三日目。

 

 

 しなければよかった……と、ひどく後悔。

 最悪だ。こんな目覚めの悪い朝は初めてだ。

 部屋を見渡して、誰も居ないことを確認し、あくび混じりのため息をつく。

 少しは期待してしまうものだ。もしかしたら、みどりが部屋に侵入しているんじゃないかって。

 ほのかな期待が破られ、小さなショックを受けながら、自分の頭を軽く殴った。

 そんなこと、あるはずないと、分かっているのに。

 不思議な感覚だ。

 倦怠感。湧き上がる冷たい気持ち。激しい衝動。不安定な動悸。

 ふらふらっと立ち上がると、顔を洗うべく洗面所に向った。

 鏡を見た。自分の顔がとても情けなかった

 昨日、ベッドに入ったのは十一時。シャワーを浴びてそのまま入った。寝付いたのは今日の午前六時。七時間もベッドでごろごろしていた事となる。寝たくても寝られなかった。やっと眠れるかと思ったら、なぜかまた目が冴えてしまうのだ。そんなこんなで、起きたのは八時。結局二時間しか寝ていない。寝たというより仮眠に近い。さらに最悪なのが、その間に、みどりにふられるという最悪な夢を見た。寝た気などしたもんじゃない。

 鏡の中の自分は、ストレスが溜まったリーマンよりきついかもしれない。当然のように目にクマが出来ているし、頬もこけてるような気がする。目の焦点がうつろで、顔中の筋肉も締まっていない。風呂に入ってからすぐ寝たせいか、寝返りを打ちまくったせいか、スーパーサイヤ人の如く髪の毛がぼさぼさだ。

 自分の、頭の中を象徴しているように見える………。

 もう、彼女にはあえないのだろうか?

 やっぱり……会いづらい。昨日あんな事があったのに……厳しい。

 みどりのいない時間が、こんなに淋しく、やるせないものだなんて、微塵にも思っていなかった。

 頭の中がもやもやしている。なぜ昨日、彼女が立ち去る時に、一言も言ってくれなかったのだろうか? 不可解な行動はなんなのだろうか?

 いらいらする。渦を巻いている。俺の思考を狂わせる。

 食欲なんて出なかった。軽く、吐き気がする。

 顔は洗ったが髪は直さなかった。それから、力なくベッドに横になる。

「朝飯が勿体ねぇ……」

 ボソリと、独りごちる。

 体が言うことを聞かない。軋みを立てているような気がする。

 ダルイ……

 兎にも角にも、チェックアウトを済ませなくてはならない。それに、このまま部屋に居ても空気がどんよりしていそうだ。外に行こう。

 身体に鞭打ち、荷物をまとめた後、外へ出た。

 もちろん、髪の毛も整えてからだが。

 

 

 時間がいつも通りに刻まれていき、今は一時。

 そこら辺にあったベンチに座り込んで、たそがれている。

 さすがにおなかが減ったので、パニーニとか言う食べ物を買った。こんな状況でも、体は正直で、何か憎かった。

 十一時から始まったリックトーマスのマジックショーを見た。確かにすごかった。だけど、どうも見た気がしない。一人だけ浮いていたのじゃないかと、不安だった。

 隣にいてくれる人がいない事が……ここまでムナシイなんて……。

 今でさえ、彼女の存在が心の中で膨らんでいる。心という風船の中にはもう空気がパンパンで、いつ弾け飛んでしまうか分からない、不安定な状態。

 それを必死に保とうとしている、滑稽な俺。

 ――もう、考えるのはよそう。どうせ、別れなければいけないのだ。どんな結末になろうとも、バッドでもハッピーでも、結局別れなければならないのだ。楽しい記憶で彼女をとどめておくより、ツライキオクデ……。

