神がかりな力を持った剣でも、魔法で作り出したものではない。

正真正銘そこに存在している、だれもが触れられる実体である。

その場から誰の手も借りず消えることはおかしいと、小さい頃から、ずっとずっと思っていた。





参話










「検査の結果、残念ですが……」
 医者はカルテを見ながら、重々しく、とは無縁な感じで言葉を吐き出した。
「骨折ですね。打撲ではありません」
 打撲だったら良かったのだけれど。
 予想していたお言葉に驚くほども暇じゃなく、クイはただ、利き腕を使えないことの面倒臭さが続くのかと、ため息をついた。
 三人は森の南側、魔獣退治の依頼を請けた町に移動していた。ゼロ=グラウンドがそちらの方向なのと、クイとフェリクの旅の準備や長への報告、あとは右腕の怪我を診てもらう為である。
 初めは町の長へと報告に向かった。リゼアはさすがに中に入りづらく外で待機だ。長に魔者には逃げられたが魔獣は退治したと言う報告をすると、報酬の半分もらう事ができた。本来だったら依頼を完遂できなければ報酬は地にまで落ちるのだが、今回のは今回で、魔獣さえいなくなれば町は安全になるとの事で、結構な報酬をもらうことができた。
「全治二週間って所ですね」
 その後に病院に向かう。そして今回もリゼアは外で待機。人間の町で建物の中に入るのは少々怖い、だからできるだけ避けたいのだと言う。フェリクはそんなことまったく気にせずに、クイの後ろで医者とクイのやり取りを見ていた。
「でもヒビが入っている程度ですので、安静にしていればもっと早く完治しますよ」
「でも私、今日明日にでもこの町を出ないといけないんですけど……」
「旅人さんでしたね。歩くぐらいだったら問題ないでしょう」
 クイはほっとした。出発が遅れて、リゼアに迷惑を掛けることになっては申しわけないからである。
 病院を出てリゼアと合流。お天道様はまだ高々と昇っている。森を抜けるのにリゼアが使っていた簡単な道を通ってきたので、帰りは行きの半分以下の時間で済んだためだ。三人は協議し、日が落ちるまでに次の町に行けるだろうとの事で出発した。
 予定通り旅は進み、日が沈むまでには次の町についていた。報酬で宿に止まり、次の日にまた違う町へと進む。クイの右腕のせいで少しばかりスローペースになったが、六日後、ゼロ=グラウンドまであと数時間という町までやってきた。
 リゼアが探り出した監視の抜け道は夜半のため、早々と宿を取り体を休めることにした。この町までの道のりは山越えだったため、足が悲鳴をあげていたのだ。調度いい休息である。
 宿を取り部屋に入るなり、リゼアはベッドにダイブイン。スプリングが衝撃を跳ね返し、彼女の体を何度も揺らす。
「あっは、やっぱりベッドは最高だなぁ」
 両手を広げてようやく端に届くぐらい大きなベッド。シルクのシーツに羽毛の布団。ベッドの足には彫刻が施してあり、四つ角の柱には天使が彫られている。寝るときに視線を感じてしまいそう。
「しかもこの布団もすげーふかふか……今までで一番じゃないか?」
 手でパシパシとベッドを叩きながら、恍惚した表情で語るリゼア。そんなリゼアを見ながら、クイは隣にあるベッドに腰掛けた。
「リゼア、本当にベッドが好きだね」
「もちろん」
 枕に顔を押し付けながらだったので少々聞こえづらかったが、リゼアの声は随分はずんでいた。
 小屋にあったベッドは板に薄っぺらい布を敷いたぐらいのもの。固い床に寝ていたようなもので、ベッドとは程遠いものだった。小屋生活に慣れていったとは言え、その固いベッドは最後までリゼアには大敵だったのだ。
 魔者の大陸に戻るまで野宿の予定だった。人間の町に入って宿屋に入るのが怖かったのだ。ただ、クイもフェリクもいるということで、リゼアは宿に泊まることにした。
 宿屋にはベッドがある。一番安い部屋でもベッドがある。魔者の町までお預けだと思っていたリゼアにとって、それは望外の喜びだった。
