古の書には、聖剣が力を使い果たし消滅したのではないかと述べてあった。
そしてもとある場所に移動し、力を取り戻しているのだと。
一般的な考え方。だがこの考えに、私は賛同できなかった。
弐話
ボロボロだった小屋の外見とは逆に、内装は驚くほど整っていた。無いと思っていたドアは絵で、破れているように見えた窓もそういう模様だったのだ。精巧に作られていたのもあるし、なにより薄暗かったので、完全に騙されていたようである。
ランプがつけられたその部屋はどこにでもありそうな部屋だった。人が住んでいる割は小奇麗だが、棚やその上にあるインテリア、壁には絵皿もかかっていて、暖炉も備え付けてある。一番驚いたのは床に強いてあった熊の毛皮だが、まさかリゼアが捕まえたわけでは無いだろう。
「とりあえず掛けてくれよ」
リゼアに勧められ、二人は小さな椅子に腰を掛ける。手作りなのか、少々不安定だがしっかりしている。
「さっきも言ったけど、あたしはリゼア。そちらは?」
「私はクイ」
「俺はフェリク。俺ら二人は愛し合う仲なんデス」
「初対面の人を前に嘘を言わないでよ」
「将来そうなってるから嘘じゃないよ。むしろ今もそんな関係でしょ?」
「だからっ」
「まぁまぁ、お二人さん」リゼアは二人を落ち着かせて「とにかく、二人はパートナーってことだろ?」
「生涯のね」
「だから嘘を言わないでよ! それにパートナーってのも違う」
「それも違うのか?」
「そう、こいつが勝手についてきてるだけなの」
「それにしては親密そうだけど……」
リゼアは本当にそうなのかとフェリクを見た。フェリクは涼しそうに微笑んでいる。こういう発言はいつもの事なのだろうか。そしてそれがいつもの事なら、クイが照れ隠しに言っているだけなのか、真実なのか?
リゼアの問いに答えるように、フェリクが言った。
「クイは照れてるだけだよ」
「ふーん、やっぱり」
「違うーっ。それにやっぱりってなによ」
「だって、仲良さそうだし……」
「どこをどう見たらそう見えるのよ」
「こんな森、ここまで二人で通って来たんだろ? だったら仲良くないほうがおかしいじゃないか」
クイは口を詰まらせた。リゼアの言う事には確かに一利ある。
「……で、でも」
「別に恋仲だとか言ってる訳じゃないんだからさ、仲がいいのぐらい認めれば?」
「いや、絶対いや」
「そこまで否定する根拠が解からないけけど」
「今日だって、私はこいつのこと殺そうとしたんだから」
クイは隣の椅子に座っているフェリクを指差した。と思ったら、妙にフェリクが小さい。いつの間にか、隣に座っているのはフェリクでなく、クマさん人形に挿げ変わっていた。
驚いてフェリクを探すと、フェリクは窓際で、本棚から勝手に人間の文字が使われている本を取り読みふけっている。
人間と魔者が使う言葉は同じなのだが文字は違う。似ている文字はあるものの発音が一切違うため、魔者が人間の、人間が魔者の文字を読むことは困難なのである。自由に使いこなせるのはこの世の中でフェリクぐらいでは無いだろうか?
フェリクは人間と魔者の両方の文字を使いこなしているので読めるので、だがつまらなそうな表情をしながら、ページをめくっていく。どんな内容なんだろう?
