ドラゴン。 それはこの世に生れ落ちた最強の種族。寿命は万年と言われており、巨大な体は鉄より堅い皮膚を纏っていて、背中についている両翼を広がせば一つの町が夜になるという。鋭い眼光はすべてを滅し、息を吐き出せば山が均され平野になり、地を踏み鳴らせば大地を裂くことができる。 人々は太刀打ちできぬ圧倒的な力の前に、彼らを恐れ敬い、神として崇めた。 しかしその一方で、強欲な人間は彼らを倒すことで富と名声を得ようと画策する。知恵を巡らし武勇を使役し、時に人間はそれを成し遂げる。 彼らはドラゴンバスターと呼ばれ、永遠の英名を轟かせるのである。 とある山に、一つの竜が住み着いたとの噂が立った。麓の村はドラゴンの力に恐怖し、戦々兢々とした日々を過ごしていた。 村人はドラゴンを退治して欲しいと情報を流し、幾人もの戦士がドラゴンバスターの称号を得ようと山へ登っていく。 その先に待っているのが、死だとしても――。 ##### 瞬く間に大量の料理が消えていく。 豪快に盛り付けられた料理は、初め二十皿ぐらいは有っただろうか。色とりどり、貴族のパーティでも開けそうなほど豪勢な料理が並んでいたのだが、今となっては見る影もなく、たった三皿を……訂正、二皿を残すばかりになった。 周りの目も気になるが、オクターは少なくなっていく料理を見極める。壁に立てかけてある剣が倒れても気にしない。髪が長くなってきたからそろそろ切らないと……なんてことは些細すぎる問題だ。彼は沈着冷静に、目下最重要である自分の料理確保任務を遂行し、ほっとため息をついた。 数十秒後、机の上から料理がなくなった。彼が確保した分を残して。 「ねえ、オクター」 と料理を食い尽くした主が彼へ話し掛けた。 「なんだ? のどが渇いたなら飲み物はそこ、尿意をもよおしたならお手洗いはあっち、夜風に当たりたいなら外にでも行ってこい、入り口はあっちだ。それも違う? そうかたくさん食ったもんな、眠いんだろ? いいぞ寝てろ、俺が宿まで運んでやるから。不満そうだな。俺の背中は一級品のベッドに匹敵するぞ。お望みならお姫様抱っこだっていい」 オクターの対面に座る、艶やかな銀の髪と宝石のような銀の眼を持った女性、コトリは、真剣な眼差しに見えなくもない、単なる無表情でオクターに訴えかけた。 「わたしね、お腹が切ないの」 オクターは思わず剣を抜きそうになったが、わなわなとこぶしを握り締め机に叩きつける。お皿が一枚落ちて割れた。 「お前な、いったいどれだけ食えば気が済むんだ? 毎回毎回毎回毎回大量に食べやがって、俺が貯めに貯めたお金を食いつぶす気か?」 瞬間、コトリの手が尋常ではないスピードで伸びてくる。数日前は何が起きたのか解らずに呆然としていたが今は違う。 オクターはフォークを握り締め、自分の皿にちんまり盛られている肉を突き刺した。次の瞬間、コトリのフォークもその肉に突き刺さる。 「少し頂戴」 「お前の少しはこの皿全部ってことだから、全身全霊で却下させてもらう」 一つの肉に二本のフォークを突き立て、一組の男女が激しく火花を散らしている。周りの客はどよめき、その場から少しずつ離れていく。 力を抜いたら負け。オクターは決して怯むことなくフォークに力をこめる。 腕力で彼女に勝てないことは解っている。だからここはコトリの戦意を殺げば勝ちなのだ。その為には自分が肉を譲る意思のないことを明確に示さなくてはならない。 肉が引きちぎれそうなほど伸び、フォークが皿を削り不快な音を立てる。 お皿がピキと断末魔を上げようとしたその時、突然部屋が騒々しい音で満たされた。 オクターが音の原因を見やると、教養のなさそうな筋骨隆々の大男が大金を賭けて腕相撲をしているところだった。 次々と対戦相手から金を巻き上げていく姿は圧巻だが、ここは庶民も入る酒場なのだから静かにして欲しいものだ。 オクターは溜息混じりに視線を戻した。 