「羽毛布団だ……羽毛だぁ……」
 今回は、リゼアの人間の大陸最後記念と言うことで、ワンランク上の部屋を取った。そしたらベッドもワンランク上だ。
 クイもこのふかふかベッドや広い部屋にはうきうきしていた。ランクが違う待遇に、自然と頬が緩む。
 いままでクイも節約のために松竹梅の梅かそれより下しか宿は取らなかったのだ。貧乏人なのだ。毎日こしらえないといけない宿なんかに金なんかかけてられない。
 聖剣を手に入れて人王になった暁には、毎日ふかふかキングサイズのベッドで大の字になれるのに。大勢の使用人をはべらせて、大きな湯船があって、その後はマッサージなんかもして、当然豪華な食事が一日三食出て、おやつも二回あって、暇な時にはティータイム、貴婦人と一緒に優雅に過ごすのだ……。
「なあ、フェリクってカッコいいよな」
 妄想の中の貴婦人が一瞬にしてフェリクに変わった。クイの顔が引きつり絶句する。フェリクは微笑みクッキーをクイに食べさせようと迫ってきた。しかし冷静にソレにフォークを突き立てると、現実へと戻ってきた。
「え? 誰がなんだって?」
 リゼアはベッドに座り、クイに体を向けて、改めて言った。
「だから、フェリクってカッコいいよなって」
 本当は断固否定したかったが、クイも初めて出会った時は、フェリクの事をカッコいいと思ってしまったことがある。転びそうになって支えられて、あのマスクで微笑まれ、『大丈夫ですかお嬢さん』と言われてしまった日には、それなりにときめいてしまうものだ。今となっては一生の不覚なのだが。
「突然何? あいつのこと……好きになっちゃったとか?」
「んー、この一週間近く付け入る隙無いかなって観察してたけど、フェリクってどう考えてもクイしか見てないからな」
 一応それなりにフェリクに聞いてみた。フェリクの趣味とかいつも心がけている事とか好きな食べ物とか。そしたら、
『クイをからかったり触る事』
『クイと一緒にいる事』
『むしろクイ』
 クイはおいしくないぞって言ったら、フェリクはそれを否定した。
『いや、クイはかなりおいしいよ。まだ食べた事無いけどね。後、他にもいろいろとおいしい訳があるんだよ』
 するとフェリクはクイに訊ねた。
『クイ、赤ちゃんてどうやって生まれるか知ってる?』
『馬鹿にしないでよ。コウノトリが運んでくるんでしょ』
 迷い無く即答。クイの表情には一抹の自信すら伺える。
 嗚呼、これはおいしい訳だ。リゼアもクイの事を可愛いとも思ってしまった。
「……まぁ、いろいろな理由もあって鼻から諦めてるよ。ただそれなりに憧れはあるけどな。それにやだろ、お前だって。フェリクが突然あたしの事好きだーとか言ったら」
「別に私はあいつを好きじゃないから、関係ないわよ」
「『本当』に?」
 強調されて、クイは何故か返答に窮してしまった。こんなの、即座に返答できる問いなのに。
 気を取り直して、クイは言った。
「当たり前よ」
「ふーん」
 にやにやと笑みを浮かべているリゼアのことが少々不愉快だが、とにかく自分がいかにフェリクを嫌いかを諭しておく。
「アイツケダモノよケダモノ。隙があればくっついてくるし、すぐ迫ってくるし、状況構わず抱きついてくるし、恥ずかしいセリフも簡単に言っちゃうし、それに性格は実は腹黒だし、何考えてるかわからないし、嫌いな食べ物タマネギとかで子供っぽいし、寝癖とかあまり気にしてないみたいだし、自分の興味あることしか覚えないし、よく食べるくせに全然太らないし、三日前なんて靴下に穴開いてて、ズボラったらありゃしないし、あとそれから……」
 フェリクの欠点を羅列していくクイ。リゼアはクスリと笑った。もはや欠点でなく、特徴になっている。
 クイは気付いているのだろうか。何個も欠点を述べられるほど、フェリクを見ている事を、知っている事を。
 少しだけ、羨ましいと思った。この二人の関係がいい感じに交じり合っているようで。
 だがそれならそれで、疑問が残る。