「なんでリゼアが人間の本を?」
「あれはな、この小屋の前の持ち主の物なんだ」
それはそうと、クイはクマさんを左手で持ち上げると、フェリクにぶん投げる。
「あんた、なんで悠長に本読んでるのよ」
フェリクはクマさんをキャッチする。クマさんの頭を撫でながら、
「クイがどう言おうと、俺はクイのこと好きなのは変わらないし? 何より、本題がなかなか進まなそうだったから、暇つぶしにね」
言われて二人ははっとした。本題からだいぶそれた話しをしていたことに気付いて、恥ずかしくなってくる。
コホンと、リゼアは咳払い一つして真剣な表情になった。
「一つ聞きたいことがあるんだ」
フェリクは本を閉じて元の場所に戻すと、クマさんを抱きかかえながら初めの椅子に座る。
「お前らは、あたしが……魔者が恐くないのか?」
人間側では、魔者は人間と同じ形をした恐ろしい生き物。魔者側では、人間は魔者と同じ形をした恐ろしい生き物、互いにそのように教育されている。つまり人間にとって魔者は忌むべき存在、恐るべき存在、絶対なる敵なのだ。逆も然りである。
「リゼアは、私のこと恐くないの?」
「少しは恐いさ。でもあたしは人間の町に出かけることもあったから、多少人間には慣れてるんだ」
食糧や日用雑貨を購入してくることもあるので、何回も繰り返し行っているうちに慣れてきたと言う。
「お前は、あたしのこと恐くないのか?」
クイは頭を縦に振り、
「恐くないよ」
「強がらなくてもいいぞ。あたしだってお前が少し恐いんだ。お前があたしを恐くないはず無い」
「本当に恐くないの。だって……」
クイはフェリクを見た。フェリクは黙って頷くと、クマさんを置いて、右腕の服を持ち上げる。
二の腕に現れたアザ。生まれた時からついている、紋様のような文字のようなアザ。アザの形はみな違うため、一時期両種族にアザ占いが流行ったものである。フェリクの占いは大吉。クイの占いは凶だった。ちなみにクイとフェリクが出会う直前の占い結果だったりした。
「俺は魔者だよ」
「えっ、お前ら両方魔者なのか?」
「ううん、私は人間」
クイは左腕の服をまくろうとしたが、右腕のせいで上手く出来ず諦める。
「クイ、俺がめくってあげようか?」
「遠慮しておく」
間髪いれずに拒否。絶対ついでに体を触る気だ。その証拠に、フェリクは少々不満げになっている。
「フェリクが魔者で、私もう慣れちゃったから……。別に魔者に対して、恐いとか思わないの」
フェリクが魔者だから。確かにそれは大きな理由だ。
「それに昔から、私魔者のこと嫌いじゃなかったし……」
学校の先生も魔者は危険だと言っていた。両親も魔者が嫌いで、友達も魔者が大嫌い。と言うより、人間には果たして、魔者が怖くない人がいたのだろうか? 性格は兇暴、人間を見たらすぐに襲い掛かってくる。それを本質的に、生まれた時から刻み付けられたように、人間は魔者を忌み嫌っていた。
しかしその中で、クイだけはその考え方が解からなかった。魔者と人間は容姿が変わらないし、似たような国家を形成しているし。違うものがアザだけなのに、魔者は本当に兇暴なのだろうかと。
考えていた所にフェリクが現れたので、その疑問は爆弾で吹き飛ばされたように消えてなくなってしまったのだが。それはもちろん、いい意味で。
「だから、とにかく、あなたのこと私は怖くないの。むしろ友達になりたいぐらい」
「そっか……なんか、嬉しいな」
リゼアは鼻の頭を掻いた。
「それにしても変わってるな。人間と魔者が一緒に旅をしてるなんて」
「変わってないよ。俺はただ愛する人と一緒にいたいだけだし」
相変わらずのフェリクの言葉に、クイはツッコムのを諦めた。いちいちそんなことしていたら、話が先に進まなくなってしまう。
クイは訊ねた。やっと自分たちの本題である。
「リゼア、あなたは、本当に魔獣を操ってるの?」
ふと、リゼアの視線が淀んだように見えた。これは真実だから? それとも別の何かが彼女にそうさせているのか?