 心の奥で、それを、激しく否定していた。

 彼女に会いたい。

 ただ、それだけなのに。

 なんだか、泣きたくなって来た。

 精神的に、彼女と面を向かい合わせる自信がない。素直に話せる自信がない。

 会ったら、話したら、自分と……そして彼女をずたずたにしてしまいそうだ。取り返しの無いぐらいに、壊してしまいそうだ。

 写真の中の彼女は、全部笑っているのだろう。そして俺も全部笑っている。

 皮肉にも、今の気持ちとは、まったく正反対に……。相違点なんて認められないぐらい違いすぎている。

 今、何となくかけている、あのペンダント。何の変哲もない、銀メッキの安物のペンダント。刻まれた俺の名前と、イレギュラーなLとVの字。

 眩しいな……。

 彼女は今、このペンダントをかけているのだろうか。

 小さく、だけど重いため息をつく。そして、仰ぐようにして空を見つめた。

 青い空に、雲と混じってルフティーバルーンが浮かんでいる。ドムトールンもそびえ立っている。すべてが気持ちよさそうに、空に浮いている。

 だけど、青空に流れゆく雲は、とても切ない感じがして。

 ただ、彼女の笑顔が見たいだけなのに。あの、無垢な笑顔を見たいだけなのに。

 弱い自分をなじりながら、心の中で自嘲。情けなくなり、居た堪れない気分になる。

 そんな弱い自分なのに、彼女の事を、いつまでも強く想っている……。

 身長、何センチなんだろうな。そんなくだらない疑問が頭をよぎる。

 俺って、あいつのこと……何も知らない。あれだけ一緒にいて、好きにもなって。

 ―――そうだよ。

 ―――何も知らないまま別れたら、

 ―――絶対後悔する。

 このままで別れるのは、自分の心を崩壊させてしまう。

 もう、自分に我慢できない。耐えられない。

 あいつに……彼女に……みどりにあいたい。

 俺なんて壊れてしまえばいい。俺だけ壊し、彼女を護ればいい。

 すっくと、ベンチから立ち上がる。もう、迷いはない。

「あっ」

 情けない声を出し、重大な事に気付いた。

「どこにいるのか分かんない……」

 見当がつかない。手の出しようが無い。予測すら立てられない。

 だけど、そんなことは、どうでもよかった。

 俺は走り出した。

 がむしゃらにがむしゃらに、みどりを探すためだけに。

 

 

 

 そして三十分後、ついに……

 

 

 

「見つかるはずがない……」

 すごい表情で、肩で息をしながらベンチに座り込む。走りつづけたせいで、脚が棒になっている。

 見つかるはずが無かった。TDLよりは狭いものの、結局は広い。店やアトラクション。さらにはこの人ごみ。見つけるのは無謀に等しい。

 たった一人の人を、いくら大切な人だからって、こんな所から……。

 絶望。一言だけだった。

 船や飛行機の中では会える。だけれど、そんな所で会ったって、何もできずに気まずいまま終わってしまうと思う。席も離れているし、確実に無理だ。

「くそ……」思わず声が出てしまう。

 気ばかりが焦る。浮き足立ってしまう。

 どこそこの推理少年なんかではないので、どこにいるなんて分からない。

 項垂れる。せっかく決心がついたのに見つからなくては意味が無い。

 行き場の無いいらだちが込み上げてくる。

 こんな事だったら、無理をしてでも一緒にルフティーバルーンに乗ればよかった……展望台にも行けばよかった。今さら考えても、もう遅い。意味をなさない―――

 展望台………か。

「行ってみるか」

 力なく立ち上がり、一応行く当てができたので、展望台のあるドムトールンへと向かった。

 