「なんでお前あいつの事そんなに毛嫌いしてるんだ? 生理的に合わないってんなら別だけどそんな事はなさそうだし、魔者だって事も関係ないんだし、なにか理由あるんだろ?」
 待ってましたと言わんばかりに、クイの瞳に火が入る。小さな手で作られた握りこぶしはあまりにも大きい。
「……あいつは、あいつは!」
 忌々しい思い出がぶりかえってくる。特殊効果が部屋に出現した。雷が鳴り響く嵐の中、断崖絶壁の上で背に荒波を携え、クイは叫ぶ。
「私の初めてのキスを奪ったのよ!」
 竜虎の如きその気迫と、後ろに見える壮絶な背景に、リゼアは拍手を送った。
「酷いと思わない? 出遭ってから一日目でいきなりよ? 今思い出してもムカムカする!」
「どんなシチュエーションだったんだ?」
「……その時は、あいつにちょっと貸しがあった時で、どんな事言われてもある程度の事は『いいよ』って答えてたのね。一緒に旅しようとか、明日から剣の稽古始めるよとか、おはようの挨拶とおやすみの挨拶は絶対しようとか、簡単なことしか言ってこなかったし、途中からふざけた質問になってきて、適当にいいよどうぞって答えてたら、最後に『キスしていい?』って聞かれて、勢いで『いいよ』って答えて、気付いたときには……。酷いよね!」
 確かに酷いな、と言いかけて、リゼアは重大な事に気がついた。
「自爆じゃねーか」
「だからこそ余計むかつくのよ!」
「でもそんなに嫌う事はないだろ? そんなに嫌なのか?」
「当たり前でしょ! あいつは魔王なんだから」
 言い終えてから、クイは血の気が引いた。フェリクが魔王だと言うことはいままで出来るだけ口外しないようにしてきたし、フェリクにもなるべく言わないようにと伝えられている。一度魔王だという事がばれて厄介事になってしまった経験があるのに、勢いでやってしまった。またもや自爆だ。
 恐る恐るリゼアを見ると、思ったより驚いてはいないようだった。むしろなるほどと納得しているようだ。
「魔王ねぇ。ま、唇奪われたんじゃ、そう言いたくもなる気持ちもわからんでもないな。でも、魔者を目の前にしてその表現は良くないぞ。あたし達は人王をあくどい奴の比喩に使うからな。魔者の大陸に行ってからその表現使ったらばれちゃうぞ」
 フェリクは本当に魔王なのだが、勘違いしてくれているのなら好都合。クイはほっと胸をなでおろす。
「とにかく、あいつは最悪最低、存在する価値もないやつなの。いるだけで空気が腐敗しちゃうの。解かる?」
「酷いなークイ。そこまで言われたら俺傷付いちゃう」
「あんたに傷付く場所があるとは思えないけどね。 っていうか離れてよ!」
「えー」
「えーじゃないっ」
 いつの間にか、フェリクは後ろからクイに抱きついていた。シャワーを浴びた後だったのか、フェリクの髪は濡れ体が火照っている。クイはそこから逃げようとしたが、右腕の怪我のせいで思うように振りほどけない。
 そんな格闘の最中に、フェリクとリゼアの目が合った。言わずもがな、リゼアは理解した。
「あたしちょっと散歩行ってくる」
 リゼアは立ち上がった。もちろん、部屋の外で立ち聞きする気は満々であるが。
「ちょ、待ってリゼアっ。二人きりにしないでよ!」
「フェリク、クイはイヤだってよ」
 リゼアはまたベッドに腰掛ける。バフンと羽毛布団が音を立てた。
「人に見られてた方が燃えるのか?」と、リゼア。
「そんな訳ないでしょ!」
 相変わらず格闘、フェリクは悠々と抵抗を受け流しているのに対し、クイは半ば諦め気味。勝負は決しているようだが、リゼアは気にせずフェリクに訊ねる。
「フェリク、お前どうやってこの部屋入ったんだ? 扉には鍵かかってたはずだけど」
「愛の力」
 予想はしていなかったが、聞けば納得する答え。事実はきっと、窓が開いてたか、実はドアに鍵がかかってなかったか、合鍵を借りてきたかだろう。こじ開けた、ピッキングしたという手段も、ないわけではないが。
 クイは最後の抵抗をみせたが、しかし見事に制圧されると、ため息をついて脱出を諦めた。目線を上にあげ、
