(なんで俺はまだ死んでないんだろうな)
 死んだと思っていた割には、余韻もへったくれもない意識の覚め方だった。体が宙に浮いているとか天使が舞っていたりすれば死んだと思えようが、残念ながらどう考えてもエデンの地の上にいる。
「……そこにいるのは、コトリか?」
 重い瞼を開くと純白の生の光が飛び込んできた。ホワイトアウトだ。今は疲労から、識別する力が落ちているのだろう。
 目を瞑り、光を一つずつ吟味するように認識し、もう一度開くと色のついた世界が戻ってきた。
「大丈夫?」
 コトリの顔が真上にあった。相変わらずの無表情で、でもどことなく安心したような表情で、彼女はそこにいた。
(膝枕されてんのか)
 後頭部から伝わる感触に少々恥ずかしいものはあったが、首を動かし全身を見ると、止血はしてあるものの生々しい傷が大量に刻まれていたので、しばらく安静にしておくことにする。
「なかなか起きないから、心配した」
「意識は大丈夫だ。体は全然駄目だけどな」
 体が駄目と言えるのも生きているから。さっきまでは死んでもいいと思っていたのに、今は生きている喜びを感じる。
「この手当てしてくれたのはコトリか?」
「手当てをしたのは、私よ」
 声のした方向に顔を動かすと、シーニアの姿があった。彼が彼女の頬につけた傷にも手当てが施してある。
 オクターは眉根を寄せた。そこにいたのはシーニアだけではなく、彼の知らない男性が――コトリのように美しい銀髪銀眼を持った男性が立っていたからだ。
「あんた、ドラゴンか?」
「うん。君がオクターなんだね。初めまして。僕はホワイトドラゴンのテム。そこにいるコトリの一つ前のドラゴンなんだ」
 テムはかがみこみ、手を差し伸べてきたので、オクターも握手で応えた。
 状況が良く理解できないのだが、どうしてシーニアとホワイトドラゴンのテムは仲睦まじく寄り添うようにして立っているのだろうか。
 他にもいろいろと不可解なところがあり、考えていると頭が痛くなってきたので、素直にシーニアに訊ねることにする。
「質問、いいか?」
「ええどうぞ」
「どうして俺たちは生きてるんだ? 俺たちはエデンの底に落ちて――いやそうか、テム、あんたが拾ってくれたんだろ?」
 意識を失う間際に感じた白い光と、テムが発している白い光は酷似していた。
「うん。ドラゴンの姿になるのは疲れるけど、君達に死なれちゃ困るから」
「助かった。礼を言う」
 そうだ。ここで一つ大きな疑問に突っかかる。
「俺たちは約束を破った、つまり死ぬべき立場にいたはずだ。どうして今エデンの地に立っていられる?」
「一言で言えば」
 シーニアは、平然とのたまった。
「貴方が死ぬというのは、嘘だったのよ」
「は?」
 シーニアは、何を言っているのだろうか。
「意味が解らないわよね。とりあえず、貴方が疑問に思っているであろう事を一通り説明してあげるわ。まずそうね。私はこのエデンの番人なんかじゃなくて、貴方と同じ立場なのよ」
「俺と同じ?」
「竜の主よ。私は、私の隣にいるホワイトドラゴン、テムの主なの」
「どういうことだ? 竜の主は死ぬはずだと……」
「それは貴方の思い込み。どうやらドラゴンについて調べると、誰しもそう思い込んでしまうらしいわね。私は貴方の思い込みを利用したけれど――というより、私も前の竜の主に利用されて弄ばれちゃったのよ。だから腹いせに利用させてもらったの」
「だが、あんたは必然というシナリオの上で俺は死ぬって言ってたはずだろ」
 シーニアは、懐から小冊子を取り出した。薄っぺらい紙の束にはぶっきらぼうに台本と書いてあった。
「はい、これがシナリオ。題名は必然。著者シーニア役者シーニア他多数。設定だけが決められた全アドリブの大スペクタクル劇よ。このシナリオへと誘導するの苦労したんだから」
 彼女はにっこりと微笑んだ。
「貴方も同じだと思うけど、嘘をつくのは嫌いでしょう? 私は一応、本質に関わることで嘘はついてないはずよ。シナリオ上の設定では私は番人に近い役だし貴方は死ぬことになるし?」
 頭が痛くなってきてこめかみを抑えた。
「つまり、どういうことだ?」
「若竜が成竜になるために貴方が命を落とすことはない。コトリが成竜になるのに複雑な過程を踏む必要もない。それを複雑に仕立て上げたのは、貴方の思い込みと、古い竜の主である私の仕業って事よ」
(シーニアの手の平で、踊らされたということか)