「………」 絶句。 目の前のお皿に盛られていた、自分の分だったはずの料理は、今まさにコトリの口の中へ消えていくところだった。 「オクター」 「……なんだ。服が汚れたなら布巾でも貰って来い、椅子が低いなら他のものに取り替えてもらえ、ここの酒場の名前の由来を知りたいなら教えてやる、背中が痒いなら心ゆくまで掻いてやる、店の中が騒がしいって言うんならもう出よう。そうだ、出よう」 「わたしね、まだまだ、お腹が切ないの」 オクターの頬が引きつる。今にも机を叩き割ってしまいそうな拳を理性で押さえつけ、コトリに優しく諭した。 「コトリ、散々言ってるけどな、もうお金がないんだ。俺が拠点にしてる町に着くのは明後日、そこに着かなきゃ仕事もないし金もない。お前が今のまま食い続けたら、明日一日の生命維持行動がまったく取れなくなるんだよ。解るか?」 「お腹が切ないのに」 「お腹が切ない以外にも意見を言え!」 怒髪天を突く勢いのオクターだが、コトリは無表情なまま可愛らしく小首をかしげた。 「お金が無いから、わたしのお腹が切ないままなの?」 「そういうことだ。今日は諦めろ。というか今後一切諦めてくれると助かる」 コトリはそれ以上反論せず、きょろきょろと辺りを見渡しだした。お金でも探しているのだろうが、犯罪でも起こさない限り見つかるなんてありえないわけで。 (まぁ、頑張って探してくれ) オクターはコトリに見つからないように、机の下に隠しておいた料理を口に運んだ。 事は十日ほど前、オクターがとある噂を耳にしたことから始まった。 ドラゴンが山に棲み着いている。 初めは噂程度だったその話も、それを信じた戦士がドラゴンを倒そうと山へ登ると誰一人として帰ってくることはなく、噂はやがて真実へと変わっていった。 ドラゴンは世界に五体いると言われている。 レッドドラゴン、グリーンドラゴン、ブルードラゴン、ブラックドラゴン、ホワイトドラゴンの五種類で、それは数々の文献に残されている。彼らは人里離れた場所で暮らしているとされており、滅多に姿は現さないし、一度人間にその姿を見られると棲家を変えてしまうため、ますます人間が拝謁することは叶わない。 だが今回のように、数千年に一度、人の手の届く場所に定住する出来事が必ず起きる。理由は知られていないが、一説では人間がドラゴンに対する畏敬の念を忘れないようにしているのではと言われている。 そんな小難しいことはさておき、オクターもドラゴンの噂を耳にした。 彼は戦士たちが求めた富や名声などは二の次三の次ぐらいに思っており、本来なら無視していたであろうその噂。 しかし彼は山に登った。ドラゴンを退治しようなんて露にも思っていない。 ただ単に、興味があったからである。 オクターは獣道を歩いていた。 この獣道は、ドラゴンを倒そうと意気込み、死んでいった戦士たちが作り上げたもので、天国への一方通行と皮肉めいた名前が付けられている。今までに何百人もの戦士が登り帰って来なかったのだから、間違ってるとも言えないだけに性質が悪い。 「面白そうな奴だといいけどな」 ドラゴンを倒して富や名声を得たい。そんな気持ちが全くないわけではないが、数多の猛者たちが挑み敗れていったほどの強さを持つのだ。そんなドラゴンに勝てるなどとはさらさら思っていない。 ただ一度でいいからこの目にドラゴンの姿を収めたいと思っていた。数千年に一度しか姿を現さないドラゴンが、自分が生きている時に人間の手が届く場所にやってきたのだ。このチャンスを逃したら一生ドラゴンをお目にかかることは無くなるだろう。 彼の感覚からすれば、見られるときに見ておかなければ損なのである。 友人にその旨を告げたら馬鹿げてると言われた。好奇心のために命まで失ったら元も子もないだろうと。 (確かにそれは正論なんだけどな) 興味のあることにはどんな危険な事でも首を突っ込まずにいられない。