「で、私に抱きつくためだけにこの部屋に来たんじゃないんでしょ?」
「八割はそれだよ? 願い事も叶えて貰ってないしね」
「願い事……?」
 しょっちゅう願い事は発生しているので、いったいいつの事なのかを考える。何回かばっくれている時もあるけれどそれは無いと仮定して考え、クイは思い当たる。
「あれは、結果フェリクがやらなくても平気だったんだから、無効でしょ」
 リゼアに会う直前、聖剣を使って魔獣を倒そうとした時の事。魔獣を倒そうとしたけれど、リゼアが飛び出してきたので、フェリクは攻撃の軌道を変えて気絶させたのだ。つまり、あの時に聖剣を使わなくても平気だった、と言うのがクイの主張。
 リゼアを気遣い、出来るだけ魔獣という単語を避けながら話す。
「違うよ、あれは予定だったんだよ。俺でもいきなり軌道を変えられる訳ないでしょ?」
「本当?」
「本当」
 相も変わらず涼しい顔でフェリクは言った。今までもそうだ。フェリクの表情が崩れた事は、クイですら一度も見たことがない。
 喜怒哀楽、一顰一笑の基本的な表情変化はあるのだけれど、腹のそこから笑うとか、目を吊り上げて怒るとか、飛び跳ねて喜ぶとか、そのような過剰な感情を表に出さないのだ。悲しんでいる時だって、涙は――。
「ねぇ、フェリク、あの時泣いてたの?」
「あの時って?」
「だから……あの時」
 つい最近だった事は覚えているのだけれど、正確な時を覚えていない。その瞬間だけは鮮明に焼きついているのだけど、記憶の流れからは完全に孤立している。いくら思い出そうとしても、完全にパーツとして残っていて、どこにも当てはまらない。
「うーん、わからないけど、俺泣いたことないから、気のせいじゃない?」
 やっぱり表情は崩れない。流れたと思った涙、これは勘違いだったのだろうか。それともフェリクが嘘をついているのだろうか。そしてもし嘘をついているのだとしたら、それは何故なのか―――。
「それよりクイ、キスしよ」
「は?」
 突然話題が明後日の方向を向いたので、間抜けな声をあげてしまった。
「願い事ってこともあるし、それに初めてのキスを奪った魔王だし、隙があればくっついてくるし、すぐ迫ってくるし、状況構わず抱きついてくるし、恥ずかしいセリフも簡単に言っちゃうし、それに性格は実は腹黒だし、何考えてるかわからないし、嫌いな食べ物タマネギとかで子供っぽいし、寝癖とかあまり気にしてないみたいだし、自分の興味あることしか覚えないし、よく食べるくせに全然太らないし、三日前なんて靴下に穴開いてて、ズボラったらありゃしない俺だし、いいでしょ?」
「聞いてたの?」
「そりゃ自分の名前が出たら誰だって気になるでしょう? ま、そういうことだから、いいでしょ」
「よーくーなーいー!」
 じりじりと唇を狙ってくるフェリクを、精一杯の抵抗で遠ざける。
「リゼアもいるんだから、やめてよ!」
「いないよ」
「へ?」
 目の前のベッドを確認すると、確かにリゼアの姿はなかった。書置きがあり、小さい文字で『お邪魔虫は退散します』とだけ……。
「ね、リゼアも解かってくれてるんだよ」
 確実に距離は近くなっていた。まずい、本当にまずい。両手が使えれば抜け出してかかと落としの一つでも喰らわせてやるのに。片手一本使えないことがこんなに不自由だなんて。
 だけどこのハンデ、利用できない事も無い。
「フェリク、右腕が痛いよ」
 これでさすがのフェリクも引いてくれるだろう。怪我人にこれ以上の負荷を与える事は人としてやってはいけないことだ。『やめてあげる』とか押し付けがましく言いながらも離れてくれる、はず。
「じゃあ舐めてあげる」
 クイは言葉の意味を掴む事が出来なかった。やめてあげると発音が類似していた事と、何より、クイが予想していた返答リストのどれにもかすりもしなかったからだ。クイの思考が少々麻痺。もしかして聞き間違えたのか? それとも、何かを聞き逃したのだろうか?