 ドムトールン。

 オランダでもっとも高い教会の塔を再現した、高さ105mのシンボルタワー。エレベーターで地上80mの展望台へ上り、町並みや大村湾を一望することができます。

 と、パンフに記入されている。

 80メートル。少しぞっとする。もちろん具体的には分からないけど、数字が嫌だ。でも大丈夫、下を見なければ。俺の高所恐怖症はそんな性質だ。

 そんな関係ない考えと、脈を打っている複雑な気持ち。

 エレベーターに乗り込む。エレベーターはぐんぐん上昇していく。

 もしいなくても、上から見下ろせば見つかるかもしれない。

 もしいなかったら……それは、無理やりな言い訳になってしまう。

 会いたいけど、いないで欲しいのが現実で、矛自分に追い討ちをかける。

 心揺らぐ中、エレベーターが地上八十メートルまで上がり、扉が開く。

 狭い。イメージしていた展望台とは結構違うものがあった。

 見渡して…………みどりの姿は、ない。

 人生そんなに甘くないか……。

 そのとおりだな。

 だけど、そのことに少しほっとしている自分がいたのも、認めなければならない事実だった。

 ここの展望台は180度のパノラマだ。なぜ360度じゃないのか考えながら、左に歩いていき、窓から遠くを見渡した。

 遠くまで広がり、青い水晶のような輝きを見せている大村湾。その水晶に浮かんでいる、数々の船。青の紙の上に気持ちよさそうに浮かんでいる雲。

 澄み切っていた。自分の心とは、まったく正反対に。

 下を見ると、人が小さく、行き交ってい……。

 立ちくらみ。

 下は見るものじゃないな。よく皆は平気なものだ。

 少し気分が悪くなった俺は、外の景色に背を向けるため振り返る。

 ―――氷結。

 ……いた。

 彼女が。

 さっきのエレベーターの所から、ちょうど死角になっている場所に彼女はいた。

 心臓が高鳴る。

 何を言えばいいんだろうか。どう動けばいいのだろうか。

 整理つかない頭とは反対に、体は勝手に動いていた。

 二、三歩動いたところで、みどりがこちらに振り向く。視線が交錯し、みどりは曖昧な表情を浮かべた。俺はかまわず近づき、手前二メートルのところで止まった。

 いたるところで流れているBGMが、止んだような気がした。

 暑くないのに、暑さを感じる。

 のどが渇いた。

 彼女は、無言のまま俺を見て、何か言おうと口を開いたが、結局何も言わず、口を結んでうつむく。

 俺も何も言えないでいた。

 何を言っていいのか分からない。なぜか焦る。

 そのとき、彼女が、無言のまま俺の横を通り過ぎた。彼女の服と、長い髪が、俺の腕をかすめる。

 唐突で、頭が理解しない。俺は呆然としたが、すぐに振り返り、彼女の手をとった。

 彼女は立ち止まる。

 昨日のように、彼女はむこうを向いて、抵抗もしない。

 何でだ? 彼女が分からない。ここで何がしたいのだか俺自身もわからなくなっていた。

 嫌だ、何もかもが荒れて見える。

「わかんないんだよ!」

 叫ぶ。突然出た叫びに自分も少し戸惑いながら、続ける。

「嫌いだったら、嫌いって、……言ってくれ。もう、会いたいとも思わない。会わない。思い出さない。ペンダントも捨てる。嫌いって言いづらかったら、そういう対象に見ていないとかっ! なんでもいいから言ってくれよっ!」

 次々と出る言葉。嘘かもしれない。でまかせかもしれない。だけど、何か悔しかった。みどりに対してか自分に対してか分からなかったけど、淋しさをぶちまけるように言葉を並べていた。

「……好きじゃない……んだろ?」

 覚悟して訊いた。一言で諦めがつく。もう去ってくれたってどうなってもいい。

 何も答えなかった。だけど、後ろからでも、動揺していたのははっきりと分かった。

 彼女の手をずっと握り締めていた。答えてくれるまで、絶対放さない。

 お互いに何もしゃべらない時間。沈黙が刺さる。

 彼女は、下を向いて震えていた。

「嫌いなわけないじゃん!」

 突然彼女が叫ぶ。俺に腕を握り締められたまま叫んでいた。

「好きだよ! 竜吾のことが……好きで……すきで……すきで……大好きで、自分でもわけ分からないぐらいに好きになっちゃって……竜吾がいないときもさ、ずっと気持ち大きくなっちゃって、抑え効かなくなっちゃって、昨日竜吾とわかれてから、ずっと泣いてて……嫌になるぐらい、自分が馬鹿みたいで……こんなになっちゃったから、もうこれ以上竜吾と一緒にいて、楽しい思い出創っちゃったら……別れるのが―――」