これは彼の生まれつきの性格で、今後とも直すつもりはない。 彼が一度興味を持ってしまえば、正論や迷いなどは右から左へ抜けていく。面倒臭くなったら帰る予定だし、戦わずに逃げればそんなに危険な目にあうはずがないという根拠のない自信も手伝い、ここまで来てしまったわけだ。 獣道を進み、日が傾きかけて暗くなる時間帯になってようやくドラゴンが住んでいるらしい洞窟に辿り着いた。 洞窟はかがり火に照らされ煌々と光り、オクターを誘い込んでるように見えた。 (まさか夕方になるとはな) あまり標高のない山だし、朝早くに出たのでいくらなんでも昼の間に着くと思っていたのだ。この時間帯では怖気づいて逃げようとしても暗闇のため遭難してしまうかもしれない。 (で、何もせずに帰るのは恥でもあるし、この洞窟に突入し、返り討ちか) 容易に想像できてしまった戦士たちの姿に苦笑しながら、洞窟の外壁や床になんの仕掛けもないことを確認し中へと入った。 入り口もそうだったが洞窟内部も明るい。まるで彼がここに来ることを予測していたかのように焚き木が燃やされている。 「普通の奴はこういう雰囲気に燃えるんだろうな。俺が選ばれし勇者だ! ドラゴンが俺との決戦を望んでいる! なんてな」 オクターは鼻歌交じりで前へと進む。今までこの道を通った者から見れば、彼は変人以外の何者でもないだろう。 半分ピクニック気分で進んでいくと巨大な空間を見つけた。まさにドラゴンが鎮座していそうな広大無辺の空間だ。そこは薄暗く辺りが良く見えないので、通路の火を頂戴しランプを灯す。足元は明るくなったが、空間の端や天井が目で確認できない。ヒュゥと口笛を吹くと、反響が返ってくることはなく、消えていった。 オクターは腰に下げてある剣に手を添える。こちらから攻撃を仕掛けるつもりは毛頭ないが、ドラゴンが先制攻撃を仕掛けてくる可能性は否めないのだ。 しばらく聞き耳を立てていたが何の変化もない。このままここにいても埒があかないので周辺を探索することにした。 「壁に沿って歩くのも面白くないしな」 ということで、堂々と中央へ向かって歩くことにする。今歩いてきた通路は明るいから迷子にはならないだろうとの算段の元にだ。 背後の光が見えなくなっていく様は薄ら寒いが、何事もなく前へ進めてしまうことに彼は飽きを感じ始めていた。せめてドラゴンの鳴声やいびきがするとか、トラップが有るとか、今までここに来た人間の白骨死体が有るとか、とにかく何か有れば面白いのに。 そんなことを考えていると、前方にぼんやりと白い何かが横たわっているのが見えた。オクターはランプをかざしたが、暗くて目視できない。 慎重に近づいていくと、そこに横たわっていたのは自分と年が同じか少し下の女性の姿だった。長い銀の髪に透き通るような白い肌。どこか気高い雰囲気を纏った女性はぴくりとも動かず死んでいるかと思われた。が、胸は上下しており息はありそうだ。 なぜこんな所に女性が? 疑問は有ったが、オクターは女の横に腰をおろし肩を揺らす。 「どうした、大丈夫か?」 オクターが声をかけると、女が少しだけ反応する。彼女は弱々しい声で、それでも精一杯、彼へと症状を告げた。 「……お腹が」 「痛いのか? 病気って事か。参ったな、腹痛薬は今切らしてるし、外は暗いから麓まで行くのも厳しい」 「痛いんじゃなくて」 「違うのか? ならどうして倒れてるんだ?」 「切ないの」 「は?」 オクターはいまいち言葉の意味が理解できなかった。銀髪の女はのっそりと起き上がると、髪に負けないほどの美しい、宝石と見紛うような銀の眼を、オクターへ向けた。 瞬間。 体中の神経を逆撫でされたような、堰を切って逃げ出したいような、このまま見つめていたいような、感覚が吹き飛んでしまいそうな――。 彼の血液が凝固したような悪寒を伴った痛みが全身を駆け抜けた。 ヤバイと、僅かに残っている理性が警鐘を鳴らした。