台座に戻ると、マリウスが床にタイルを何度も並べ直しながらうんうんと唸っていた。相当集中しているのか、マリウスは二人が戻ってきたことに気づいていない。「わかんねぇ」「これもちげぇ」などぼやいている姿が面白かったので、しばらく見学していることにした。 が、すぐに気付かれた。 「戻ってんなら戻ってると言え!」 「集中してるところに声かけるのが悪いと思ってな」 「じゃあその微妙な含み笑いは何だ?」 「気にするな。ところでまだ解けてないのか?」 チッと舌打ちをして、マリウスはバツの悪そうな顔をする。 「解けてねえよ。この等しくしろっていうのは縦横斜めどの列の合計も同じ数にしろってことだとは思うんだが、全然できねえんだよ」 「問題文の前半、歩んできた印を示しってのは解ったのか?」 「そっちも解ってねーよ! パネル並べ替えに終始してたから考えも回ってねえ。いいから手前も考えろ」 八つ当たりだと思うのだが、こっちも休んでいた負い目もあるし文句は言わないでおく。一応、石像には台座に関係するようなことはなかったと告げると、マリウスは当たり前だと言わんばかりの顔でそうかと呟いた。 「マリウス、縦横斜めの合計を同じって、つまり魔方陣だろ?」 「魔方陣? なんだそりゃ?」 「つまりだな……」 一を最上列中央に配置し、次の数字は右上に配置する。これが基本だ。 二を配置するマスはないのでそのまま下に降ろし(最下段右から二つ目)、三を右上に配置。四を配置するマスがないので左に移動し、右上に五を配置。六を配置するマスにはすでに一があるので、五の下に六を配置し、また右上に次の数字を配置していく。そうすると十五が右上隅になり十六をどこにも配置できなくなるので、それは十五の下に配置する。後は難しいことはなく元から配置されている一と二十五をそのまま利用して、縦横斜めどの列をとっても合計が六十五になる魔方陣の完成だ。 「この方法を偶然知ってたが、全部手探りでやろうとしても無理だろうな……」 「初めから手前がいれば解けたんじゃねぇか!」 もっともだが、謝るのは癪なので話を先に進める。 「今は次の数字を右上に配置で説明したが、左上に配置でも魔方陣は成り立つ。左右対称になるからな。つまりここからできる魔方陣は二通りあるわけなんだが、しかし今までの例からして」 「答えは一つだけっつーことだな。そして間違った方を選択しちまえば、トラップ発動だ」 どちらなのかを選ぶために『歩んできた印を示し』という文章と、右上九マスの妙な浮き上がりを利用するのだろう。 「歩んできた印ってなんだろうな」 生きてきた過程のことを言うんだったら印と呼べるような大層な人生は送ってない。 (そんな曖昧な条件じゃなくて、ここに来るものが全員歩む道といえば) オクターの知る限り、それは一箇所。罠が大量に仕掛けられた通路である。そこに手掛かりがあるとするならば、それはいったいなんだろうか。 台座の下で魔方陣として並べられているピースを眺めながら考える。空いている場所は一と二十五。しばらく黙考した後、オクターは顔を上げた。 「解った」 オクターは床に並べられているピースを手にとると、二のピースを最下段の左から二番目にはめ込んだ。 「つまりだ」 三、四と次々にピースをはめ込んでいく。 「歩んできた場所は俺たちが通ってきた通路。それ以外ここに来る者に共通事項はないだろうからな。そして印っていうのは、解除してきた罠のことだ」 「それはどうしてだ?」 二十三まではめ込んで、二十四と記されたピースが手元に残る。 「なぜなら――こんなのコトリがいなくちゃ数えなかっただろうが、運がいいよな。解除した罠の数は、全部で百」 罠の数まで最後の謎解きに使ってくるなんて、古人はますます捻くれた奴らだと思う。 ぽっかり空いた最後のマスに、最後の一枚をはめ込んだ。 「そしてこうすると、右上九マスの数の合計が、百になるんだ」 一瞬の静寂、やがて部屋全体が振動し始めた。埃や石の破片が天井からぱらぱらと降り注ぎ、天災の前触れかと勘違いしてしまうほどの強い揺れがやってきた。その場に立っていられなくなり、オクターは台座を抱え込みなんとか倒れずに辺りを窺っている。