列車強奪の依頼から半年近くが経過した。
 流れた月日とは裏腹に、儀式の手がかりはまったく手に入っていなかった。というより、金稼ぎに没頭しないと生活費がままならなかった為、儀式の手がかりなんて探している余裕がなかったのだ。
 その忙しさと言えば、休む間もなく躍起になって働いたのに、件の依頼で得た大金貨五十枚という大金を跡形もなく使い切ってしまったほど。膨れ上がっている生活費の大半は当然コトリの食費だ。
 嗜み程度に飲んでいた酒を絶ち、娯楽すら切捨て、生きていくために最小限の買い物しかしなかった。さらに毎日のように厳しい仕事をしても、金が湯水のようにコトリの腹へと消えていく様に文句も言えずに過ごしてきたこの半年は、オクターにとって地獄のような日々だった。
 最近はコトリが依頼に慣れてきたのと、彼女のライセンスの向上により、お互い別々の依頼を請けてもそれなりの報酬を得られるようなったため、金を心配することは減ってきた。二人とも能力が高いため、本来は単独でもハイリスクハイリターンの仕事を難無くこなせるのである。
 先日、それぞれ大金貨三十枚の大仕事を終えたので懐に余裕が出てきた。これでようやく一段落したので、成竜になるための儀式について本格的に考えようとした矢先、スルトに呼び出されたため酒場にやってきている。
「どうせ下らない用件なんだろうけどな」
『今日は俺の奢りだ!』とスルトは言っていたが、そういう時にろくな用件を告げられたことはない。
 オクターはジョッキを持ち上げると、ぐいと酒を飲み干した。久しぶりの酒の味に思わず涙がこぼれそうになる。
 今日はスルトの奢りだし、死ぬほど飲んでやろうと強く心に誓った。
「例えばどんな用件?」
 机いっぱいに広がっている皿の上の料理を一つずつ処理しながら、コトリが訊ねる。
「基本的に雑務なんだけどな……家の掃除が一番多いな。あいつは大量に物を買ってくるくせに生理整頓をしないから、腐臭がするごみ屋敷化しててな、掃除を手伝わされるんだ。しかもそれをギルドの依頼としてもってきて、俺に破格の値段で引き受けさせるんだよ。この前なんて三日も掛かったのに報酬は飯だけだったな……」
 コトリは既に十皿を平らげている状況。このペースで行けばスルトが来る前に三十皿は完食しそうだ。
(コトリがいれば、飯代だけでも充分な報奨になりそうだな)
 スルトにはコトリの食欲のことを教えていない。スルトとの付き合いはもっぱらギルド内なので食事を共に取ることは滅多になく、意図的に隠していたこともあって今まで話す機会がなかったのだ。
(俺も言ってやらなかったんだから人が悪いな)
 果たしてスルトはこの金額を払うことができるのか。少なくとも後悔することは間違いない。
「コトリ、たらふく食って良いぞ」
「本当? じゃあいっぱい食べる」
 コトリは店員を呼んで、ためらうことなく十品を追加注文。
 オクターはスルトに向かってご愁傷様と心にもないことを呟いてから、店員に高い酒を注文した。
「スルトが来るまで、次の目的地でも決めておくか」
「オクターに任せる」
「お前も一緒に考えるんだよ。成竜になりたいんだろ。これぐらい考えようとは思わないのか?」
「成竜にもなりたいけど、今はご飯が大切。せっかくいっぱい食べていいって言われたんだから、頑張らないと」
「話し合いに参加しないなら、明日から飯抜きな」
「それはちょっと困る」
 最近はコトリの扱いにも慣れてきた。最も簡単な方法は飯をダシに使うこと。飯関係で脅せば大体主導権を握れるので、そこは有効的に活用させてもらっている。
「で、どこ行きたい?」
「西に行ってみたい」
「西というと、海の方か」
「うん。この町ではあまり食べられない魚をいっぱい食べたい」
「実にお前らしいくていい意見だ」
 西に行くとしても拠点となるのはギルドのある場所に限られる。
 ギルドは大きな町の隣町に設置されていることが多い。オクターが通っているギルドもその典型で、この町の隣町は列車も通っているこの地域最大の町である。
 その理由は、自由稼業者がたむろすると治安が悪そうに見えるとか、喧嘩が絶えない町になるとか、それ以前にギルドが胡散臭いとか、つまりギルド自体いいイメージがないのである。自由稼業者を仕事に使うなら便利だが、プライベートまでは共にいて欲しくないのだろう。