この瞳に見つめられていたら脳髄が焼き切れそうになる。彼女が凝する視線は鋭利な凶器に成り果てる。このままでは自分が自分に殺される――衝動的に、オクターは剣を抜きそうになった。 (駄目だ!) 微かに灯っていた理性の予感が、剣を抜きそうになる右手を左手で押さえつける。だが深い深い銀の瞳に投げ込まれた彼の意識は、加速度的に奥へ奥へと飲み込まれていく。徐々に深くなる意識の束縛は痛覚を以ってしても緩まることをしらない。それでも、唯一これが自分なんだと理解できる痛みを捻出するため、オクターは思い切り右腕を握り締めた。爪が食い込み血が滲むが、それでも思考が捩れ、僅かな人間としての理性が弾けそうになる。 「お腹が切なすぎて、たまらないの」 しかし、あまりにも間の抜けた女の発言で、一瞬して体の震えは収まった。 全身の力がどっと抜ける。全身に冷や汗を掻いており、今日ここまで登山した以上に体が疲労していた。 あのままだったら、この女を斬り殺していたかもしれない。 深呼吸一つ。女の瞳を見ないようにして……と思ったが、結局視線が合ってしまった。しかし今回は妙な震えが起きなかった。 「お腹が切ない、切ない――」 女はうわ言のように切ないと繰り返す。今度はしっかりと女の言葉を吟味した。お腹が切ない、つまり。 「腹が減ってるって事か?」 「そうとも言う」 「干し肉しかないが、それでいいか?」 「うん、それでいい」 オクターはバッグから一枚干し肉を渡すと、銀髪の女は嬉しそうにそれを頬張った。そして肉は一瞬でなくなった。本来なら引きちぎるのに何回もかまなくてはいけないほど硬いのに、彼女は一瞬で食べきってしまったのだ。 口に何もなくなったのが侘しいのか、彼女はもの欲しそうにオクターを見つめる。 「……ほらよ」 オクターはもう一枚渡す。すると予想通り瞬く間に肉は消えて、女の視線がバッグへと向いた。 オクターはバッグからごっそりと干し肉を取り出して、女に渡した。 「もうそれ以上は無いからな」 オクターは釘をさしておく。すでに肉を数枚消費していた女は体をびくりとさせると、彼の言葉を肝に銘じたのか、食事のスピードが遅くなった。 女にいろいろと訊きたい事があるのだが、目を見張るような豪快な食事中に訊ねても答えてくれそうにないので、食事の終わりを待つことにする。 程なくして、食事が終了した。 「ん、まだ切ないけど、楽になった。ありがとう」 「まだ食い足りないのか? お前の腹は底なしかよ!」 彼は絶叫する。干し肉は非常食で、普通なら一枚食べれば十分お腹が満ちるはずなのだ。しかし女は平然としており、まだ満腹じゃないと宣言する。きっと胃袋の構造が違うのだろうということで納得した。そうでもしないと話題が次に進みそうにない。 「お前の名前は? 俺はオクター」 「わたしはコトリ」 大食らいの癖に、それに似合わない可愛らしい名前を持っているものだ。 「どうしてこんな所に倒れていたんだ?」 「暇だったの。何もなくて誰もこなくて暇だったから、うだーって寝てたら、お腹が切なくて起きられなくなっちゃったの」 「それは壮絶な理由だな」 「うん」 コトリは大げさに頷いてみせた。何と言うか、頭とお腹がかわいそうな女である。そんなことを思ってしまったが、オクターは口には出さないでおいた。最大限の優しさだ。 この女がどんな理由でこの洞窟に来たのか。気になることではあるがそこまで興味がわかなかったので、彼がこの洞窟へ来た目的を果たすことにした。 「ドラゴンって知ってるか?」 「うん、知ってる」 「この洞窟にはドラゴンがいるって話なんだが、どこにいるか知ってるか?」 その質問に、コトリはすっと、人差し指を自分自身に向けた。 「――なっ!」 オクターは驚きを隠せなかった。コトリの人差し指は彼女の口元を指していたからだ! 「ドラゴンを食べたのか!」 ありえる、大いにありえる。