「――これで何個目だろうな」 「六十一個目だよ」 オクターの悄然とした呟きにコトリが答えた。 「……コトリ、そこは解らないって答えるべきだ」 コトリは「どうして?」と小首を傾げたが、オクターにはそれに答える余裕などなかった。 洞窟に入ってからどれほど進んだかは知らないが、今までに見つけた罠の数はコトリ曰く六十一個。犬も歩けば棒に当たるらしいが、彼らは歩けば罠に当たるという状態だ。その罠のすべてが一番初めの罠のように見つけやすく、かつ単純なものだったら良かったのだが、奥に行くにつれ巧妙さが増してきている。 浮き出ているタイルの隣がブービーだったり、浮き出ている石が時間によって変化したり、むしろ出っ張った石を押さなきゃトラップが発動したり、謎解きをしなければ罠を解除できなかったりと、捻くれた罠のオンパレードなのだ。 「手前ら弱音を吐くんじゃねえぞ」 罠にかからないためには血眼になって探す必要がある。人間には集中力の限界と言うものがあるが、オクター、マリウスの二人はそんなものはとっくに突破していた。さもなければ死が訪れるのだ。切れそうになる緊張の糸を無理矢理つなげざるを得ない。 オクターは一度気が緩んでトラップに引っかかってしまったことがあった。トラップを踏んだ瞬間、躊躇うことなく天井が落下してきたのである。オクターがトラップを踏んだと認識したときには天井は頭上数センチまでに迫っていたが、常人離れした瞬発力を見せたコトリが突っ張ってくれたおかげで命を落とさずに済んだ。 今思い出してもぞっとする。コトリがいなければ死んでいたし、左右から毒ガスなどが漏れ出す罠だったら確実に死んでいた。 その失態についてマリウスが皮肉を言うことはなかった。きっとマリウスも気が緩みかけていたし、その緩みが三人の命に関わることだとわざわざ口に出す必要はないと思ったのだろう。 「数歩先に周りより浮いてる石がたくさんある」 ドラゴンの特性なのか、コトリは夜目が利く。他の二人が目を凝らしても見えない場所にあるものを見つけてくれるので斥候としては優秀である。ただし、トラップを避けるにはどうすれば良いのかを考える頭脳担当はもっぱらオクターとマリウスだ。 罠を見つける際の救いは、トラップがあるときは必ず何らかの違いがあることだ。今回みたいにタイルが浮き出ていたり(それ罠の発動に関係するかは別だが)、色や形が違っていたりと何らかの印がある。 それらは確かに救いだが、解けるものなら解いてみろと、からかわれているような感じもして気に喰わない。 そんなことも言ってられないか、オクターは心の中でため息を吐き出しつつ目の前の罠について考えることにした。 床から不自然に浮き出ているタイルは全部で九つ。タイルは三×三と配置されていて、タイルとタイルはそれぞれ一メートル以上離れており、手前、中央、奥がそれぞれ白、黄、赤と色分けされている。 この場合はたいてい、ある法則にしたがってにタイルを踏めば罠が解除される。注意すべき点は、関係のない場所に触れても罠が発動する可能性が高いということ。試しに浮き出ているタイルの横の石をつついてみるとほんの僅かに沈んだ。 つまり浮き出ているタイルだけを渡る必要がある。縦や横、斜めの移動は可能だろうが、これだけ距離が離れていると壁際から壁際への移動はほぼ不可能だろう。 他に変わった点と言えば、九つのうち真ん中のタイルにだけ四と描かれていること。壁にも数字が描かれており、横の列ごとに数がふってある。手前が三、中央が二、奥が一だ。 床にも数字が書かれていて、これは縦の列に対しての数字だろう。左の列は三、真ん中の列は二、右の列は一と数字が割り振られていた。 そして、壁には謎解きに必要な問題が記されている。 『三つの標を渡り前に進み、十六の数を刻め』 罠を解除するための方法は難くない。