 痛々しい彼女の言葉に、無意識のうちに彼女を引き寄せ、キスをした。彼女は、一瞬何が起こっているか分からないみたいだったが、すぐに、理解したみたいだ。

 これでいいのか分からない。これが最善であることを願って、抱きしめて、彼女も抱きしめ返して。

 ファーストキスの味は、とても切なく、塩辛い味がした。

 キスしたまま、離れようとしなかった。離れたら、消えてなくなってしまうのではないか、一炊の夢だったのじゃないかと不安だった。

 だが、いつまでもそうしていられるはずはなく、最後にぎゅっときつく抱きしめた後、ゆっくりと、唇と唇を離した。

「泣くなよ……」

 指で、彼女の涙をすくう。ずっと泣いていたのだ。彼女も俺と同じ気持ちだったのだろう。どうせ別れてしまうのなら―――と。

 最終的な行動が違っただけで、彼女の心は張り詰めていたのだ。その思いが、今涙となってこぼれだしているのだろう。

「ばかぁ……こういう時は『泣いて良いよ』っていってよ……」

泣きじゃくりながらそう言った彼女を、抱きしめる。今さら言葉を変えるわけにもいかず、ただきつく、いろいろな想いを馳せながら、包み込んでいた。

 

 数分後。

 みどりは涙をこぼすのはやめたが、まだ心が落ち着いていないらしく、たまにしゃくりあげながら俺にしがみついている。それを、無言で優しく抱きしめ返していた。お互いに心が疲れている。こうすることで、お互いに慰めあっていた。

 じょじょにだがBGMが戻ってきた。緊張が緩んだおかげか、心が休まってきたおかげか、とりあえず、終止符。

 BGMに混ざって、何か雑音が聞こえる。それと、周りからの多数の何か―――

 目の前に広がっている風景を見て、俺の目は完全に見開かれた。

「なぁ……みどり?」その表情のまま視線を落とした。

「ん?」と、目が赤いまま、顔を上に向ける。怪訝そうにしていたが、ややあって、はっとした表情になる。

 ひしひしと感じられる、周りからの突き刺さるような視線。ミーハー族な日本人特有の視線。

 その視線の向け場は、言うまでもなく俺らだった。さきほどより人口密度が上昇しているのは確かだろう。いつもはエレベーターで上がってくる人と下りる人の数は大体一緒なのだが、俺らを見るために下りる人が激減したみたいだ。

 目を瞑り、ここで俺らが行った事を振り返ってみる。俺だったら、それをどう思って見るだろう。

 すごく意味深な会話を繰り広げて、キスして、数分間抱き合って………。

 ―――かなり、訳ありカップル。というか若い男女が繰り広げる下手な昼ドラ。野次馬どもにはもってこいの余興。

「みどり……」

「何……?」

「どう動こうか?」

「えと……お姫様抱っこ」

「ちゃうわっ!」

 竜吾十五歳。この状況下においてボケるのは一種の才能だと確信する。これは末代まで伝えられていく逸話となりうるであろう。

 次の瞬間、野次馬の一人が叫んだ。

「エレベーター貸しきりにしてあげようぜ!」

 その意見にみんな次々と便乗し、一瞬のうちに貸しきりが決定した。

「マジっすか……」

 唖然。公共の場で私物化を行って良いのだろうか? 多分今、口があんぐりと開けられている。

「りゅーご。お姫様抱っこして」

 彼女は、少し顔を赤らめながら、無邪気に微笑む。

「マジっすか……」

 呆然。彼女は厚顔無恥なんだろうか?