 そんなクイを後目にフェリクはいそいそとクイの包帯をほどいていく。クイが気付いたときにはすでに遅く、包帯をほどき終わった後だった。フェリクの顔が、腕に近い。
「え、フェリク! それはやっ……」
 クイは思わず目をつぶった。
 生暖かくざらざらしたものが腕を這う。それは優しくゆっくりと昇って来る。と思ったら今度は下降し始める。今度はソレが当たる範囲が拡大して、こするように動いている。そして徐々にその温かさはなくなってきて、次第に冷たくなっていった。
 クイは目を開けた。
「…………タオル?」
「うん。拭いてあげようと思って」
「だってさっき舐めるとか……」
「して欲しかった?」
 ぶんぶんと首を横にふる。フェリクはにこりと微笑んで、タオルをお湯が張ってある洗面器につけ、ぎゅっと絞った。
「ごめんねクイ。俺がもうちょっと気を付けてれば骨折なんてしなかったのに」
 タオルを広げ腕にあてがう。触れた時に痛くなりそうで怖かったが、そんなことなく、丁寧にフェリクは腕を拭いていく。
「なんであんたが謝る必要があるのよ」
「だって、俺がそばにいたのに、クイに怪我をさせちゃったから」
 クイは戸惑ってしまった。フェリクは表情に影を落とし、ただ淡々と、それが償いであるかのように作業を続けていく。
 初めてだ、こんな表情を見せるのは。だからクイはどうしていいのか解からない。あれはどう考えても自分が悪い事なのに、どうして自分が悪いなどと言うのだろう。どうして自らの責任にしようとするのだろう。
「フェリクのせいじゃないよ」
 自らを責めるフェリクに、ゆっくりと語りかける。
「だって、フェリクは弱かった私をここまで鍛えてくれた。昔のままだったら魔獣と対峙しただけで死んじゃったようなものだもの。フェリクから剣術とか、体術とか、魔術とか、いろいろと教わって、すごく感謝してるんだよ? だから、この怪我は私のせい。教わった事を活かしきれなかった私のせいなんだから。あの時に受身がきちんと取れてれば平気だったし、その前に競り勝てないんだって解かった時点で受け流しておけば良かったのよ」
 そう、フェリクのせいであるはずはない。もう十分すぎるほど、フェリクに護られているのだから。
「だから、フェリクが気に病む事はないんだよ?」
 どうしてこんなにも優しくしてくれるのだろう。私は人間でフェリクは魔者で、もし私が聖剣を手にし人王になったら、紛う事無く私たちは敵になる。共にいられない、親しく話すことも出来ない、こうやって触れることなんて天地がひっくり返ろうと不可能になる。
 ならば旅を妨害するか、中断させるか。一緒にいたいと考えるなら普通それぐらいしか思いつかない。しかしフェリクはそれをしない。ただ私についてくるだけ。悲しいことがあったら慰めてくれ、困った事があったら助けてくれ、私をずっとずっと支えてくれ、彼は、私のして欲しい事をよく知っていて。
 どうして私は彼の事を何も知らないんだろう。なぜ彼は何も語ってくれないんだろう。王になる前の彼を私は知らない。王として君臨していた時の彼を私は知らない。お城を抜け出し、私を見つけるまでの彼を私は知らない。私を好きになった理由もわからない。ついてくる理由も解からない。そして、もし私が聖剣を手に入れた時の、その後も……。
 フェリクはいつの間にか作業の手を休め、こちらを見つめていた。フェリクはそっと、大きな手の平をクイの頬に添える。
 その手を払う気は起きなかった。自分に触れている手がいとおしいとさえ思った。
 フェリクはクイの後ろ頭に手を添えて、右腕を支えながら、ゆっくりとクイの体をベッドに倒す。映画のワンシーンのように、一連の動きはすべて計られたように進んで行く。
 肢体が麻痺したように、それを受け入れていく。視界にはフェリクしか居らず、頭がぽーっとしてくる、何も考えられなくなる。天使の羽根に包まれているように身体が温かい。
 いつもだったら抵抗しているのに。普通だったら抵抗するのに。あれ? なぜ抵抗するのが普通? 普通ってなあに? なんで抵抗しなくてはいけないの? 抵抗する事に、意味はあるの?
 フェリクはクイの髪を掻き揚げ、そこから現れた額に口づけをした。
 クイはきゅっと目を瞑った。フェリクを近くに感じた。体が熱くなってきた。胸がはちきれそうなほど鼓動を打っていた。
 抵抗しないのは、もしかしたら、こうなる事を望んでいたから?