おそらく九つのタイルにはそれぞれ数が割り振られていて、手前、中央、奥のそれぞれ一つずつを踏んで、合計十六にすればよいのだろう。 (どうやって数が振られているかだよな) オクターは腕組みをして考える。明確な数が刻まれているのは中央のタイル四だけで他のタイルは無地だ。そこで横の列と縦の列に割り振られている数を用いて考える。中央のタイルは四、割り振られた列番号は横が二、縦が二。 (足し算、か?) 足し算ならば横二、縦二で数字の四が出てくる。割り振られた数字元に他のタイルの数字を考えてみると、手前の列左から『六、五、四」『五、四、三』『四、三、二』となる。そこから一つずつ選ぶとなると……。 残念ながら、一番大きい数を足していっても十五にしかならない。目標の数は十六だからどうしても一足りない。 ならば二と二を使って四を表す他の方法と言えば――。 「俺様は解けたぜ」 「俺も解けた」 二人が口にしたのはほぼ同時。コトリが「お腹が切ない」とぼやいたのもほぼ同時である。 奥に何があるか解らないが、ドラゴンを祀る遺跡なんだからもう少し緊張感を持ってもよいと思う。 言いたいことはあるが、オクターはポーチから食料を取り出すとコトリに手渡した。 足し算が駄目ならば掛け算だ。二×二は四になる。割り振られた数字を元に計算すると、手前列左から『九、六、三』『六、四、二』『三、二、一』となるわけだ。これなら各々から一つずつ選んで合計十六にすることができる。 オクターとマリウスはそれぞれの解法が合致しているのを確認し、マリウスが罠を解除するために前に出た。 まずマリウスは手前の一番左、九を踏んだ。あとは特に苦労することはない。九を踏んでしまえばそこから二通り方法があるのだ。九→六→一でもいいし、九→四→三でもいい。そもそも、手前の列一番左から中央の列一番右に飛ぶなんて難しすぎるから、次のタイルは考える必要がない――。 「マリウス、ちょっと待て」 「なんだ?」 「次に一番左の六は踏むなよ? 真ん中の四を踏めばいいことは解ってるよな?」 「たりめーだろ。俺様を誰だと思ってやがる」 「ならいいんだ。とんだ杞憂だったな」 足して十六になる方法は二通りあったが、実際に通ることのできる道は一つしかなかったのだ。九、六と飛んでしまうと、次に一へ飛ぶときには左から斜め右へ大ジャンプしなくてはならない。マリウスの身体能力ならあるいは可能かもしれないが、目標のタイルからほんの少しでも外れてしまえば罠が発動するので、実質罠の解除失敗だろう。 解法が単純だっただけに、こういうところで罠にはめようとしてくるのはいやらしい罠の作りだ。 マリウスは危うげなく中央の列真ん中四、奥の列右三と軽やかに渡ると、浮き出ている石がすべて平らになり罠が解除された。 「先行くぜ」 罠を解除した喜びなどはない。初めのうちはどちらが先に解除できるか競っていたのだが、もはや残っているのは気力だけである。 こんな調子でふらふらになりながらも確実に前に進んでいくと、ぴったり百個目の罠を見つけ回避すると共に、ようやく違う景色が飛び込んできた。 そこには大きな空間が広がっていた。一瞬、コトリと初めて出会った途方もない空間を思い出したが、松明をかざすとすぐに空間の端が見えた。そして松明の僅かな光から浮かび上がったのは巨大なドラゴンの石像。通路の入り口にあった鉄の門が身丈の三倍なら、このドラゴンの大きさは五倍以上。天井まで届く大きさを誇るドラゴンの瞳はダイヤモンドでできており、それは銀の眼を持つホワイトドラゴンの瞳を連想させた。ドラゴンの石像はこの部屋に訪れる客を静かに見下ろしている。 「実物大か?」とコトリに小声で訊ねると、コトリは「老竜でもこんな大きくない」と答えた。コトリ曰く、体が大きいとその分消費も激しくて無意味に疲れるらしい。だから成竜になってドラゴンの姿を取り戻したところで、結局は人間の姿で暮らすことになるのだそうだ。 