 踊っている間にどれだけの恥ずかしい発言を吐いてしまった? 思い出すと顔が真っ赤になって破裂しそうになる。
「そうだ、テストはシナリオ上なのか? 本当なのか?」
「テストは本物だけど、合格条件は変えさせて貰ったわ。条件は私に一撃を与えることじゃなくて、エデンで物を認識できるようになることなのよ」
「……って事は、俺は途中で条件を満たせてたよな?」
「貴方が必死だったからつい悪乗りしちゃったわ。ごめんなさい」
「その前に、エデンを認識するだけが条件なら、別にあんたと戦う必要だってなかったわけだよな?」
「シナリオ上では必須なのよ。それに、エデンの認識は一朝一夕ではできないから、これぐらいの荒療治が手っ取り早いの。普通にやったら一ヶ月はかかるわね」
「突き落とす必要も無かった」
「だから、悪乗りしちゃったって言ったじゃないの」
 これ以上憤っても無駄だと悟った。怒りよりはまず呆れの方が強い。一万年も生きているくせに、やっていることが子供じみているのだ。
 生きている事への安心感やら自分達を苦しめた怒りやらがぐるぐる渦巻いたままだが、一先ず、残る質問を消化していこう。
「列車の依頼のとき、ジープを爆破したのは何故だ?」
「貴方がペンダントを捕ったからよ。他のものを捕っても気づかなかったと思うけど、ここへ初めて入るときに必要となる鍵を捕られたらさすがに気づくわ」
「そのペンダントをどうしてあんたが欲していたんだ? 必要となるのは俺たちだろ?」
「本当はもうちょっとシナリオが長かったの。貴方たちがペンダントを手に入れるために四苦八苦してもらうつもりだったのよ」
 あそこで規律に反してまでくすねておいて、心の底から良かったと思う。
「あとはそうだな。遺跡で大量に自由稼業者を雇ったのはあんたか?」
「違うわ。私の顔はもうばれてるから頼めないわよ。だからテムに頼んで、代わりに依頼を出してもらったのよ」
 シーニアはギルドに顔を出せないから当然か。
「マリウスはあんたが利用してたのか?」
「違うわ。彼はまったく知らない人。でもなかなか面白い人よね。見た目以上に頭も切れる」
 確かに、彼がいなかったらここへたどり着くまでにもっと苦労しただろう。謎解きにおいてはコトリが役に立たないし。
「あと、雇った自由稼業者たちに支払った報酬は――そうだな、列車強盗の際の盗品を売れば簡単に集められるとして、どうして依頼を出したんだ?」
「もちろん貴方達を受け入れるためよ。と言うのは建前で、実は私たち、コトリが生まれてからはできるだけここから離れてはいけないことになっているの。貴方達がここを訪ねたときに私たちがいないと困るでしょう? でも長い間身動き取れないってのは暇だから、暇つぶしを兼ねて依頼したのよ」
「そこに俺たちが、タイミング良く訪れたわけか」
「それを偶然とみるか必然とみるかは、貴方の自由よ」
「判断は保留しておく」
 それにしても、コトリとテムは似ているというか、本当にそっくりだ。
 顔つきは違うが、艶やかな銀の髪と宝石のような銀の瞳は同じだし、透き通る肌にしぐさ、雰囲気もそっくりでほとんどどんな時も無表情。さらに、オクターとシーニアの会話にまったくついてこれないという顔をしているし、置いてきぼりを食った子供のような顔をしているのが面白い。
 オクターはテムを見ながら、ふとこう思ってしまった。
「テム、あんた綺麗だな。男だからこの褒め言葉はおかしいかも知れないが、その褒め言葉がしっくり来る」
 瞬間、テムの顔が真っ赤に染まった。
「な、ぼ、僕がき、綺麗?」
 今まで落ち着いていたくせに、ここぞとばかりに動揺するテム。
 おや? と思いシーニアを見ると彼女と目が合った。互いに小さくうなずき合うとにやりと笑みを浮かべた。
「テムも綺麗だけど、コトリも綺麗よね。私も女だからホワイトドラゴンの女性の綺麗さには本当に憧れちゃうわ」
「え? え?」
 突然話をふられたコトリだが、綺麗という単語に反応し顔に紅葉が散った。
「確かにコトリも綺麗だが、男性のテムが綺麗という言葉が似合うのが驚きだ。テムみたいな奴がいるなら、綺麗を男性にも通用する褒め言葉にしたほうがいいと思う」
「え、あの、僕は」
「何言ってるのよ。綺麗なんて言葉が似合う男性はテムしか居ないわ。当然、綺麗が似合う女性はコトリしかいないでしょうけど」
「えっと、わたしが?」
「じゃあさ、綺麗って褒め言葉はホワイトドラゴン専用の褒め言葉にしたらどうだ? コトリもテムもとびっきり綺麗なんだから、文句をつける奴は居ないはずだ」