「っ……しょうがないな……」

 ここまで来たら腹をくくるしかない。

 彼女を抱き上げる。思ったより軽く、ふわりと持ち上がった。体が小さいのでそれは当然だろうけど。

 この状態ではにかんだ笑みをうかべると、みどりが俺の頬をつつく。

「もっと嬉しそうにしなさい」

 まだ目が赤かったが、もうほとんど収まったようだ。

「わかりましたよ。ワガママなお姫様。ミニサイズだけど」

 みどりの目を見ると『後でパンチね』と言ってそうな目線だった。俺はとりあえず、歩き出すことでそれを回避する。

歩き出すと、野次馬どもは拍手喝采。

 エレベーターが上がって来て、客が降りる。そこに俺とみどりが乗り込む。エレベーターガールはいたが、貸切同然だろう。

 エレベーターガールも一応俺らのやり取りを見ていたらしく、快く諒解していた。

 それでいいのか?

 まぁ、いっか。今はいろいろ悩む必要など無い。悩むとしたら、みどりの攻撃をどう避けるかぐらいだ。

 とりあえず、人があまりいない静かな所に移動する事を決意した。

 

 

「あー、恥ずかしかった……」

 決意どおり静かな所にやってきた。やってきて第一声を発したのはみどりである。ベンチに座りながら俺は呆れた。

「お前……楽しんでなかったか?」

「ちょっとね……」

 明るかった表情は、また沈む。

「わたしさ……遠距離恋愛って、無理だと思うんだよね……」

「俺もそう思う……」

 前にも述べた通り、無理だと思う。厳しいだろう。

 いくらハイテク時代だって、恋にハイもローもない。離れていれば、よほどの劇的な気持ちが無い限り、想いは曇り、冷める。いくら伝達手段があろうと、姿が見えなければ魔も差す。それを知る由もなく、崩れ逝く。

 せめて大学生だったら、まだ何となくできそうな気がするのにな……。

「あー、もう!」イライラしてきたので叫ぶ。「いいか、もう未来形は使わない事。あと、お互いの住所とか訊かないこと。訊いたら未練タラタラになるだろ? 辛気臭いのは嫌だからな。現実は、替えられない。な」