 それはともかく、オクターは一つ訊ねたいことがあった。
「お前以外にもドラゴンはいるわけだよな? 例えば他のドラゴンに会って、方法を聞くってのは無理なのか?」
「無理じゃないと思うけど、他のドラゴンがどこにいるのか解らない。世界中に散ってると思うし」
「近くに行ったら、そいつがドラゴンだとかは解るのか?」
「解らない。竜眼さえ使ってくれれば別だけど」
 日常生活で竜眼なんて滅多に使わないし(使われたら迷惑だし)、判別はほぼ不可能と言うことか。
「ところで、お前のひとつ前のホワイトドラゴンってどうなってるんだ?」
「もう死んでると思う。ドラゴンの力って強大だから、同じ時期にたくさんドラゴンがいると世界が歪んじゃうの。一種類につきドラゴン一体、つまり全部で五体しかこの世にいてはならない。それは世界が生まれた時から今まで続く定め。だからいないと思うんだけど、わたしにも良くわからない」
 死体がどうなってるのかとか、人間とドラゴンどっちの姿で死ぬのかなど気になることはいくつかあるが、コトリも推測しか述べられないようなので聞くのは止めた。
「他のドラゴンは当てにできないとなると、コトリの言う通り適当に西に行ってみるのも手だし、ドラゴンに関わる遺跡や地域などを徹底的に当たるのも手だよな」
 普通に考えれば後者の方が手がかりになる可能性は高いのだが、遺跡や神殿みたいな過去の遺物的なものにはまったく興味がわかないので、願わくば行きたくない場所ではある。
 かったるいイメージしかないというのが彼の感想。古の賢人の教え! 過去を知り今を知れ! みたいな大々的な煽り文句には反吐が出る。一般人が見たって賢人の教えを理解できるわけがないし、それなら無意味と言うことだ。彼から見れば遺跡めぐりを楽しんでいるやからは変態なのだ。賢人の教えを理解できる奴はもっと変態だ。逸汎人だ。
 とはいえ、行き詰まったらそこを当たるしかないので、その時は諦めようと思っている。
(ドラゴン関係といえば、シーニアも怪しいんだよな)
 オクターはコトリの首に掛けられている、ダイヤモンドの宝石があしらってあるペンダントを見つめた。そのペンダントには、よく見ないと解らないが正面を向いた勇ましいドラゴンの文様が刻まれている。
 貧困だった彼らには似合わないこの美しいペンダント。実はシーニアから請けた列車強盗の依頼で、唯一ちょろまかした一品である。
 初めはそんな気はなかった。数少ないゴールドライセンスを持つオクターだからこそ、そんなささいな所でミスを侵すのは馬鹿らしいと考える。
 だけど、この時はどうしようもなかった。魔が差したかのように右手がこのペンダントを掴み、ポケットに放り込んでいたのだ。
 当然ながらスルトには内緒。ばれても自由稼業者を辞めさせられるなんてことはないだろうが、弱みに付け込まれて何を要求されるか解ったものではない。二人だけの秘密だ。
 本当は売って食費の足しにしたかったのだが、コトリが欲しいと言ったので現在は彼女の首に掛けられている。食べ物以外に欲しい物があるなんて驚きだったが、ドラゴンに関わりが有りそうなものだから身に付けておきたいのだろう。
 このペンダントも盗品だとは思うのだが、盗品リストを調べても該当しなかったため安心して身に付けていられる。
(盗品リストに載っていなかったからこそ、余計に怪しいペンダントなんだよな)
 自分が魅了され、コトリも惹きつけられたペンダント。
 シーニアの話題を出すとコトリがなぜか不機嫌になるので避けるようにしているが、やはり彼女が何か鍵を握っていると思うのだ。
 彼女が狙っていた盗品の中に、なぜか盗品ではないペンダントがあった。このペンダントを盗ったことをシーニアは気付いていたようだし、ジープ爆破の意図は解らないが、彼女が告げた『必然』という言葉も気にかかる。
 一応、半年間ギルドとは別に彼女の行方をそこはかとなく追ってみたのだが、ギルド側と同様に何の手がかりも掴めずお手上げ状態である。
(必然……か)
 初めは信じていなかった言葉だが、今は何となく理解していた。