 クイの身体が強張る。フェリクはクイの小さな唇を指でなぞり、緊張を和らげようと頭を優しく撫でながら、口づけを落とし――。
「そこでなにやってるんだい!」
 怒声がどこからともなく飛んできた。二人はその場で硬直した。今の怒声は自分たちに向けられたものではないという事を判断して、声の元へ耳を傾ける。
「え、あ、あたし?」
「そうだよ、あんただよ。盗みに入ろうとしてるんじゃないだろうね?」
「違う違う。あたしこの部屋借りた客だよ」
 扉の一枚向こうでその会話は行なわれていた。いや、扉がなぜか半開きなので、その声は直に届いてくる。
「んー、あー、あんたね。確かに部屋貸した記憶があるよ。あんたらの一人にカッコいいお兄ちゃんがいたでしょ? だから覚えちゃってねぇ」
「はぁ」
「あんた、変な事してないで部屋に入りなよ。ずっと変な格好でいたもんだから、ついどろぼうかと思って大声出しちゃったじゃないか」
「おぅ、わりいな、それじゃ」
 もともと開いていた扉がさらに開いて、そこからリゼアが現れた。
「よぉ、えっと、宿主に怒られちまったよ」
 バツが悪そうに、アハハハと苦笑している。心なしか視線はこちらから反らされていた。
「そうだな、フェリク、お前の部屋の鍵貸してくれよ。あたしそっちで休むから」
「ど、どうして?」
 どうしてと訊いたクイだが、逆に問われたリゼアがどうしてと言わんばかりに怪訝そうな表情になる。
「クイ、やっぱりお前、見られてたほうがいいのか?」
 その言葉一つで、パチンとクイの頭にスイッチが入った。今までせき止められていた分の電気が突然流れ出し、急速に稼動し始めた。
「あ、あ、あ―――」
 私は何をしているんだろう。私はどうなっているんだろう。腕の包帯はほどかれている。私はベッドに寝ている。フェリクが覆い被さるようにしてすぐそこに居る。服も下着が見えるぐらいにはだけている。今さっき、キスをされそうに―――。
「―――ぃやぁぁぁぁぁっ!」
 ぼっと顔が赤くなる。慌てて服の乱れを直した。それからクイは左手の拳を固めると、起き上がると同時にフェリクに向かって繰り出した。だがそれはひょいと避けられてしまい、空を切った拳に引っ張られ体勢が崩れ、右腕に変な負荷がかかり激痛が走った。
 今度こそ真っ二つに折れたんじゃないかぐらいの痛みを覚え、声すらあげられずクイはベッドにうずくまる。
 クイは泣いた。本気で泣いた。痛みのせいか、先ほどの出来事のせいか、はたまたそれ以外のせいか。いろいろと理由を見出してもなぜか納得できないが、とりあえずフェリクが悪いという事だけは理解した。
「フェリクのバカ。最低。嫌い。大嫌い。おたんこなすのあんぽんたん!」
 腕の痛みと止まらない涙とで行動が制限されながらも、フェリクを睨みつけひたすらに罵倒の言葉を呟いていく。
 フェリクがハンカチを差し出しても跳ね除け、腕の包帯を巻きなおそうとしても断固拒否し、仕方がないのでフェリクはリゼアにクイを一任する事にした。
「よしよし、泣かない泣かない」
「だってぇ、フェリクったら私に催眠術かけたんだよ」
「本当か?」
「じっと私の瞳見てたと思ったら、急に力が抜けてね、あれは絶対催眠術よ」
「俺そんな事出来ないよ」
「うるさい!」
 有無を言わさず一言で一蹴。フェリクは引き下がるしかない。
「腕平気か?」
「うん。ちょっとじんじんするけど、もう痛みは引いてきた」
 怪我が酷くなってないようなので一安心だ。もし悪化していたらフェリクを睨み殺していた所だ。それ以前に、今もじと目で睨みつけているものだから、睨み殺すためには相当の眼力が必要になる。
 出てけ出てけとっとと立ち去りやがれ、そんな念を視線と共にフェリクへと飛ばしていた。初めは抵抗を見せていたフェリクも、これは勝てそうも無いと両手を上げて降参し、部屋を出ようと立ち上がった。
 勝利である。初めての勝利だ。なるほど、これからは強気な態度で追い払おう。まぁ毎日では可哀相だから、飴と鞭をそれなりに使い分ければいいんだ!