ゆっくりと開かれた口から出てきた言葉の意味は、後者であった。
「あいつ、あたしに懐いてるんだ。操ってるわけじゃないけど」重い息を吐き出しながら「結局、そんな感じになってるんだろうな」
リゼアの住んでいた場所は魔者の大陸。その中でも『ゼロ=グラウンド』と呼ばれる二つの大陸の『連結地』の近くの町に住んでいた。
『ゼロ=グラウンド(虚無の土地)』とは両族共通の名でありながら、正式名称ではない。
人間名クレストローズ。魔者名ウラマキリス。
語源は一切伝わっていないが、何故かこの地のみ名が異なっている。ただし印象の強さ、覚えやすさなどから、ゼロ=グラウンドが定着しているのだ。
人間の大陸と魔者の大陸は海を挟んで隣接しており、広さ十キロ平方メートルほどのゼロ=グラウンドのみで接していた。もし大陸の形をしたクッキーがあるとしたら、あまりにも頼りない接合点のため持つことに苦労するだろう。
一点のみでくっついているこの地形も、人間と魔者の戦いを長期化させた原因の一つである。
お互いの種族は沿岸に軍を配置、特にゼロ=グラウンドの手前には王都よりも強固な城壁をこしらえ、さらには選び抜かれた精鋭部隊を数多く配備。軍事力増大のための研究施設も完備され、まさにそこは鉄壁の要塞都市、人口も多く商業などの中心にもなっている主要都市となっていた。つまりお互いにこの都市が潰されたらアウト、あとは怒涛のように支配されていくだけ。そのような状態になっていたため、なかなかお互い手を出せず、出してもお互いに本気になって守るために、侵攻が難しくなっていたのだ。
話は戻り、リゼアは魔者側の要塞都市『イレイシア』で生まれた。小さい頃から活発でやんちゃだった彼女は、大きくなるにつれ、何となく都市の外に出たいと思うようになった。だが要塞都市から出るには町からの許可が必要。住民の出入りは厳重に監視されており、商人や金持ちぐらいしかその許可を得られなかったため、リゼアは事実上外に出ることは不可能だったのである。しかし外の世界を見てみたいという、すばらしく偉大な、全知全能の神にも止められない探究心が、その体を奮い立たせた。
彼女は四年前に計画を立て要塞を脱出。監視兵の目を欺き、ゼロ=グラウンドに足を踏み入れた。
本当はゼロ=グラウンドの中間まで来たら帰ろうと思っていた。人間は恐ろしいものだ、見つけられたら殺されてしまうから。
だが問題が生じた。疲れたからと少しの間昼寝をした隙に、なんとどちらに向かっていいか解からなくなってしまったのだ。リゼアは自分の寝相の悪さを知っていた。北を向いて寝ていたのに南を向いているなんてざらだ。たまに寝た時と同じ方向を向いていると思ったら、それは一周していた時だったり。
虚無の土地と呼ばれるだけに目印になるようなものはなにもない。日もとっくに沈んでしまっている。曇りで星や月を頼りに出来ない。しかも左と右双方に要塞があり、どちらが魔者のものか解からない。
本当は朝になるまで待っていたかったのだが、海から吹き付ける風は異常なほど寒く、歩みを止めてしまったら身体が使い物にならなくなってしまう。それにもし、明日に人間と魔者の軍が戦闘を始めるようなことがあれば危険なことになる。
そこでリゼアは賭けに出て歩き出したのだ。
その賭けは見事にはずれて、人間の大陸についてしまったことになるのだが―――。
人間の大陸に入る時に運良く監視兵に見つからずに済み、だが日が昇り始めてきてしまい、引き返すわけにも行かなくなった。当然要塞に乗り込むわけにも行かず、リゼアはさらにそこから歩き、当ても無くさまよっていたらこの場所に着いたのだという。
行く当ての無いリゼアは仕方なくこの小屋に住む事にした。旅に出る前にサバイバル知識を頭に入れておいたことが、こんなことに役立つなんて思ってもいなかったが。
持ち前の器用さと順応能力で、彼女はあっという間にこの生活に慣れてしまった。普通なら苦労するであろう食糧調達もあっさりとこなし、水のありかも発見し、小屋もキレイに掃除して、前の持ち主がおいていった机や本(人間のものなので読めないけど)やいろいろな家具に調度品も自分好みに配置して。彼女はそれなりにこの生活を楽しんでいた。