マリウスも耐えられず床に伏しているが、コトリは平然と立っている。恐るべしだ。 あまりにも長く強い揺れに、もしや先ほどの解法を間違えたのかと冷や汗が出たが、やがて石像の目の前の床がぱっかりと割れていき階段が現れた。揺れは収まり、再び静寂を取り戻した。 三人は目配せをすると慎重に階段を降りる。下りの階段はすぐに終わり、石像の中心部あたりにくると上りの螺旋階段が設けられていた。見上げると淡い光が漏れ出していて、松明を使うことなくお互いの姿を見ることができるようになった。 (時刻は夕方のはずなんだがな) ふと頭をよぎったが、その疑問は白い光がゆっくりと消し去ってしまった。 一歩一歩踏みしめるように階段を上っていく。魅せられている、それだけは確実なのになぜ心惹かれているのかが解らない。そんな理由など枝葉末節だよと心の奥底で囁きかけられているのだ。 オクターは妙な緊張感を覚えていた。全身リラックス状態なのに、心臓の鼓動は早くなり手の平が汗でじわりと湿っている。 そんな彼をよそに、確実に階段の終わりが近づいていた。 光が膨らんでいく。全身を真っ白に染めていく。階段を上りきると、暖かい光の波が三人を包み込んだ。 「……天国、か?」 俗世から切り離された空間。そこはこの世のものではないという認識は間違っていない。なぜならこの世界には影がないのだ。太陽の光を利用し色を奏でているのではなく、この世界にいる動植物たちは自ら存在を揚言しているかのように光を放っている。ここにいると自分が矮小な人間であることが痛切に思い知らされる。 ここで神が生まれたのだと言われたら、疑うことなく信じてしまうだろう。ここが、エデンなのだ。 (どうやって、渡るんだろうな) 彼らがいる場所とその空間をつなぐための橋がない。エデンは俗世などと触れたくないと言わんばかりに宙に浮いている。俗世の一番端から下を覗いてみると、エデンとは真逆、吸い込まれるような漆黒が待ち構えていた。少し背筋が震えた。 見えない橋でもあるのかと思い宙をかき回してみたが特別な変化はなかった。数メートル先にエデンは浮かんでいるので飛び渡るのは無理。 だが、宙に体を投げ出してみたいような心地よい強烈な快感が心を支配した。光の旋風が巻き起こり体が前へと引っ張られていく。先へといざなう震えは生の躍動そのもの。 どさりと音がするのと、服の裾が思い切り引っ張られるのはほぼ同時だった。 オクターははっとして振り返る。服を引っ張ったのはコトリだった。冷静になると同時にどっと冷や汗が流れてくる。 「コトリ、助かった」 「うん」 危うく、紐なしバンジーで漆黒の底を見に行くところだった。 この底のない誘惑に身を任せたくなるような感覚は、どことなく竜眼で睨まれたときに似ているような気がした。エデンの持っているそれは、竜眼の持っているそれと対極に位置しながらも本質的に同じなのだろう。 「マリウス!」 マリウスの姿が見えないことに気が付いたオクターは慌てて叫んだ。自分のように誘惑に溺れ漆黒の中に落ちたのかと思ったのだが、マリウスはオクターの後ろで倒れているだけだった。 意識を失っている。息をしているので生きてはいるが、なぜいきなり倒れてしまったのか。 「彼には資格がないからよ」 凛と透き通る、風のような声が聞こえた。半年も会っていないが、悩むことなくそれが誰だか理解できる。 「シーニア、か」 「お久しぶりね。オクター、コトリ」 シーニアはエデンに佇んでいた。初めからそこにいたのか、後から姿を現したのかは解らない。彼女はそれほどにエデンの一部だったからだ。 コトリはさっとオクターの後ろに隠れた。どうあってもシーニアのことが苦手らしい。 「そんなに嫌わなくても良いのに。短い付き合いなんだから、仲良くしましょ?」 やれやれと言った風にシーニアは微笑む。相変わらずの露出の高い服だが、このエデンにいる彼女のそれはほとんど気にならず、むしろ自然であると感じられる。 「シーニア。資格がないってのはどういうことだ?」 エデンの光で毒されそうになる精神を押さえ込みながら、オクターは尋ねる。 「そのままの意味よ。