 コトリと一緒に数々の依頼をこなしてきたが、自らの選択が必ず良い結果をもたらすし、何もしなくても危機を脱しているときもある。偶然と割り切ってしまえばそれまでだが、どこか頭の隅で必然が囁いているのだ。
(儀式の時までは、自分は生きてないといけないからな)
 彼は小さく首を振った。気にしても仕方ない。自分はただ、コトリが成竜になるために、自らの好奇心を満たすために最善を尽くしているだけなのだから。
「じゃあ、一,二年西の方面を旅してみるか」
「うん。決まったから、もう食べていいよね?」
「ああ。スルトが来る前に死ぬほど食っておけ」
 皿まで食らうとはまさにこの事で、コトリは凄まじいペースで食事を続けていく。重ね重ね、スルトにご愁傷様と告げておいた。
 コトリの食事が一通り終わった頃、ようやくスルトがやってきた。人を呼びつけておいて堂々の遅刻だ。
「いやー二人とも悪い悪い。仕事が思った以上に長引きやがってさ」
「お前の遅刻のときの口上はいつもそれだからな、悪いが信用しかねる」
「細かいことは気にすんなって。ところで、今何か隠さなかったか?」
「ああ、ゴミをポケットに入れただけだ。細かいことは気にするな」
 分厚い束になった伝票をポケットに隠しただけだ。会って早々スルトを卒倒させるわけにはいかないだろう。
「今日はコトリちゃんに渡したいものがあってさ」
 スルトは椅子に腰掛け、持って来たバッグをがさがさと漁り一枚のカードを取り出す。
「はいこれ。今度ギルドに寄ったときに渡しても良かったんだけど、会える時に渡しておこうと思って」
 スルトが差し出したのは、ギルドのライセンスカード。今までのとは違い、重厚で煌びやかなレイアウトが施されている。
「わたし、シルバーランクになったって事?」
「そ。今までに前例のない早さでの昇格だけど、コトリちゃん自身の強さも自由稼業者としての資質も充分だから、ギルドの会議で決まったんだ。これでオクターとのコンビもやりやすくなるだろうし、別々に請けたときでも相応の依頼を請けられるから、俺の手数料を増やすためにも頑張ってくれよ」
「うん。わたしの食料のためにも頑張る」
 妙なところで利害が一致している二人。幸せそうなので無視しておこう。
「オクターはどれぐらいでシルバーランクになったの?」
「オクターは二年ぐらいだったかな。誤解してもらっちゃ困るが二年でもめちゃくちゃ早いんだよ。普通はシルバーになるまでに七,八年かかるって言われてるし、ゴールドにいたっては十五年が平均だね。プラチナなんて夢のまた夢なんだけど、二人は簡単に取得できそうな勢いだからなぁ。俺はほぼ二人の専属ギルド員だし、こちらとしても鼻が高いよ」
 スルトが気持ち悪いぐらいに褒め言葉を連ねてくる。何を企んでいるのか知らないが用心するに越したことはない。
「コトリちゃんがつけてるそのペンダント、ドラゴンが描かれてるよね? って事は二人ともドラゴンにある程度興味はあるよね? ていうかそうだよ、オクターはドラゴンを見に行くって出かけたこともあったし、コトリちゃんはその話を聞いてコンビを組むようになったんだから、ドラゴンに興味はあって当たり前か」
 興味があるなし関係なく、コトリ当人がドラゴンなのだから興味を持たざるを得まい。
「そこで二人に良い依頼があるんだけど」
 スルトがバッグから依頼書を取り出した。依頼人の欄にはスルトの名前が記してある。契約者の部分に既にオクターの名前が記してあるのに気が付いたが、もしもの時は用紙を引き裂けばいいので問題ない。
「最近東部の山奥で遺跡が見つかったの知ってる? 実はそこに行きたいと思ってるんだけど、治安が良くないらしくてその道中の護衛を頼もうと思ってるんだよ。その遺跡はドラゴンと関係ある遺跡らしいから、どうだ、興味あるだろ?」
「ない」
「即答はないだろ! 血も涙も無い奴だな」
 今しがた遺跡めぐりは止めて西へ行こうと決めたばかりなのに、何というタイミングの悪さ。きっとスルトは、女性を口説くときも持ち前のタイミングの悪さを駆使して拒絶されまくってるに違いない。
「俺たちな、すぐにでも西に旅に出ようと思ってたんだよ。ここには二年ぐらい戻ってこないつもりのやつな」
「なんだよ、そんなこと聞いてないぞ」
「さっき決めたばっかりだからな」