「良い提案ね。異議はないわ。綺麗なテムとコトリだけの褒め言葉だものね」
「ああ、二人とも綺麗だから――」
 コトリの手はオクターの口に、テムの手はシーニアの口に、それぞれ蓋をした。真っ赤になった両ドラゴンの顔を見ながら、両竜の主は心の中で笑った。
 コトリの顔は真っ赤なままだが、とりあえず口から手を離してくれた。まだこの余韻を楽しみたいが、そうもいかないのだろう。
 オクターは体が動かせるのを確認し、上体を起こす。
「コトリ、肩貸してくれ」
「うん」
 コトリに手助けしてもらい両の足でエデンを踏みしめる。彼の意図を推し量り、シーニアとテムも真剣な眼差しになった。オクターが言っても良かったが、でもここはコトリに言わせるべきだろう。
「成竜になるには、どうすればいいの?」
 コトリの言葉に、待ってましたと言わんばかりにテムが答える。
「僕とコトリが、シーニアとオクターが、手を握り合えば良いんだ。四人全員の姿が見えるところで、同時にね」
「そうすると」シーニアが引き継いだ。「私たちは消え、貴方達の手の平に飴玉みたいなものが残るから、飲み込めば良い。それだけで儀式は成立よ」
「……本当に簡単なんだな」
「そうなのよ。せっかくの一大イベントなんだから、こんな簡単なものじゃなくて相応の盛り上がりは欲しいと思うでしょ? 私と似てる貴方なら解ってくれると思うわ」
「どうするかは、九千年経ってから考えてみるさ」
「そうね、それがいいと思うわ」
 互いに握手を交わし、今まで歩んできた道を次の世代に引き渡す。たったそれだけの行為でシーニアとテムは消えてしまうのだ。
(いや、違う)
 シーニアは言っていた。エデンで死を迎えれば、エデンの源となり未来へとつながっていくと。一万年もの生を歩んできた二人は、これから一万年もの生を歩む自分達へと繋がるのだ。
 テムとシーニアが、二人に手を伸ばしてくる。
「ちょっといいか?」
 完全に空気を読んでない発言だとは思いつつ、オクターは儀式を中断した。
「どうしたの?」
「シーニアだけに話したいことがあるんだ」
 少し待っててくれとコトリから離れ、シーニアの肩を貸してもらい二人のドラゴンから離れた位置にやってくる。
「それで、話したいことって何かしら?」
「ええと……。そう、コトリはかなりの大食らいなんだが、テムも大食らいなのか?」
「いいえ。テムは食事を人並みにしか取らないわ」
「あの大食らいはコトリだけってことなのか」
「大食らいはそうかもしれないわね。でも、テムはテムで酷いのよ。彼ったらお酒が大好きで、この一万年間世界中のお酒を飲み漁ったんだから」
「金はどうした?」
「貴方と同じ、自由稼業者で稼いだわよ」
 二人は顔を見合わせ苦笑する。
「で、訊きたいことはそれだけじゃないでしょう?」
「……お見通しか。実は正直不安なんだ。一万年もずっとあいつの側にいるわけだろ? そんなに長い間一緒に過ごせるものなのか、怖くてな」
 オクターはシーニアが笑いを堪えているのを見逃さなかった。
「ごめんなさい。いつも強気だった貴方がずいぶんと弱気なものだから」
「仕方ないだろ。これだけはどうにもならないんだ」
「そうね……一万年なんて途方もない月日でしょうけど、あまり深く考える必要はないわ。一万年前、私もテムに選定されて、このエデンにやってきて、前任者に会い、テムと生きる長い旅の切符を手に入れたの。そして一万年が経った今でも私は立派に竜の主をやってるわ。彼に惚れた弱みよ。彼のことを綺麗と思ってしまったが為に生まれた弱み。消えようのない絆はちゃんと残るわ。貴方がコトリを信じる限り、貴方が貴方の心を信じる限り必ず残る。疑うなら私の命を賭けてもいいわ」
「命なんて賭けたら余計に疑わしくなるぞ」
「先輩の言うことは聞いておきなさい」
 ぴしゃりと注意された。
「大丈夫、一万年なんてあっという間。頑張る必要なんてないわ。貴方は貴方の選んだ道をゆっくり生きなさい。そうすれば笑顔で生を終えることができるから。それにほら、見て。テムとコトリ、こっちをじっと見てるでしょ? あれはね、私たちが仲良さそうに話をしてるからなの。ドラゴンも嫉妬深いのよ。こんな風に人間臭い所もたくさんあるし、それ以上に私たちが尽くしてあげないとあの子たち寂しがるの。貴方もコトリから言われたでしょ? オクターがいないとつまらないって」