 彼女は暗い表情のまま俯いていたが、ゆっくりと顔を上げ、分かったと言った。

「よーし、じゃあ、残り二つのお願いを言いましょう」

「うわ、全然忘れてた」

 記憶から完全に飛んでいた。記憶の嫌な部分の引出しを開けられ、苦笑する。

「えっと、今日は、わたしと一緒に……隣にいてくれる彼氏でいてくれること」

「それは当たり前の事じゃないか?」

 何があろうと、今日は彼女の側を離れないつもりでいたし。トイレは別として。

「じゃあ、もう一つ違う願い事していいって事?」きらきらと目を輝かせながら。

「う、さっきの言葉聞き流して」

 彼女は、屈託無く微笑んだ。この笑顔が、ずっと見たかった。

 無邪気で純粋無垢で、限りなく眩しい笑顔。

 衝動的に、彼女を抱きしめてしまう。みどりは何も言わずに、身をゆだねた。

「俺……ロリコンだと思われなかったかな?」

「……何気に悪口言うな」

 攻撃する時の口調ではなかった。優しくとろんとていた。

「なぁ、お前って何センチ? キスする時結構しゃがんだんだけど」

「……149.3」

 思案して、次の言葉を捜す。ここは……

「ミニモニ入れるじゃん」

「馬鹿! アホ!」

 みどりは俺を押しのけ、そっぽを向いてしまった。

「おこんなよ……」

 笑いをこらえながら、彼女をなだめる。何か違う話題を探す。

「そうだ、マジックショー見た?」

「見たよ」

 すぐに返答してくれた。少し拗ねていただけだった。顔をこちらに向けて、

「すごかったよね。全然わかんなかった」

「そうだな、アシのお姉さん美人だったしな」

「彼女と居る時に言うセリフ?」睨みつけてくる。

「ばーか、お前は美人系というより、癒し系か可愛い系なんだよ」

 少し照れながら言った。美人と言ってしまうとどうも雰囲気があわない。だけど今じゃ誰よりも可愛いと思える。

「よーく分かってるじゃん」

「少しは謙遜になれ」

 だけど、俺はそんな素直なところに惹かれていたのだろう。いや、素直とは少し違うか。

 その時、目の前に一組の男女が横切っていった。

 左側に男、右側に女。男は右手を女の肩に回し、女は左手を男の腰に回し、その女の左手を男は左手で掴む。という随分絡まった腕の組方をしていた。

 それを彼女は物欲しげに見つめ、目で追っていた。

「竜吾、お願い二つ目」

 もう大体、何がお願い事かは解かって―――

「ルフティーバルーンのろー」

 すべての機能が停止した感じを覚えた。脳みそが凍り付いて、どうすればいいのかが分からない。人という字を手のひらに三回書き込んで、味を確かめるようにしながら飲み込む。

 ぴくぴくと、顔がひきつっていた。

「……あんな風に腕を組もうじゃないのか?」

「腕組むのは決定事項でしょ?」

 俺の動揺を楽しんでいる口調だった。多分、心から楽しんでいる。

「……身体的特徴やら、その人の弱点やらの悪口は、非人道的行為に当たるんじゃなかったか?」必死の抵抗。

「そんな事言ったっけ?」

 悪魔だ。表情は惚けているが、目は正直に笑っている。

「お前を好きになったの先走ったかな……」

「はい、もう取り返しはつきません。死ぬわけじゃないし、ほら立った」

 俺は絶望感を覚えながら、ほぼ強制的に立たされる。

「腕どう組む?」

「さっきの」

「お前小さいから無理。想像してみろ」

 その言葉の通り、彼女は想像を始める。ついでに俺も。

「できるじゃん」

「出来たな……」

 自分で考えても出来てしまった。

「レッツゴー」

 俺らはあの不思議な組み方で歩き出した。少し試行錯誤をして、しっくりくる組方に持ってきた。

 彼女は小さいけれど、とても暖かく、とても優しく。

 ルフティーバルーンに乗ると仮定されていなければもっと顔がほころぶんだろうなーとか思いながら。

 ふと右を見て、彼女の首元に、銀の鎖がかけられているのを見て、ほっと、胸をなでおろした。

 

 

 

別れるときだけ、哀しもう。

 

初めてできた、大切な人との想い出を、最高にするために。

 

一生忘れないために。

 

 

 

 本当に、憎らしいほど早いものだ。時が経つというのは。

 あの後ルフティーバルーンに乗ることになった。降りた後、気分が悪くて三十分間は動けなかった。その間、彼女は心配そうにしながら、だけど笑っていた。

 この気分の悪さは、笑顔に比べれば安いものだ。とか、くさいセリフを考えたりして。

 あっという間に過ぎ去っていった時間。その一欠片ずつが、心に大事に収められている。

 ハウステンボスでの時間は終わり、船に乗って長崎空港に向かう。着いて、飛行機に乗り込む。彼女と席は離れていたが、ちょうど俺の隣が空いていたので、彼女が隣に座った。

 眠たかったが起きていた。寝たら、一緒に居る時間が減ってしまう。

 

 別れ。

 

 脳裏のそのまた奥に追いやっていた言葉。

 空港に降り立ち、荷物を受け取る。

 羽田空港。出会いと、別れの地。

 彼女は電車で、俺はバスで帰る。

 そして、その分岐点まで、やってきた。

 お別れ―――だ。

 