ただし、その反面、心の奥からじわじわと、不安が這い上がっているのを感じていた。
その気持ちはどんどん増殖していく。もしかしたらもうイレイシアに戻れないのではないか。このままここで死んでしまうのではないか。人間に見つかり殺されてしまうのではないか。負の心に、彼女は侵され始めていた。
そんなある日の朝、リゼアは一匹の動物が小屋の前で倒れているのを発見した。小さな、黒い猫のような動物。体長わずか20センチほどの体には、抉るような爪の傷跡があった。衰弱しきった体、リゼアに向けた目は恐怖で染まっており、それはあまりにも自分の目に似ていた。リゼアはいても経ってもいられなくなってしまい、すぐに治療することにした。
毎日毎日、完璧とは程遠いながらも治療を続けていく。日が経つにつれ傷がふさがり元気を取り戻してくる。リゼアが食糧調達から返って来ると出迎えてくれるようにもなった。雨の日は二人で遊んだ時もあった。月夜の晩には散歩に出かけたこともあった。
だけど飼う事はできない。リゼアは解かっていた。その動物が魔獣であることを。
本当は名をつけてあげたかったが、それはしなかった。確実に別れが来るその日に、悲しみたくなかったから。
治りかけてくると、どんどん魔獣は元気になった。自分で獲物を捕まえるようにもなり、余った肉はリゼアにプレゼントする。『おー、お前偉いな』と頭を撫でてやると、とても嬉しそうな様子になる。一緒に食糧調達に出かけることもあった。リゼアが困っていたら魔獣が助け、魔獣が困っていたらリゼアが助ける。何も食べられない日もあったりして、そんな日は、二人は一緒に眠るのだ。温かければ、空腹なんて怖くないから。
そんな楽しい日々も終わりを告げる。魔獣が完治したその日、魔獣を連れリゼアは遠くまで出かけた。そして、そこに魔獣を放した。元からの計画だ。しかし、別れは辛いものだった。いくら兇暴な動物だとしても、一緒に過ごした友達だったから。
別れを悲しむ暇も無く、友の大切さを胸に刻み、自分の大陸に戻る方法を考えながら、また同じ日々を過ごしていた。
別れから二年ほど経過したある日、リゼアは問題に突き当たった。小屋に元から蓄えられていた調味料がなくなりかけていたことが問題だった。水があり食糧があっても、特に塩がなくてはまずいことになる。小屋の周りに塩湖など無いし、警備が厳しい海沿いにまではいけるはずが無い。その前に塩の生成方法も分からずどうしようもなくなった。
人間の町に行くしかない。森の南に人間の町があることは事前に調査済みだった。幸いにそこまで大きな町ではなく、検問などは行われていない。人間のお金なんて持ってないから、略奪、盗みを行なわなければいけないが……もし捕まったら、即座に殺される。
生きるためには仕方が無い。決心して小屋を出ようとしたとき、どさりと、小屋の前で物音がした。リゼアはドアを開けると、そこには袋が置いてあった。あたりを見渡しても誰もない。訝りながらその袋を開けると、なんと塩が入っていたのだ。
あまりにも奇妙だったため一日はそのまま放置しておいたが、据え膳食わぬは女でも恥だ。リゼアはありがたくその塩を頂戴することにした。
その日から奇妙な出来事が続いた。食糧や水が置いてある事があれば、洋服や靴や帽子まで、さらにはお金までもが置いてある時があった。毎日ではないが、週に一,二回のペースで物が置かれていた。
さすがに気味が悪くなってきたので、どこの誰がこんなことをしているのか正体を見てやろうと、三日三晩寝ずに監視を続けた。
監視を続けて四日目、ついにそれが正体をあらわした。それは素早く中央までくると、袋を置いて一瞬で立ち去ってしまった。まさに刹那、その短時間の出来事を、リゼアは目を見開いて見ていた。あの魔獣である。弱々しかった姿はすでになく、一人前の魔獣になっていた。姿が変われど見間違えるはずがない。魔獣は成長速度が早いというが、ここまで大きくなっていたなんて。
リゼアは喜びとともに、一抹の不安が胸をよぎる。
今までの物品は、どこから持ってきたのだろうか?