そのドラゴンの目の前にもっともらしい台座が安置してあった。この部屋に出口となるような場所がないことから、多分それが新たな扉を開くための仕掛けになっているのだろう。早く台座に駆け寄りたいのだが、まずは目の前にあるかもしれない罠の確認だ。 さしあたり罠らしいものは見つからなかったが、今までに膨大な数の罠を見てきたので逆に罠がない事に違和感を覚えてしまう。疑心暗鬼と言うべきか被害妄想と言うべきか。 ともあれ、三人はドラゴンの石像が見下ろす台座まで移動した。 「また謎解きか」 うんざりと言う風にオクターは肩を落とした。さすがのマリウスも嫌気が差していて渋面顔である。 『歩んできた印を示し、人とドラゴンを等しくせよ』 台座の上面は正方形の形でくぼんでおり、五×五になるように溝が彫られている。全部で二十五マスだが、右上三×三の九マスは若干他のマスより浮き出ている。 そのくぼみにはめ込むピースなのだろう、その脇には小さな正方形の石が積み重ねられている。ピースの数は二十三枚。二から二十四の数字が一枚一枚に描き込まれている。残り二枚はすでにくぼみにはめ込まれており、人間の絵が書かれた一のピースは最上段真ん中に、ドラゴンの絵が書かれた二十五は最下段真ん中にそれぞれ固定されていた。 (人間とドラゴンを等しく、ね) ドラゴンを崇拝している民が作った遺跡にしてはずいぶん恐れ多いことを言うものだ。実際のドラゴンを知っているオクターからすれば大したことではないけれど。 「マリウス、その台座は頼んだ。俺はこのドラゴンの石像を調べてみる」 「体よく逃げるつもりかよ。まぁいいさ。俺様が華麗に解いといてやるよ」 マリウスの許可も貰ったので、オクターは台座から離れ、ドラゴンの石像の足元へと歩み寄った。 改めて見上げると、それは石像の癖に只ならぬ威容を孕んでいた。巨体だからではない。きっとこのドラゴンの石像を作り上げた人間は、ドラゴンに対する強い畏敬の念を抱いていたのだろう。石像にドラゴンたる貫禄が備わっているとさえ錯覚してしまうほどだ。 オクターは石像に手を触れながら裏側に回り込む。マリウスが見えなくなったのを確認し、石像に寄りかかるように座り込んだ。 体力面で限界がきているのではない。精神面での消耗が激しく、オクターは座り込むなり腹の底から深いため息を吐き出す。遺跡めぐりといい百個の罠といい、この奥に興味はあるがそれを超える疲労が蓄積している。 (ドラゴン、か……) 今更ドラゴンについて考えるのも可笑しいのだろうか。 世界に五体しか存在しない人間を超越した知的生命体。人などが触れることすらできぬ力の差に、人はドラゴンを恐れ敬い、神として崇める。 ドラゴンを神とした宗教は世界中に腐るほどある。どの色のドラゴンを神としているかは地域で違うが、当然ホワイトドラゴンを主神とする宗教だってごまんとある。この遺跡だってそれを信じる民が作ったものだろう。 人間は大昔から知っているのだ。ドラゴンは人間とは違う。人間より遥か高みの存在で、手など触れられない存在だと。 だから少しだけ虚しくなるのだ。サーヴァントであることは喜ばなければいけないと叱責されているようで。対等であることは許されないと縛られているようで。 「オクター?」 声がした。見上げるとコトリがいた。石像のような威圧を与える瞳ではなく、どことなく愁いを帯びた瞳。 「勝手に一人で行くから、驚いた」 「……それは悪かったな」 オクターのそっけない返事に、どことなくコトリが拗ねているような感じがした。 自分はいつも無表情で淡白な返事しかしない癖にと、心の中で文句をつけておく。 コトリは膝を折るとオクターの顔を覗き込んだ。相変わらずのゼロ距離である。 「大丈夫?」 「……心配してくれてるのか? ドラゴン様が人間を?」 「うん」 オクターは一瞬固まり、小さく苦笑した。 「ああ、大丈夫だ。ちょっと疲れただけだ」 「お腹が減ってるわけじゃないの?」 