「解った解ったぞ、ハネムーンだなハネムーンだろ、そうかそうだよな、知ってる知ってるさ。ここにいると俺みたいな奴がいるし、知り合いも多くて二人きりでのんびりできないんだもんないちゃいちゃできないもんな、そりゃ高飛びをしたいと思うはずだよ。ああそうか、行ってこいよ。そして可愛い子供でも作って……できれば女の子、そして将来俺の嫁になってくれるように洗脳してくれ。ああその冷ややかな目線、どうせ俺は飢えてるさ飢えきってるさ、最近女なら誰でも良いような気がしてるんだが、これは間違ってるだろうって葛藤中なんだよ――」
 またスルトの嘆きが始まったとオクターとコトリは顔を見合わせる。とりあえず放置プレイ。
 コトリと軽く雑談をしていたら、ひとしきり嘆き終えたスルトが「で、本題に戻るけど」と先ほどの話題を再開させた。その切り替えの早さには心の底から感心させられる。
「本当に依頼は請けるつもりがないのか?」
「ああ。俺たちは西に旅に出ようとしてるから、その依頼断らせてもらう」
「俺に旅に出るのを止める権利はないけど……寂しくなるな。それは仕方ないとして、だから最後に俺のわがままに付き合ってくれよ」
「へぇ、今までのがわがままだとは解ってたんだな」
 この皮肉に食って掛かるだろうと予想していたが、しかしスルトは両手を合わせると、深く頭を下げた。
「頼む、この通りだ。お前が遺跡を好きじゃないことは知ってるが、行ってみたら面白いかもしれないじゃないか。先人達の知恵が結集した遺跡なんだよ? それもまだ発掘作業も始まってないっていうから、俺たちが歴史的発見をできるかもしれない。絶対損はないはずだから、頼む!」
 スルトにしては珍しく丁寧な物の頼み方だ。普通の依頼ならば、こうまでされたら引き受けるのだけれど、スルトから言われても寒気がするだけ。
 オクターは小考して。
「女がらみか?」
 スルトの表情が強張った。図星である。
「……実はその遺跡、最近発見されたばかりでお宝がわんさかあるみたいでさ、ギルドに最近入ってきたちょっと可愛くて彼氏がいなくて狙い目の女の子にその話をしたら『その宝物見てみたーい』って言われたもんだから、ここは格好よくその宝物を持ち帰って渡してやるのが男気ってもんだろ!」
「知るか。男気を貫きたいなら一人で行け」
「嫌だね! 遺跡に宝物が多いから賊が集まりやすくて治安が悪いって噂なんだよ。俺一人じゃ確実に死んじゃう」
「勝手に死んでくれ。お前の道楽に俺たちを付き合わせるな」
「そこは安心してよ。遺跡に行くのは三人だけど、俺がその話題を使うときは俺一人で行ったことにするから」
「余計性質が悪い! ていうか、ちゃんとした依頼なら遺跡に行きたい理由は初めに言え」
「馬鹿言うなよ。女のためだと言ったら、オクターは付いて来ないだろ!」
「当たり前だ!」
 実に下らない。遺跡なんてつまらないし、馬鹿馬鹿しい理由だし、残念ながら一切合切興味がわいてこない。何を言われようと今回は断固拒否だ。
 その後もスルトの誘い文句をすべて拒否していくオクター。両者引かず泥沼にはまろうとしていたとき、コトリがすっと割り込んできた。
「オクター、この遺跡に行ってみよう」
 オクターにとって青天の霹靂。味方だと思っていたコトリの寝返りにより、鉄壁を誇っていたこちらの意志がほつれ始め、スルトが圧倒的な攻勢、いや勝勢にまでなった。口数の少ないコトリが意思表示をした、すなわち決意に近い考えがあるのだろう。
 いったいどういうことか、それはコトリの表情を見れば何となく窺い知れた。つまり単純に遺跡に興味を持ってしまったのだ。前まではオクターが遺跡はつまらないものだと再三言っていたからコトリも興味を持たなかったが、スルトが遺跡のことを何度か述べているうちに知りたくなってきたのだろう。
 スルトとの交渉を長引かせすぎた。早めに切り上げて出て行けばよかったのだ。自分の失態にため息をついた。
 それと、多分もう一つ理由がある。その遺跡がドラゴンに関係する場所だから。そこに成竜になる手掛かりがあるかもしれないから。彼女は口にはしないが、生まれてから三百年、ずっと思い焦がれていたはずだから。
 コトリも遺跡に行きたいと言い出して、すでに『絶対に行かない』という意志の壁は決壊しそうになっていた。それよりも、この壁を守ること自体が馬鹿らしくなってきた。