物が置かれること半年、人間のお金がかなりたまっていたので、町に出て物を買うことにした。お金さえ払うことができれば命の危険は少ない。文字は読めないが言葉は一緒。アザの位置が違うことがばれなければいいのだ。
びくびくしながらも森を抜けて町へと入る。顔を上げて胸を張って、あたしは人間だぞと全面に出すように進んだら、拍子抜けするほど自分が魔者だって気付くものは誰もない。それどころか、道に迷って人に聞いたら親切に教えてくれ、お店で物を買ったら『お嬢ちゃん可愛いからオマケ』とか言って値引きしてくれた。
思ったより人間は怖くないのかもしれない。それに、下手な魔者より、心が優しい人だっているのではないか。
リゼアは何となく嫌な気分になりながら、しかしその嫌な気分の原因が解からず町を歩いていると、ふとこんな噂を耳にした。
最近、魔獣が頻繁に出没していると。それは黒い豹のような魔獣だと。情報を聞いてから数日後に、魔者が魔獣を操っているという新情報が流れた。
リゼアは顔を青くし、すぐに対策を練った。簡単には見つからないように、小屋をボロボロにみせようと外壁を汚し、ドアと窓に細工を施す。主原因の魔獣に何度も町を襲うのはやめるように語り掛けてみた、だけれども結局なんの解決にもならなかった。早くここから立ち去り、もとの大陸に戻らなくてはいけない。そうでなければ人間に見つかり殺されてしまう。
まずは現在地の把握につとめた。人間の町で地図を買う。ゼロ=グラウンドは歩いて五日はかかる距離だった。リゼアはとりあえずゼロ=グラウンド付近まで歩いていき、遠巻きから数日かけて監視兵の監視時間を割り出し、抜け道を見つけだした。
小屋に戻り、荷物の整理を始める。ここでの記念のものも数点、多めに10日分食糧を積み込み、魔者が住んでいたことがばれないように工作して、あとはもう旅立つだけとなった。
「明日か明後日にはもう出ようと思ってたんだ」
そう言えば、小屋の隅の方に大きなリュックサックがおいてある。部屋が小奇麗になっていたのもそのせいか。
「だからさ、お前らがいいやつらだと信じて頼む。あたしのこと見逃してくれないか?」
クイはフェリクにアドバイスを求めようとして、途中ですぐに考え直した。最近すぐフェリクに頼む癖がある。悪い癖だ。『クイが決めていいよ』と言う返答が大半なのに、何より明日も一緒にフェリクと旅をしているなんて保証は一切ないのだ。
ともかく、どうしようかを考える。リゼアは悪い魔者じゃない。依頼は確かに討伐だったけど、それは討伐する対象が悪人だからであって、善人だったら捕えるのは良心が痛む。捕えなかったら捕えなかったで、お財布の中が少々痛むのだけれど。
クイの良心があっさりと勝負を決め、答えを出した。
「うん。見逃すよ」
「えー、クイ、俺には聞いてくれないの?」
キッ、とフェリクを睨みつける。折角自分で判断を下したのに、さっき問うのを止めた意味が無いじゃないか。
「フェリクは何か意見あるの?」
「見逃すことには賛成だけど、ちょっと質問があるんだ」
フェリクはリゼアのほうを向いた。心なしか、リゼアの表情が硬くなった。
「リゼア、魔獣はどうするの?」
水を打ったようにその場は静まった。リゼアは頬を打たれたように歯を食いしばり、目を泳がせている。クイも、その質問の重要性に、ただ無言でいる事しか出来なかった。
リゼアは俯きながら、罪を独白するかのように呟いた。
「あいつは、友達だ」
卓上の一点を見つめる。そうしないと、どこに視線を向けていいのか解からないから。
「でも、あたしと一緒に、魔者の大陸に連れて行くわけに行かない。だけど絶対あいつはあたしについてくる。でもずっとここにいると、罪の無い人間が死んでいく」
人間は思ったよりいいやつだった。悪い奴ばかりだったら、こんなことで胸をいためる必要は無いのに。
「あいつはあたしが操ってるわけじゃない。でも、あいつはあたしの為に人間を殺し傷つけ、あたしに物を持ってきてくれてるんだ。あたしが直接関係ないといっても、あたしのせいだって事には間違いはない。だからもうこれ以上、どうすればいいか解からなくなっちゃって……」
鶴の恩返しならぬ、魔獣の恩返し。鶴は正体がばれたら立ち去っていったけれど、魔獣はいつまでもリゼアに献身する。鶴は自らの羽を使い、自らを削り、織物を作った。魔獣は牙を使い、他人を削り、贈り物をこしらえた。どちらも感謝の気持ち、助けてもらったことのお礼。
ありがたい、でも、人間を傷つけてまでして欲しくない。そんな願いは、言葉をつなぐことのできない魔獣に届かない。
億が一にその言葉が届き人間を襲うのをやめても、最終目的である自分の大陸へ戻ることはできない。魔者にとっても魔獣は天敵。魔獣が見つかったらすぐに殺され、一緒にいた自分までもがきっと殺される。
不幸の連鎖。しかしこれはたったひとつの事で断ち切れる。それが残酷な答えであろうとも。
「あいつを殺す、しか、ないんだよな……」
リゼアは呟いた。痛々しいほど細々とした声で。
「もう、その為の道具も一応揃ってる……」目を伏せながら「実は今日、実行しようと思ってたんだ……」
ぐっと、拳を握り締める。熱いものが込み上げてくる。
「殺すなんて、駄目だよ」
クイの、精一杯の言葉だった。ようやく紡ぐことのできた言葉だった。
「殺すなんて間違ってるよ」
「じゃあ、どうすればいいってんだよ」
リゼアの押し殺したような声が、怒鳴り声に変わる。
「どうすればいいってんだよ! あたしだっていろいろ考えたんだよ! でもどうしようもないんだよ! あいつとずっといたって、あたしもあいつも、何もかも不幸にしかならないんだよ! あたしにとって、魔者にとって、あいつはもともと敵なんだよ! 人間よりも得体の知れない敵なんだよ! 友達だけど、敵なんだよ……」
リゼアの声は、消えていく。聞き取ることすら許されない、心の深くの声のように。
「わりぃ……頭こんがらがってきちゃった……、ごめん怒鳴ったりして」
リゼアは沈痛な面持ちで頭を抑える。
「ちょっと外歩いてくる。家の中で待ってて」
言うなり、リゼアは外へ出て行ってしまった。涙は見えなかったが、彼女は泣いていたのだろうか?