この大食娘が食べ物を求めて巨大な肉の塊であるドラゴンをついつい屠ってしまう、そんな光景が容易に想像できる。というかそれですべての事象に辻褄が合う。洞窟にはドラゴンがいるはずなのに、そのドラゴンが不在、代わりに銀髪の女がいる。この女がドラゴンを食べたとなれば納得できる。 (いや……まさか! ドラゴンがこの山に住み着いたというのは嘘で、この女が現れた人間を次々と食らっていたのか? そうだとしたらやばいな。次の標的はこの俺か) ぶつぶつと声に出しながらオクターは真剣に悩み始める。コトリはその様子を不機嫌な様子で眺めていた。 「ドラゴンは食べないよ。人間も食べない」 「じゃあドラゴンはどこだよ」 「だから、わたしがドラゴン」 「を食べたんだろ?」 「食べてない。わたしがわたしを食べられるわけない」 やっぱり頭がかわいそうな子だったのか。オクターは深々と同情のため息をついた。 「む、信じてない」 「いや、お前がドラゴンなら面白いし、どっちでもいいぞ」 もう興味が失せた、そう言わんばかりの態度のオクター。ここから早く帰りたいオーラが全面から押し出されている。 「わたしはドラゴンなの。ドラゴンの中でも、ホワイトドラゴンで、髪も眼も銀。これがホワイトドラゴンの証」 「あー、じゃあそういうことでいいよ。信じる」 オクターの態度に不満そうなコトリだが、しかし話を先に進める。 「それでね、今日、決まったの。ここにきてから三年、ようやく見つかった」 「おう、それは良かったな。何が見つかったって?」 「わたしの主となる人。オクター、あなたのこと」 「いや、よく解らないが厄介事なら遠慮する。というか、弟子とか召使とかそういうのは趣味じゃないからいらない。宗教ならなおさら拒否だ」 「待って。あなたは選定に合格したんだから、説明くらい聞いて欲しい」 「選定?」 「うん、選定」 コトリは突然、オクターの両肩を鷲掴みにした。彼が何をされているのか理解する前に、コトリの銀色の瞳が、深遠なるその瞳が、オクターの瞳を捉えた。 瞬間。 ぞくりと、全身が震えた。血液が逆流しそうな、神経が引きちぎられそうな、思考がぐちゃぐちゃになりそうな、身体が壊れてしまいそうな。見つめられるだけで精神がいかれてしまいそうになる彼女の瞳。二度目ということもあって、オクターはそれなりに冷静さを保っていられた。彼は理解する。これは絶対的な恐怖だ。生の奔流だ。ドラゴンから人間への、手向けなのだ。 ふっと、全身を覆い尽くす圧迫感がなくなった。コトリとオクターは見つめ合ったまま会話を続ける。 「今のが選定。竜眼って呼ぶんだけど、ドラゴンの睨みは他の動物には必殺の凶器になる。だけど人間に対してはちょっと特殊で、人間は竜眼で睨まれると、壊れちゃうの」 コトリは淡々と語る。 「なんで壊れちゃうのかは知らないけど、壊れた人間はわたしを襲ってくるから、わたしは仕方なくその人間を殺すしかなくなる。殺した人間の死体は、土に埋めるの」 「てっきり食べたもんだと思ってたけどな」 「食べないよ。人間は主になるかもしれないんだから、敬意を払わないと」 ドラゴンが人間に敬意を払うなんて、少し滑稽な話に聞こえる。 すでに、オクターはこの女がドラゴンであることを認めていた。いや、認めざるを得なかった。二度目の竜眼、あの中でこの女がドラゴンだと心に刻み付けられてしまったから。恐怖の本質を理解してしまったから。 「それで、その竜眼で壊れなかった人間、俺が選ばれたわけか?」 「当たり」 彼は思わず自嘲した。あのまま発狂できれば、さぞかし楽だっただろうに。 「三年、って言ったか? 俺が見つかるまでの時間。俺はそれほど珍しい存在なのか?」 「うん。二百年に一人って言われてる。もっとも、ドラゴンがその人間を欲した時期に必ずいるようにできてるらしいけど」 「それで何のために、人間の大部分を発狂させてしまう強引な選定を行使してまで、俺を探していたんだ? そもそも、どうしてドラゴンが人間の姿を?」 