「なぁ、フェリク、ちょっと待って」
 去ろうとするフェリクをリゼアが呼び止めた。クイの勝利の喜びがかき消され、なんで引き止めたんだと、睨みがリゼアへと向けられる。
 まぁまぁとリゼアはクイをなだめながら、あまり刺激しないように、フェリクと対話を続ける。
「訊きたいことがあるんだ」
「何?」
「さっき……というか結構前だけど、クイを抱き締めに来たのが八割だって、言ってたじゃないか? 残りの二割はなんなんだ?」
「大した事じゃないんだけど」そんなことを言いながら、表情は固い。「少し出る時間早くしようって言おうと思ってたんだ」
 リゼアがどうして? と問うと、何となく、と言う答えが返ってきた。
 何かそうした方がいいという情報源があるのか、それとも第六感と言う奴なのか。それは解からないが反対する理由も見つからないので、リゼアは同意した。クイはと言えば、初めは反対しようとしたが、リゼアが同意したので理由も無くそうする訳にもいかず、渋々同意する。
「二時間ぐらい早くしよう」
 フェリクの提案にリゼアは頷いた。クイはぶすっとしながら、フェリクに背を向けて賛否を答えない。二度目も易々と同意するほど、クイのプライドも柔ではなかった。
「クイ、それでいい?」
 フェリクは訊ねたがやはり答えない。意地になってしまったようだ。
 意固地になられたらクイには勝てない。フェリクは承知していた。だから先ほどもあっさりと身を引いた訳で。
 フェリクはクイの隣に座る。
「クイごめん。謝るよ。クイを怒らせるつもりは無かったんだ」
 続けて二言三言フェリクが謝罪をすると、さすがのクイも少し折れてきた。こんなくだらないことで時間を費やしても仕方が無い。不承不承、クイは呟いた。
「……それでいいよ」
「本当に?」
 肺腑を抉る思いでいいよと答えたのに、訊き返すとは何事だ。クイは無性にイライラしていた。
「良いって言ったでしょ」
「クイ嫌そうにしてたから、本当にいいのかなって思って」
「だからいいって」
「一時間とかじゃなくていいの?」
「だからいいよ」
「それで本当にいいんだよね?」
「いいってば」
 ああっ、どうして何度も聞き返してくるんだ! こっちはむしゃくしゃしていると言うのに失礼極まりない。堪忍袋の緒は髪の毛一本ぐらいの細さしかない状態だって事を、怒鳴り散らして知らしめてやる。
 クイは決意を固めた。
 フェリクは訊いた。
「キスしていい?」
「いいって言ってるでしょ! 何度言ったら解か―――」
 クイがすべてを理解する前に、フェリクはクイの唇を奪っていった。触るような掠るような攫って行くような、一瞬のキス。クイの表情と思考は完全に硬直した。
「じゃあ予定の二時間前に出発ね。おやすみ、クイ」クイの返答が無いのを見て「ほら、おやすみは?」
「お…やす……み」
 クイは呆然としていた。フェリクは悠々としていた。リゼアは笑いをかみ殺していた。
 フェリクは、じゃあ、と手を挙げ、部屋を出て行った。
 リゼアはその後ろ姿を見ながら、いつか頃合いを見て先ほどの戦法をクイに試してみようと思った。それから、クイと距離をおき、耳をふさぐ。クイの次の行動を予測しての一手である。
 クイはリゼアの予想通り動いた。わずかに頬を朱に染め、全身をわなわなと震わせて、そして全身全霊を込めて叫ぶ。
「フェリクのバカっ! 大嫌いっ!」大きく息を吸いこんだ「死んじゃえっー!」
 宿中に、絶叫は響き渡った。

 ――後に宿主に注意されたのは、言うまでも無い。




 HR
   フェリクが賢いんじゃありません。クイがバカなんです(酷)
   書くたびにバカになっていきます。単純と言う意味のバカですけど(でも酷)

   『一抹の自信』は故意に使いました。
   次回はファンタジー色が強くなる、予定。






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