「フェリク……」
すがるように、クイはフェリクを見た。だって、あまりにも哀しすぎるではないか。なぜ想う気持ちが傷つけあわなければいけない?
フェリクの表情は穏やかだった。
「仕方が、無いんだよ」
クイの表情が、固まった。
「なによ……それ……」
二の句が告げなかった。仕方が無い? なんだそれ? 命を捨てることが仕方が無い? 自らの利益に反するから殺す、そんなやばんな考えとどこが違う?
感情が震える。理不尽な考え方に、だがそれに抗えないことへの慟哭に、感情が抑えきれずに爆発する。
「ふざけないでよ! フェリクも見たでしょ、あのリゼアの表情! 魔獣のことを大切に想ってるのに、だからこそ悩んでるのに! 仕方が無いってなんでよ!」
「クイ」
「フェリクだったらなんとかできるでしょ? いつも何でも簡単にやっちゃうじゃないっ。私にできない事なんでもできちゃうじゃないっ。なんとかできるなら私何個でもお願い事聞いちゃうからさ、なんとかしてよ!」
「クイ、聞いて」
「いやよ。絶対間違ってる。何かを見捨てなくちゃいけないなんて絶対間違ってる! あの魔獣を新しい場所に移すとかさ、リゼアに懐かせないようにするとか、人を襲わないようにするとか……」
自分がめちゃくちゃなことを言っていることは解かっていた。魔獣は人の言う事なんて聞かない。人間や魔者のことを餌だとしか思っていない。本能でしか動いていないはずの魔獣がリゼアに懐いたのは本当に類い稀なることで、しかしだからこそ誰かを守ろうとするその感情を切ることなんて不可能に近い。遠くへ運ぼうとしても、魔獣には麻酔も効かない睡眠薬も効かない。さっき気絶したけれど、ものの三分で起き上がり、また森に消えてしまった。遠くに運ぼうとしても、これでは途中で絶対に起き上がってしまう。そしたらその周りの人が殺されてしまう。成長した魔獣の動きを止めるには殺すしかないのだ。それ以外に道は無いのだ。解かっている、解かっているけど、解かりたくない、そんなこと解かりたくない。
「お願いフェリク、どうにかしてよ……」
クイは左手で、フェリクの胸を何度も叩く。魔獣のせいで怪我を負った右腕、これだって魔獣がリゼアを守ろうとしたからだ。あの魔獣はずっとリゼアを守ろうとしていただけなのに。
「いつもみたいにおどけながら、私を、リゼアを……あの魔獣を助けてよ……」
フェリクの胸の中でむせび泣く。感情が渦を巻く。結論へいたることの無いその感情は、クイの胸を焼いていく。
痛かった。苦しかった。まるで自分の事のように辛かった。命と言う概念を軽率に扱うことができなかった。いくらそれが、魔獣であろうとも。
普通の人だったらすぐに魔獣を殺せとか言うのだろうか。殺すのが当然だと言い張るのだろうか。クイにはできなかった。そんなこと考えられなかった。
フェリクは、小さく震えるその背中を、包み込むようにして抱き締めた。
「私が間違ってるのかなぁ……」
「ううん。クイは間違ってないよ。クイが正しくて、優しくて、きっと間違ってるのは最善の結論で」
右腕の怪我が、違う意味で痛い。
「きっと、それだけなんだよ」
フェリクの頬に一筋の涙が流れたような気がした。でもそんなこと今は気にならなかった。今はただ、悲しみに身を任せる。
数十分して、クイの涙も止まり気持ちが収まった頃、リゼアが戻ってきた。クイを見るなり、
「なんだクイ、泣いてたのか?」
と聞いた。泣きはらしたクイの目は、思う存分に腫れあがっている。
「……うん」
「思ったより素直なんだな」
「だって……」
クイは言葉に詰まる。言うべき言葉が見つからない。だがリゼアは、頷いた。
「あたし、やっぱり今日やるよ。前からの予定だったからさ」