コトリの顔が、さらにオクターに近づいた。 「人間の姿は仮の姿。仮の姿と言っても、これが本当の姿でもある」 「二つの姿を持つってことか」 「うん。そして、今はドラゴンの姿が一時的に封印されている状態なの。それを解き放つための儀式に、人間が必要になってくる」 「儀式? なんかとんでもなくきな臭い響きだな。俺は生贄って事か?」 「知らない。生贄かもしれないし、どこかで人間が介入しなくちゃ成り立たない儀式かもしれないし」 「なんでお前が知らないんだ?」 「知らないものは知らない」 「ドラゴンの癖に全知全能じゃないんだな……。とにかく、できる限りの説明をしてくれ。ドラゴンについてや、その儀式って物についてな」 ここから、コトリの一方的な説明を聞くことになった。相変わらず、至近距離で見つめ合ったままだが。 ドラゴンには四つの成長段階がある。幼竜、若竜、成竜、老竜の四つだ。 幼竜はいわゆる赤ちゃんの時で、ドラゴンの姿のまま過ごす事になる。親はおらず、生まれたときには人間の大人程度の知力があり、狩りをしながら一人で生きていくのだそうだ。どこでどうやって生まれたのかはコトリにも解らないらしい。 若竜は今のコトリの状態。ドラゴンの姿が封印されて、人間の姿のまま約二百年過ごすのだそうだ。ドラゴンに生殖能力などは無いが一応オスとメスの区別があり、コトリはメスで、人間の姿も女性の姿になる。 成竜になればドラゴンや人間へと姿形を変えられるようになり、成竜になってから千年経つと老竜に呼び名が変わるとの事。 そして、儀式とは若竜から成竜になるための通過儀礼である。 儀式の全容は解っていないが、その際に何らかの形で人間が関わるため、コトリはその人間を選定していたのだ。竜眼で睨まれた位では壊れない、強き人間を。 ドラゴンの主となる人間を、である。 「若竜と成竜では、力が段違いなの。今の力が一だとすると、成竜は千ぐらい」 若竜でさえ人間の百倍の力はあるというから、成竜はとんでもない化け物だということが解る。 「その儀式が何なのか、どこで行えばいいのかも解ってないから、まずはその場所や方法を探すことから始めることになるの」 目的が漠然としているが、主となる人間を見つければ目的はおのずと探し出せるとのこと。それを彼女は必然と呼んだが、今一つ釈然としない。 選定方法といい探索方法といい、人間的に考えると無茶苦茶だ。 (なんか、儀式中に俺は死んでしまいそうだな) 莫大な力を手に入れる対価が、主となった人間の肉体なのではないだろうか。そんな匂いがぷんぷんする。そう考えれば竜眼では壊れない強い人間を欲していた理由も何となく解ってくる。まぁ、その時は潔く受け入れてやろうと思うけど。 「話はそれだけか?」 「うん」 「じゃあ早速出かけるか」 「わたしの主になってくれるの?」 あっさりと引き受けたことに、コトリは驚きを隠せないようだ。 「なんだ? 俺が主を引き受けたのがそんなに驚きか?」 「オクターは初め嫌がってたから。なってくれるなら嬉しいけど」 「そもそもならないって選択肢があるのか?」 「あるよ。ドラゴンに選択権はない。ただ選定をして条件に見合う人間を見つけるだけだから、選択権は人間側にしかないの。もし断るのなら、わたしはまた選定に合格する人間を探すだけ。断ってもわたしはあなたを殺すことはないから何も問題はない。ただ――」 「ただ?」 「オクターのことを恨むけど」 彼は思わず噴き出しそうになる。 「大丈夫だ。主になってやるよ。恨まれたらたまんないしな」 「本当に? もしかしたら儀式中に死んじゃうかもしれないし」 「心配してくれてるのか? ドラゴン様が人間を?」 「ううん、特にしてない」 にべもない返答に、今度こそ彼は腹を抱え笑ってしまった。