」
「え、それは、OKってこと?」
「いつもの俺の言動からすると?」
「……OKじゃない」
ありがとう、って素直に出た言葉だった。
理由などないが、理屈でもないが、ただ口に出た。
「瑠那って、変わってるよな」
「ど〜言う意味?」
「聞いたそのままの意味」
俺はくすっと笑う。とても意味深に見せるために、工夫を凝らしながら。
「む、……いいじゃん、これぐらい明るい方が」
瑠那って、自分が明るい事自覚してるんだ。初めて知った。
「世の中では笑いたくても笑えない人いっぱい居るんだから、私がその代わりに笑ってあげる、完璧!」
理屈が通ってそうで通ってない。
だけど、瑠那の場合には充分すぎる理由だ。
明るいのは、短所とも長所とも取れるけど、明るくなかったら、瑠那じゃない。
「じゃ、ゆっくり寝てね。こじらたら大変だから」
そう言うと、瑠那は立ち上がり、また準備を始めた。
寝よう。
寝て、元気になれば、このもやもや、晴れるかもしれない。
突然だがはしょる。気にしないでくれ。
俺はテラスに出て、手すりに身を預けて空を見上げていた。
夜風がイタズラに俺の髪を揺らす。
ああ、寒くないのに寒い。
風邪のせいでもあろうし、風のせいでもあろう。けしてシャレじゃないぞ。
起きたのはあれから4時間後。
夕飯出来上がったのは、きちんと一時間後だったのだが、……誰も起こしてくれなかった……。
……気持ちよさそうに寝ていたからだと、皆は口を揃えた。いくどーおん。悲しい異口同音だ……。
仲間はずれにされたっぽい俺を置いて、もうみんな熟睡。遊び疲れたらしい。
隼先だけは自分の家に戻った。
風邪で眠り込んでいた俺は、眠気など生まれなかった。
なので、水を少々飲んだ俺は、テラスに出て闇夜を堪能していた。
堪能というか……なぁ。
夜空には、数多の星が輝いている。
星というのは不思議なものだ、
何万光年も離れているのに、きちんと地球に降り注いできている。
どういう巡り合わせか、ここまで届いている。近い恒星ならまだしも、銀河系じゃない星団まで地球に光を届けている。
途中で塵やガス、星屑ですら遮っているのに、届いている。
強いなぁ。
小さな光、そりゃ、遠くにあるから小さいのだが、それでも届いているのだ。きちんと自分の目まで。はっきりと。
その強い星々を、今じゃ人は見ようとしない。
都会の人など、全くといっていいほど見えないだろう。
空気は汚れ、夜ですら光が消えず、星の光を打ち消してしまう。
だけど、都会じゃなくても、人々は星を見ないだろう。
俺も、久しぶりだ。
観察ではなく、ただぼうっと眺めるだけの星空。
いつも広がっていたのに、見ようとしなかっただけの夜空。
誰も見ていないのに、ひたすらに輝きつづけている。
太陽の方が、確かに恩恵も与えているし、目立つ、ルクスも高い。ただ、俺は星のほうが綺麗だと思うし、強いし、すごいと思う。
星のほうが……。
がだぁ!
なんだ!?
突然の物音に、後ろを振り返る。
「あ、ごめん」
江津が扉を開けて、そこに立っていた。。
風呂に入った後、青いネグリジェ姿になり、そのまま寝た。らしい。
さらには、使用人の何人かに、セクシーネグリジェを薦められたらしいが、即答で却下した。らしい。
当たり前だが。
「何か、眠れなくって」
江津はそう言うと、歩いて俺の隣に来る。
「何見てたの?」
「星」
「星?」
一言一言が短い会話を交わして、夜空を見上げる。
やっぱり星は輝き瞬いていた。
江津も夜空を見上げ、呟く。
「星いっぱい見える」
「だろ」
ちょっと自慢。
「周りも暗いし、空気も澄んでる。いい所だよ」
「修斗の家、いい立地条件だね」
あまり嬉しくないほめられかた。たぶん素なのだろうけど。
「だよな、親父さ、自然が好きなんだ。だから庭も手入れされてるし、なんか、柔和な親父だよ」
「修斗って、お父さんのこと親父って呼んでるの?」
「……目の前では、『お父様』って呼んでる」
「言い辛そうだね。修斗の性格からすると」
なぜ倒置法? 細かいツッコミはいいか。
お父様って呼んでいるのは確かだが、最近敬語ではなくなってきた。
学校で慣れたせいかな? と思っている。
「そっか……いいなぁ、修斗」
……そうだった!
江津のお父さんは……
気付かれないように、話題を振ろう。
「江津って、どれぐらい星座知ってる?」
「夏の? いろいろ知ってるよ。竜座とか、矢座とか、いるか座とか、こぎつね座とか、たて座、こと座、冠座、南の冠座―――」
「江津、ストップ」
「あ、ごめん」
なぜ、マイナーなものから言っていくのだろうか?
もうちょっとメジャーなものを言ってくれた方が、読者に優しいのでは……。
ともかく、俺は話を繋げる。
「昔の人って、変わってるよな。何もないところから、何か創ってしまう。今じゃ、もうベースとなるものは決まっているからな。……昔の人って、凄い」
自分で口に出しながら、昔の偉人たちを賞賛する。
「そうだね、馬鹿と天才は紙一重とか言うから」
江津が言う。関係あるのか? だけど、一応話は繋ぐ。
「でも、天才は馬鹿かもしれないけど、馬鹿は天才になれないんだぞ」
俺たちの会話、かみ合っていそうでかみ合っていない。
頭で整理してみたら、そう結論が出た。
「でも、やっぱりそうだよな」
「何が?」
江津がふと顔を下げ、俺を見る。
「よく言うだろ? 『才あるものは大成せず』って」
「……誰の言葉?」
江津が怪訝そうに俺を見る。
「……俺の造語」
「それって、自分の事けなしてない?」
江津は、俺の顔を見ながら、クスクス笑う。
なぜ、二人は笑顔が似合うのだろう?
不意を衝かれ、困惑する心を、抑える。
江津は、身を翻し、そして俺に背を向けた。
「一応宣戦布告しとこうかなぁ……」
江津が背を向けたまま呟いた。
「?」
俺が首をかしげると、江津が、少し上ずった声で、言った。
「私も、修斗の事、好きだから」
…………!?
「じゃ、おやすみ」
江津は、部屋の中に、入って、いった。
俺は、その後ろ姿を見ていたが、また夜空を見上げた。
……江津も、俺を……なのか。
動揺していた。今の江津に、さっきの瑠那に。
―――星が大きかった。
―――なぁ、俺は、二人から、気持ちを伝えられた。
―――なぁ、俺はどうすればいい?
―――なぁ、俺は、……あの二人の事を、どう……思っているんだ?
HR
江津も告白。
しないと、話が繋がらなくなりそうで怖かったので。
告白したけど、全然、終わりません。
むしろ、修斗が葛藤する時間のほうが長いようです。
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