リゼアは後ろにある棚から丁寧にビンを下ろした。透明のビンに密封されたそれは黒い液体。毒などの効きづらい魔獣に効く、数少ない毒物の一つ。
「これを食べ物に塗るんだ」
そしてどうするかは、口には出さない。
「これを飲み物に入れて、お前らに出そうかとも考えてたんだぜ」
アハハとリゼアは笑ったが、すぐに真顔になる。いろんな意味で笑える冗談ではない。
クイは訊いた。
「リゼア……本当に、いいの?」
「もう、決めたんだ」
躊躇い無く、決意を込めて、真っ直ぐ見つめ。
またクイは涙が出そうになった。ぐっと堪え、リゼアを見つめる。
「二人ともありがとうな」
リゼアは静かに、小屋を出て行った。
「おいで」
闇夜の森に、何も見えない木々の奥に、リゼアは呼びかける。もう日をまたごうとしているのにあたりが明るいのは、月明かりのせいだ。特に今日は満月で、手元がはっきり見えるほど明るい。
がさがさと、物音がする。リゼアはもう一度呼びかけた。心の中では、出てこなければいいと、強く思いながら。
「おいで」
茂みを掻き分けて、その魔獣は現れた。姿形の醜い魔獣。敵である魔獣。人間も魔者も見境無く襲う魔獣。そして、友である魔獣。
二人は満月に照らされていた。美女と野獣ならばそのスポットライトは喜ばれよう。しかし、二人の間には無意味なものでしかなかった。
尻尾をふりながら、のどを鳴らしながら、リゼアに近づき体を摺り寄せた。リゼアは優しく、その体を撫でてあげる。小さかった頃と変わらぬ温かさ。毛並みは整い、少しごつごつした体つきは、あまりにもいとおしい。
「今日は……いい天気、だね。すごい満月だ。ちょっと眩しすぎるぐらいだよ。月にはうさぎが住んでるって言うけど、どう思う? そのうさぎも、食えるのかな?」
唇を震わせながら。手に持ったそれを、恨みながら。
「お前に、た…食べ物を……あげ…ようと……」
言葉が続かない。目の前が濡れてゆく。泣いてはいけない。魔獣は聡いから、気付かれてしまうから。月明かりが、堪えきれず流れ出た涙を、残酷なほどに照らし出す。
魔獣はリゼアを見ていた。ドウしてそんなにナいているの?
リゼアは魔獣を抱き締める。ずっと、ずっと、強く、強く。
「ごめんな……ごめんな……」
カナしいの? あのニンゲンとマモノのせい? リゼアがそんなにカナしむんならボクがコロしてくるよ? それともチガうコト? ねぇリゼア、ナかないでよ。
リゼアは泣いた。魔獣に涙を押し付けながら泣いた。泣かないと決めていたのに。泣いてしまったら、魔獣を悲しませることが解かっていたのに。
魔獣はリゼアを泣き止ませる術を知らず、ただその場でリゼアを受け入れる。
リゼアはゆっくりと、魔獣に語りかけた。自らの思いを伝えていく。言い訳になるかもしれないけど、見苦しいかもしれないけど、言わずにはいられないから。
「お前がずっと小さかったら、一緒に居れたかも知れないのにな……魔獣じゃなかったら、一緒に居れたかも知れないのにな……。楽しかったよな。あたし本当に嬉しかったんだ。あたしお前に会えて本当に救われたんだ……」
ねぇリゼア、おネガいだから、ナかないでよ。どうしたらリゼアをタスけてあげられるの?
リゼアはそっと、魔獣から身を離す。
「これ、……食うか? お前の大好きな……肉……なんだ。柔らかい肉なんだ。月のやつじゃないけど、ウサギの肉でさ……」
手が震えた。今すぐにでも遠くに投げ捨てたかった。この世から消し去りたかった。ガクガクと心が震えた。手にかかる重さに潰されそうになった。
これをタべれば、リゼアはヨロコんでくれる? カナしまずにスむ? カナしまずにスむの?