実に面白い女、いや、ドラゴンだ。 「ま、死んだって構わないさ。俺は興味のあることしかやらない主義なんだが、ドラゴンとの旅は実に興味深い。俺は二百年に一度の逸材らしいし、俺が決めたことで結果死んだのなら諦めるさ。綺麗な女と一緒に旅できるのも悪い気はしないしな。さ、俺の気が変わらないうちに早く出かけるぞ」 突然、コトリがささっとオクターから離れた。そういえば今までずっと密着状態だったんだなと思いつつ、なぜか顔が真っ赤に染まっているコトリに問い掛ける。 「いきなりどうした?」 「き、綺麗って、わたしのこと?」 「そりゃな。俺が綺麗なんてありえないし、ここにはお前以外に綺麗って呼べるものはないだろ」 その言葉にさらに顔を赤くするコトリ。耳の先まで真っ赤に染まり、もともと色白だから赤が余計に目立つ。 彼女は褒め慣れていないのか。確かめてみるため、美人とか可愛いとか言ってみたけどそれらの褒め言葉には反応せず、綺麗と言った時だけコトリの挙動がおかしくなる。オクターの口元ににやりと笑みが張り付いた。 「いや、びっくりした。コトリはこんなに綺麗なのに、綺麗って言われ慣れてないのか。お世辞じゃないぞ、今まで女をたくさん見てきたが、お前が一番綺麗だな。綺麗すぎて他の女なんて霞むのは当然。綺麗なお前と歩ける俺はまさに羨望の的――」 がばっと、コトリに口をふさがれた。 「そ、それ以上言わないで。き、綺麗って言葉は人間界での最高の褒め言葉なんだから、多用したら駄目」 別に綺麗は最高の褒め言葉ではないのだが、どうやら勘違いしてるらしい。別に勘違いを正す必要もないし、むしろそのままの方が好都合。時々からかわせてもらおうとほくそ笑んだ。 「ともかく、早く出発しよう」 「待って。あと、もう一つ」 「まだ何か有るのか」 コトリは無言で、また、オクターの両肩をがっちりと掴んだ。銀色の竜眼がオクターの瞳を睨む。三度目と有ってか、オクターはなんとか平静を保っていられた。それどころか、コトリの瞳を見返す余裕さえあった。 「【我の名はコトリ。ここに竜の契約を結ぶ。ここに永久の締盟を交わす。ここに僕となることを誓言する】」 知らない言語、知らない発音。しかしオクターはその意味を理解し、そうあることが当然であるかのように口ずさんだ。 「【我の名はオクター。ここに竜の契約を結ぶ。ここに永久の締盟を交わす。ここに主となることを誓言する】」 ふと、コトリの顔が近づいてくる。 言葉と言葉で約束し、それを紛れないように結束する行為。それはどことなく、鴛鴦の契りに似ていた。 唇が重なった。 瞬間、オクターの視界が真っ白に染め上げられ、意識を失った。 今となっては後悔している。 まさかここまで食費がかさむとは思わなかったのだ。いや、干し肉を食らい尽くした時点で気づくべきだったのだが、いかんせんあの時はそこまで頭が回らなかった。 とはいえ、今更どうこう文句を言える状態ではない。竜の契約は、一度結んでしまうと死ぬまで解けないのである。 コトリの食費をやりくりすること以外、和気藹々と楽しく旅をできるのが救いである。これでコトリとの相性が悪かったら、迷わず割腹自殺しているだろう。 オクターはコップ一杯のビールを飲み干す。本当なら瓶単位で飲みたいところだが、コトリの食費で貯蓄が消えていくから我慢だ。自身の不遇さに泣きそうになった。 (そういえば、コトリはどこに行ったんだ?) いつの間にか、目の前からコトリの姿が消えていた。お手洗いに行ったに違いないと決め付け、オクターはここぞとばかりに机の下の料理を貪り食う。お手洗いじゃなかったとしても、どうせ他の人間はコトリに手出しすらできないはずだし、竜の契約もあるから離れ離れになることも有るまい。 コトリ曰く、竜の契約を結んだドラゴンと人間は、会いたいとさえ思えば簡単に相手を見つけることができるのだそうだ。