「解った。いいよ、その依頼請けるさ」
 投げやり気味にオクターは言った。
「さすが我が親友、そうこなくっちゃ!」
 こういうときに親友扱いされてもまったく嬉しくない。むしろ不信感すら覚える。
 心が晴れないオクターだったが、喜ぶスルトと、何となく嬉しそうなコトリの顔を見たら、まあこれぐらい付きやってやるかと言う気分にはなった。
「で、報酬だけど、いつもどおり食事代だけでいいよね」
 いつもどおりというのが気に食わないが、これはこれで面白くなってきた。鬱憤を発散させていただこう。
「一応警告しておくが、宿代にした方が割安だと思うぞ」
「そんなことあるわけないだろ。いくら俺でも騙されないよ」
「よし、じゃあ食事代で手を打とう。帰ったら勝手に処理してくれ。それと、今日も奢ってくれるんだよな?」
「ああ、今日の分と、旅行の分の食事代は払う」
「男に二言はないよな」
「あったりまえだろ。少し高くなっても奢ってやるさ」
 任せとけと言わんばかりにどんと胸を叩くスルト。
 その姿をしかと見届けたオクターは、満を持して伝票の束を机に叩きつけた。机の上に現れた分厚い伝票の束に、スルトの目が見開かれる。
「二言はないんだよな?」
 きょとんとしているスルトに向かい、念を押すように言葉を重ねる。
 状況が飲み込めていないスルトは、オクターの顔とコトリの顔と伝票の束を交互に見つめ、伝票を一枚持ち上げると自分の眼前に持っていく。
「――何人分、何日分の伝票?」
 呟いたものの、持ち上げる伝票すべてに今日の日付とこの机の番号、そしてつい一時間前の時刻が記してあった。でもこの机に料理は一切なく、彼は疑問符を浮かべるばかり。
 合計金額を試算してみたら、大銀貨五十枚ほどの値段になった。多少贅沢しても二週間は余裕で過ごせる金額だ。
「ええと、ドッキリ?」
「いや」
「オクターがこれを全部食べたのか?」
「いや」
「……じゃあ、コトリちゃんが?」
 オクターが否定しない。スルトはコトリを一瞥すると、彼女は可愛らしく小首をかしげた。
「ははっ、俺をからかおうったってそうはいかないぜ。コトリちゃんがこんなに食えるわけないもんな」
「コトリ。まだ好きなだけ食べて良いぞ」
「ほんと?」
「ああ。なんたってスルトの奢りだからな」
「全種類大盛食べただけじゃ物足りなかったから嬉しい」
「底なしにも程があるだろ」
 呆れ顔のオクターだが、コトリはこれぐらい普通だとすまし顔である。
 ここまで言ってもスルトはまだ信じていない様子。止めないならいいだろうと、オクターは近くの店員を呼んだ。
「注文を頼む」
「またですか? これだけ頼んで本当に払えるお金はあるんでしょうね?」
「あるある。なんたってスルトは金持ちだからな。さてコトリ、何食べたい?」
「じゃあ、メニュー一通り食べたいな」
「ということだ。メニュー一通り頼む」
「二周目ですよ?」
「かまわん。なんたってスルトは太っ腹だからな」
 見る見るうちにスルトの顔が青くなっていく。血の気が引くとはまさにこのことだ。
「待った!」
 たまらず叫んだ。悲鳴だった。
「どうした?」
「お、俺が悪かった。これ以上注文されたら今日の持ち金では破産する。お前が最近妙に仕事熱心だったのはそういうわけだったんだな。その割にリッチな生活をしてないもんだから怪しいとは思ってたんだ」
「ああ。きちんと働かないと、コトリの食費だけで金が尽きるからな」
 オクターは店員に目配せすると、こちらの状況を把握してくれたようで、店員は肩をすくめその場を後にする。コトリはあからさまに残念そうな顔をした。
 スルトはずいっとオクターへにじり寄る。血相を変えた顔が近づいてきて、オクターは不快で顔をしかめた。
「……時に相談だが、今日の分は奢ろう、それは仕方ない。今更取り消せなんて言えないからな。たが依頼の報酬、食費じゃなくて宿代にしてくれないか?」
「男に二言はないんじゃなかったか?」
「――――――――――、今日から女になる」
 それは気持ち悪いので、宿代で手を打つことにした。


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