魔獣はリゼアの手の平に載った肉を、一切れ食べた。リゼアは目を瞑っていた。背筋が震えた。いくつもの涙が地面へと注がれていく。
ねぇ、リゼア……ナかないでよ……カナしまないでよ……おネガいだから…………ワラ……って……よ……。
魔獣の足がふらついた、意識が朦朧として地面へと倒れこんだ。次の瞬間には、息をしていなかった。
一陣の風が吹いた。森がざわめいた。リゼアは跪きながら、しばらくあいだ泣いていた。
何があろうと日は昇り、空を赤がね色に染め、すぐに青に染め直す。ざくざくと土を掘る音が、朝の空気の中遠くまで響いていた。森の小動物たちも、何事かとその様子を見学しにくる。
やがてその音が消えると、大きな穴が出来上がっていた。どんぶり状のその穴に、リゼアは静かに魔獣を下ろしてやる。少ししてから、掘った時に出た土を戻していく。
危うくまた泣きそうになってしまったが、深呼吸をすると、不思議と気分が落ち着いた。
その様子を、クイとフェリクは遠くから見つめている。
「私たちは、手伝わなくていいのかな?」
「リゼアが手伝わなくていいって言ったんだから、大丈夫だよ」
邪魔をされたく無いのかもしれない。最後の最後まで、自分で始末をつけたいのかもしれない。それが友に出来る、最大限の手向け。
土がすべて戻ると、リゼアは木の枝を一本突き刺した。それから森で摘み取った花を添えてやる。
それから合掌し、静かに黙想した。
許してくれとは言わないけれど、友達のままでいて欲しい。それがあたしの願い。
リゼアは顔をあげた。命と引き換えにした自分の人生、活かしてみせる。
一礼して、小さなお墓の前を去った。
リゼアが二人の前に戻ってくる。その表情は随分と晴れやかだった。
「迷惑かけたな」
「そんな、全然大丈夫よ。ね、フェリク」
「うん。平気だよ」
「そっか」
穴を掘るのは結構な重労働。リゼアは伸びをして力を抜いた。
「さて、あたしはそろそろ出るよ」
もうこの小屋に用は無い。後は自分の故郷へと帰るだけだ。
「あんたらは、どうするんだ?」
クイは、気持ちを告げていいものかと悩んでいた。自分がふざけ半分で考えたものなのか、それとも本気で考え出したものなのか、よく解からなくなってしまったからだ。
「あ、あのね」意を決して「私、魔者の大陸に行ってみたいな、って思うんだけど……」
リゼアとフェリクの目が、驚きで見開かれる。
「お前人間だろ? なのになんで……って、あたしは魔者なのにここにいるから何も言えないけどさ」
「それを言ったら俺も反対できなくなるね」
リゼアは偶然だとしても、フェリクは故意にである。そもそも、フェリクに反対する意思があるかどうかは別問題だが。
「リゼア、あなたと一緒にいっちゃ駄目かな?」
「駄目って事はないけどさ……どうして?」
明確な理由はないが、やはりこれは、
「えっと……すばらしく偉大な、全知全能の神にも止められない探究心ってやつ?」
その発言に、リゼアは大きく笑った。フェリクも口を抑えて笑う。初めは笑われてむっとしていたクイも、つられて笑ってしまった。
笑いながら、クイは決心した。笑顔も一緒な魔者と人間がいがみ合う原因を調べたい。遊び半分じゃなく、本気で。
「本当についてくるのか?」リゼアは訊ねた。
「うん。私、魔者の大陸に行ってみたい」
「興味本位じゃ、ないんだね?」
フェリクは覗き込むようにして、クイの瞳を見つめた。それでもクイは怯まない。
「違うよ」
「後悔しない?」
「絶対しない」
これはきっと、大切なことなのだと、心の奥底が告げているような気がした。
三人はゼロ=グラウンドへと歩き出す。
HR
書きながら危うく泣きそうになった作者です。
推敲の為に読み直して、その度に切なくなった作者です。
前半のほのぼのパートと中盤以降のまじめパートを書く際のテンションが激しく違った作者です。
設定など〜。
リゼア 18歳ぐらい。身長は165センチぐらい。
髪は緑。瞳は黒です。と言うかこの世界の人は皆瞳黒。いま作った設定ですけど。
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