人生を共有したと言えば格好いいのだろうが、呪いにしか感じられないのはオクターの所為ではないだろう。 竜の契約後、オクターは様々な文献でドラゴンのことを調べたのだが、どれもこれも伝聞や誇張が含まれていて、コトリから聞いた方が確かで解り易い事象ばかりだった。 しかしたった一つ、コトリの知らない情報がちんまりと書き記されていたのである。 『成竜と化すための儀式を経て、竜はドラゴンの姿を取り戻し、竜の主は命を捧げる事になると言われている』 やっぱりと言うか何と言うか、儀式を終えたら、主、つまりオクターは死んでしまうらしい。 (ま、そのときはそのときだけどな) 諦めが肝心。コトリと旅をすると決めたときから、何となく死ぬと解っていたのだから。どうせ死ぬのなら今のうちに興味があることをやり尽くしておけばいい。……お金の問題はあるけれど。 そう、問題といえば、旅で目指すところが明確でないことも挙げられる。成竜になるという最終目標は有るけれど、どこをどうやって探したらいいのか見当がつかない。 制限時間などは無いようなので、二人で話し合った結果、オクターが拠点にしていた町でぼちぼちやっていくことになった。コトリ曰く、儀式に関する情報を欲していれば時期がくれば必然と舞い込んでくると言うし、適当にやっていければと思っている。 オクターの食事が終了した。コトリが戻ってくる前に任務が終わりほっと胸をなでおろす。食事くらい静かに食べたいけれど、それはもう叶いそうにない。 とことこと足音を立てて、すべての悩みの根源であるコトリが帰ってきた。 「オクター、これで料理もっと食べられる?」 「ん、なんだそれは?」 コトリが手にしていたのは大きな麻袋。ずっしりと重い袋の口を開けてみると、その中には銀貨銅貨がぎっしりと詰まっていた。 「そりゃ、これだけあればたらふく、お前でも一週間近くは食えるが……」 「一週間も。うん、わたし頑張った」 自分で自分を褒めるコトリを見て、オクターは嫌な予感がした。 「おい、そのお金、どこで調達してきた? 盗んできたんじゃあるまいな」 「盗んでないよ。きちんと合意の上で貰ってきたよ」 「そんな大金を貰った? どこの聖人だそりゃ」 「あそこ」 コトリが指差したその先にあったものは筋肉質の大男。なぜか机に突っ伏して肩を震わせているが、理由は考えたくない気がする。 「……あれが聖人か。そうだよな、ドラゴンがこんな奴なんだから、聖人があんなのでも文句は言えないか」 とりあえずボケてから、冷静に考察する。 確かあの男は、先ほど腕相撲でお金を賭けて騒いでいた男ではなかろうか? 短絡的に考察すると、あの男が泣いているのは、一見ひ弱そうな女のコトリに腕相撲で惨敗し、今までに稼ぎに稼いだ大金をぶん取られたから。それだけではなく腕も痛めたんじゃないだろうか。コトリは手加減を知らなさそうだし。 「コトリ、逃げるぞ」 「え、どうして? まだわたしお腹が切ない――」 ガタンッ! 物騒な音を立てて、筋肉質な聖者が立ち上がった。拳を握り締め、竜眼ほどではないが鋭い眼光でこちらを睨み据えてくる。 「睨み返す?」 「いや止めとけ。こんなところで狂人を作ったら店の人に迷惑だろ」 「そうだね。ここの料理美味しいし」 オクターは机の上に勘定を置くと、コトリの手を取って脱兎の如く酒場を飛び出した。後ろから逆恨みに近い怒声が聞こえたが、オクターは気にせず町の真ん中を疾走する。 「コトリ、貰ったお金はきちんと持ってきたよな」 「うん。わたしの料理の元はきちんと確保」 「なら問題ない」 コトリのせいでトラブル続き、金はなくなるし、それ以前に下僕のような扱いだ。しかし、オクターはそれらを受け入れ楽しもうと、心に決めていた。 彼は、竜の主――別名、ドラゴンサーヴァントなのだから。 |
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