 お互いに顔を見合わせ、どちらも喋ろうとしなかった。

 どちらも、気持ちの整理がつかないのだろう。

 彼女を離したくない気持ちはある。ずっと一緒に居たい気持ちが強い。

 だけど、もうその夢のような時間は終わり、消え去ろうとしている。

「おわ……かれだな……」

 消え入ってしまいそうな、そんな声で、ようやく出した言葉。

「……うん……」

 俺にぎりぎり聞き取れるぐらいの、小さな、かすれた声。

 会話が続かなかった。

 しゃべれなかった。

 いつも通り、笑いながら。

 でも、彼女の笑顔を見て、去りたい。

「みどり」

 何となく発した声。無理やり言葉を繋げようとする。

 俺は、自分のペンダントをはずし、みどりの手に握らせた。

「お前が持ってろ。俺は、お前が誰を好きになってもかまわない。そして、次にできた彼氏に、このペンダント渡して、捨ててもらえ。『これは元彼のです。思いを断ち切るために捨ててください』とか言ってな」

 無理に笑いながら言った言葉。

 本当にそれをされたら、嫉妬で狂いそうだ。だけど、それが一番いい。よく言うじゃないか。過去にとらわれてはいけない。前を向いていけ。

 彼女も自分のペンダントを俺に渡す。

「竜吾が持ってて。わたしも、竜吾が誰を好きになってもかまわない。彼女に、捨ててもらって」

 彼女も無理に笑っていた。見てて、胸を締め付ける笑顔。

 その愛くるしい顔に、涙をうっすらと浮かべ……。

 そっと彼女を引き寄せ、抱きしめる。

「泣いて……いいぞ……」

「ばか……そんな言葉かかけられたら本当に泣いちゃうじゃん……」

 そう言って、俺にすがりつき、泣き始める。

「どっちがいいんだよ……」

 そんな事を言いながらも、彼女をきゅっと抱きしめる。

 離したくない。

 離したら、もう彼女は他人になってしまう。

 そっと放し、顔を彼女の顔に近づけ、目をつぶる。彼女も目をつぶった。

 …………………………。

「やめた」

目を開ける。

「……しないの?」

 うっすらと目を開けた。まだ目が赤い。

「ああ。ファーストは俺だったから……な、セカンドキスは、次の彼氏にしてやれ」

 今度は、きちんと笑って言えた。無理やりな笑顔じゃなく、気持ちの整理をつけて、最後に彼女に送る笑顔。

「わかった」

 そして、彼女も、俺に、最高の笑顔を見せてくれた。……魅せる……かな?

「竜吾、最後にジャンケン」

 彼女の意図が解からないまま、俺らはジャンケンをした。やっぱり、俺が負け。

「七百五十円、帳消しでいい?」

 些細なことですら、

「ああ」

 未練を残さないために。

「本当に……いいよね?」

 落ち着きの無い今を、

「ああ……OKだ」

 そつない会話で終わらせるために。

 逢ったその日のようであるように。

 悔いの無いように。

 お互いに見つめあい、そして、同時に呟く。

「じゃあな」

「じゃあね」

 二人とも荷物を持ち、後ろを向く。

 背中合わせになると、俺らは振り返らずに、歩き出した。

 お互いを、一歩一歩胸に刻みつつ、その場を去っていった。

 

 

 バスの中。

 手の中には、ずっと彼女のペンダントがある。

 今さら、住所とか携帯の番号とかを聞けばよかったなとか思ってしまう。

 もう、彼女とは、逢える訳が無いのに……。

 バスの窓の外に、観覧車があった。綺麗にライトアップされていて、ネオンが光り輝いて―――

 ふと、ハウステンボスで見た、花火を、一番最後の花火を思い出した。

 ――ソレに、この恋を重ねる事が出来る。

 上がり、輝き、そして……消える。

 俺はずっとずっと、窓の外を、頬杖をつきながら見つめていた。

 モノレールから見えた風景とはまったく違うけれど、流れてゆくのはおんなじだった。一瞬で、景色が変わる事は……。

 鮮明(透明)な、想い出(スクリーン)ちっぽけ(小さな)な、人間(映画館)

 流れていくスクリーンを見ながら、そっと呟く。

「絶対……忘れない……」

 

 

 ――このペンダントを手放すのは、……ずっと後になりそうだ………。

 

 

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