「聞いてたのか」
「聞こえたのよ」
「……ま、その点については俺も否定しない」
「これからもっと思い知ることになるわよ。だって考えてみて。私たちは儀式に必要だと言われて竜の主になったけれど、結局儀式に関係してないでしょう?」
「言われてみればそうだな」
 一緒に旅をする必要もないし、エデンに入る時もコトリは無条件で入ることができた。自分は大怪我を負ったが、コトリが成竜になるために必要な事を何かしたとは思えない。
「きっとね」これは私の推測だけど、と笑いながら。「ドラゴンも、一万年を独りで過ごすのが寂しいのよ。ただそれだけの理由だと思う。何にも人間と変わらない。ドラゴンなんて名前だけなのよ」
 数々の人間が崇めてきたドラゴンを名前だけ扱い。ドラゴンと共に過ごした一万年という時間がなせる業なのだろうか。
「それに」と彼女は、悪戯っぽく笑った。
「ドラゴンって生殖能力はないけど、人間と同じ部位は持ってるのよ。機能は一緒だし人間と同じで他所より敏感だし、こっちが気持ちいいって言えば頑張ってくれるし、安心して良いわよ」
 彼はぴくりと眉を動かした。
「何の話だ?」
 彼女は歌うように囁いた。
「一万年の過ごし方、初級編よ」
 シーニアは二人のドラゴンを呼んで、オクターの体はコトリに預け、彼女自身の体はテムに預けた。シーニアとテムは、オクターに見せ付けるかのようにぎゅっと抱き合う。シーニアは微笑み、オクターへと顔を向けた。
 ――ね?
 彼女の瞳から、言葉では伝わらないものを掬い取れた。
「敵わないな」
 彼女の言動一つ一つが、彼女の生きた一万年の重みを映し出していた。
 自分は果たして、たった一万年で、彼女のような重さを得られるだろうか。
「何の話?」
「これからの話さ」
 笑むオクターに、首をかしげるコトリ。その二人の前に、二本の腕がすっと差し出された。
「今度は、きちんと儀式を終わらせましょう」
 シーニアとテムの二本の腕。コトリはためらいながら、しかししっかりとテムの手を握り締めた。後は、オクターがシーニアと握手をすれば終わりだ。
「やっぱりあんた、自分に言い聞かせてたんだな」
 シーニアはただ妖艶に微笑むだけ。もう何かを語ることは野暮なのかもしれない。
 自分の手とシーニアの手を交互に見て、シーニアとテムの姿を目に焼きつけ、その手を、握った。
 瞬間、シーニアとテムの姿が白く染まり、エデンへと散っていった。本当に簡単な儀式。もっと派手に二人の姿が消えるのかと思っていたら、普通に還って行っただけ。
(本当に、感傷にすら浸らせてくれないんだな)
 悲しくないのに、一筋の涙が頬を伝った。
 オクターの手の平には、白い飴玉のようなものが残っていた。
「これを飲めば成竜になれるのか?」
 生の光をそのままに発するそれはコトリの手にも残されていて、二人は互いのを見比べる。
「なれると思う」
「そうか」
 そういえば、文献には何と書いてあっただろうか。
『成竜と化すための儀式を経て、竜はドラゴンの姿を取り戻し、竜の主は命を捧げる事になると言われている』だったはずだ。
(――そういうことか)
 この一万年という途方もない歳月を、竜の主として、愛している竜へとつぎ込むのなら。
 つまりそれは、命を捧げる事と同義ではなかろうか。
(なんてな)
 彼は首を横に小さく振った。
「オクター、どうする?」
「どうするって?」
 コトリはいつの間にかそれを口の中に放り込み、舌でコロコロと転がしていた。飲み込めば成竜になれるのに杜撰な扱いである。
「丸いのをずっと持ったままだから、飲み込まないのかと思って」
「飲まないって選択肢はあるのか?」
「あるよ。ドラゴンに選択権はない。ただ――」
「ただ?」
「オクターのことを、恨むけど」
 オクターは白く丸いそれをエデンの宙にかざした。二人が散っていった、そしてその前の二人もそのまた前の二人も、たくさんの二人が散っていった、エデンの園へ。
 相変わらず無表情だけど、少しだけ不安そうになっているコトリを見ながら、彼は思う。
 選択権など、彼女を綺麗と思ったその日に、彼女に興味を持ったその日に放棄したのだ。どちらを選ぶかなんて当の昔に答えは出ている。そこに迷いなど在りやしない。

 彼は、ドラゴンサーヴァントなのだから。

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