厳密に言うなら今の貴方にもないけど、もう一つの資格は持っているから意識を保っていられるのよ。貴方にも解ってると思うけど、ここの光は人間の精神を病ませる効果があるの。簡単に言えば毒ね。この世で一番甘い、最上級の毒よ。だから何の資格のない人間は侵されて、精神が壊れてしまうのよ」 「壊れる? エデンの光に当てられたマリウスは一生このままか?」 「エデン? ああ、ここのことかしら? 今まで呼び名はなかったけれど、エデン。いい名ね」 「いいから答えろ。マリウスはこのままか?」 「そんなに睨まないで。この光は竜眼より強いけれど、竜眼のように中毒性はないわ。少し離れればすぐに正気を取り戻すわよ」 彼は、特定の者しか知るはずのないその単語を聞き逃すことはなかった。 「竜眼。どうしてその言葉を知っている?」 シーニアは妖艶な笑みを浮かべた。気付いてくれて当然と諭すような瞳が、オクターを怯ませた。 オクターの問いに答えることなく、彼女はコトリに告げる。 「コトリ。貴方にはこちらに渡る資格があるわ。貴方には既に見えているでしょう? こっちにいらっしゃい」 オクターはコトリを見た。コトリはオクターには見えない何かを目で追っていた。 「何が見えるんだ?」 「向こう側に渡る、橋? ではないんだけど、そんな感じのもの」 「色や形は?」 「白っぽいんだけど、もやもやしてて、触れたらぱっとしそうな感じ」 「意味解らん」 エデンの上でシーニアが笑っていた。 「それを説明しろってのは難しいわよ。こちらに渡る資格のある者だけが見える、その人の意志だもの」 「それも意味が解らないな」 「大丈夫よ。貴方も後で資格を持てば解るわ」 そしてシーニアは、もう一度コトリに告げた。 「こちらにいらっしゃい」 命令に近いその言葉。コトリはオクターの後ろで、シーニアを、エデンを品定めするように睨んでいる。 「安心して。別に取って食おうって訳じゃないわ。成竜に、なりたいんでしょ?」 いつも無表情なコトリの顔に、驚愕の感情が貼り付けられた。 オクターも成竜という単語に反応したが、今度は何も言わずじっと押し黙る。 「難しいことじゃないわ。貴方の橋に、手でそっと触れればいい」 「――でも」 「大丈夫。オクターとは一瞬の別れ。彼が資格を得ればすぐに会えるわ。それに、こっちに来ればたくさん食べ物があるわよ」 「じゃあ、行く」 オクターはここぞとばかりにずっこけ、危うく漆黒に落下しそうになった。 「行って良い? ちょっと、お腹が切なくなってきたし」 「仕方ないな。行っていいぞ」 ここはそれが正しい。オクターは迷うことなく即答した。 だが、コトリはここまできて少し躊躇っているようだった。見かねたオクターは、そっとコトリの背中を押してあげる。コトリは決心したように、オクターには見えない橋の前に直立した。銀の髪をたなびかせ、彼女は振り返った。 「オクター、早く、来てね」 「ああ」 彼女が手を伸ばすと、ふっと、姿が見えなくなった。忽然と消えたわけではない。なぜなら、コトリがそこにいるという確かな感覚は在るからだ。 「心配ないわ。ここへの道のりが長いだけよ。その間は姿が見えなくなるの」 「内の疑問に答えてくれてありがとうよ」 「いえ、どういたしまして」 オクターはしばらく立ち尽くし、今までに出くわした情報を整理し、シーニアに訊ねた。 「一つだけいいか? 資格を得るためにはどうすればいい?」 「あら、聞きたいことはそれだけなの?」 「今はそっちに渡るのが最優先だと思ったからな。あんたには渡ってから嫌ってほど聞くさ」 「そうね。それがいいわ」 シーニアはすっと、オクターがもと来た道を指差した。 「資格を得るためには一先ず入り口に戻る必要があるわ。本来はコトリの力押しじゃなく、鍵を使う必要があったのよ」 「鍵?」 「それ以上は言えないわ。でも、大して難しいことじゃないから、貴方になら簡単に解るわよ」 それじゃあ、またね。 凛と透き通るシーニアの声が薄くなっていき、やがて、淡く光るエデンだけが残った。 |
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