「……違う。何故そうなる」 「そっか。私が元気ないときは、お腹が減ってるときだから」 オクターより一回りも小さい体のどこにそれだけの食欲が隠れているのか。一度解剖して調べてみたい事案ではある。 「なぁコトリ、ここってホワイトドラゴンを祀る場所だよな?」 「多分」 「自分が祀られてるってどんな気分なんだ?」 「別にわたしが祀られてるわけじゃないから、どんな気分もないよ」 「そうなのか? お前はホワイトドラゴンなんだろ?」 「そうだけど、ホワイトドラゴンは総称であって、わたしではないから」 「俺は人間が祀られている遺跡があったら妙な気分になるけどな」 「ドラゴンは人間と違って、縦や横のつながりを持たない完全な個体なの。だからわたしを祀るならともかく、ホワイトドラゴンという名前を奉られても、なんとも思わない」 淡々と否定した彼女はいつもの彼女。 (……解ってたはずなのにな) 疲れているのだろう。コトリはこういうヤツなのはずっと前から知っていたのに。それを自分の中で捻じ曲げて勝手に嫉妬していたなら世話がない。 だがそれが収まると同時に、違う感情も湧き出てくる。 湧き上がってくるのは、劣情だ。このままコトリを押し倒し、自分の手で揉みくちゃにしてしまいたいという動物としての素直な感情。この気持ちを劣情だと理解できるのは、どこか冷静な自分がいるからであって、それがないなら崇高な感情だと勘違いしてしまうだろう。 その冷静な自分は知っているのだ。その劣情は、死を認めていたはずの自分が初めて打ち鳴らした警鐘に対する焦燥感なのだと。 「コトリはさ、成竜になったら、やりたいこととかあるのか?」 それは自分がいなくなった後、その先の話。自分の負の感情を押さえ込み、彼女の答えを待つ。 「特にない」 至極あっさりしていた。 「なんだそれは。晴れて成竜になれた後だぞ? 今まで我慢してきたこととかあるはずじゃないか?」 「成竜になりたいし、なれたら嬉しいけど、今みたいにのんびり過ごしてるだけで充分」 オクターはコトリの食費のやりくりで追われているのに、結構なご身分である。 「成竜になると、ドラゴンの姿で空を飛べるようになるのか?」 「うん。でも、幼竜の時に一回だけ飛んだことがあるけど、疲れるからやりたくない」 「ドラゴンの姿になるのも疲れるって言ってたもんな。お前の話を聞いてると、成竜になる必要がないんじゃないかって思えてくるぞ」 「案外そうかも」 「同意されると俺の立つ瀬がないんだけどな」 どうしてと小首を傾げるコトリ。 「成竜になるのをやめて、俺と一緒に旅をしないか?」こんな虫唾の走るような台詞が思い浮かんでしまうから。でも言わない。そんなこともう言えない。 その時が近い事が、何となく解っているから。 「コトリ、綺麗だな」 「へ?」 心に浮かび上がる心情をそのまま口にする。 オクターはそっと、何を言われたのか把握しきれていないコトリのことを抱きしめた。華奢な体を羽根で包むかのように、優しく、柔らかく。 コトリの顔は見えないが真っ赤になっていることだろう。服越しにコトリが動揺しているのが解る。もちろん抱きしめる行為に対してではなくて、綺麗という言葉に対してであるけれど。 オクターはコトリを解放すると立ち上がった。予想通りコトリは真っ赤になっていて、数秒遅れて彼女も立ち上がる。 (本当に綺麗って言葉が苦手なんだな) 笑ってはいけないと思うが、思わず吹き出しそうになる。 「さて、そろそろ戻るか。マリウスもすでに解き終わってるだろ」 「疲れは大丈夫?」 「ああ。綺麗なコトリと会話してたら楽になった」 再び赤面したコトリが落ち着くのを待ってから、今度は彼女が付いて来るのを確認してマリウスの元へと戻った。 |
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