【91.例えば僕とコンドウさんのお話10】

 僕たちは公園のベンチに腰掛けている。この公園は防風林の役割を果たす木々が多く、花火を見るために陣取るには少々不適だ。現に、今の僕の位置からでは音が聞こえるだけで、空を見上げても木々が揺れているのが見えるだけ。
「ゴメンね。本当にゴメンね」
 コンドウさんが僕に頭を下げて謝っている。つむじまで見えるくらい深々と頭を下げている。
「大丈夫だよ。火傷したわけでもなかったし」
 僕のTシャツの左肩部分は、この薄暗い場所では解りづらいだろうが、あんこ塗れになっていた。
 原因は単純。今川焼きを買って戻ってきたコンドウさんが派手につまづいて、正面にいた僕が転倒は防いであげられたんだけど、コンドウさんが突き出した右手にあった今川焼きが僕の左肩で押し潰されてしまったわけだ。その屋台の今川焼きはあんこが多く薄皮なのが売りだったらしく被害は大きい。
「今日は転ばずにいたから順調だと思ってたんだけど、……ごめんね」。
「気にしないでいいよ」
 コンドウさんが転んでいたらせっかくの浴衣が汚れてしまったかもしれないのだから、僕の服が汚れるくらい大したことはない。
「そうだ」僕は千円札を取り出して。「さっき千円のプリントTシャツ売ってる出店あったよね。そこで一枚買ってきてくれない? デザインはコンドウさんの好きなのでいいから」
「どうして?」
「ほら、さすがにTシャツをそこの水道で洗わないと。濡れたシャツは着たくないし、コンドウさんが気にしないなら買うのは後でもいいけど」
「う、うん、解った。あまり急がずに買ってくるね」
 慌てたようにコンドウさんは立ち上がり、くるりと僕に背を向けた。
「ちょっと待って」
 コンドウさんが「何?」と振り返る。
「コンドウさんが迷子になるとは思わないけど、もしもの時のために携帯のアドレス交換しておこう。はぐれた二人みたいに携帯繋がらなかったら意味ないけどね」
 僕たちは連絡先を交換し合い、それからコンドウさんは賑やかな道へと戻っていく。
 今までにもアドレスを交換する機会はあったのに、ずいぶん遅かったものだ。行動の早いカタヤマなんて、とっくにコンドウさんのアドレスもらってるだろうに。
 少しだけ重くなった携帯電話をしまうと、水道に向かいシャツを脱ぐ。


【92.例えば僕とコンドウさんのお話11】

 コンドウさんが戻ってきて、目をそらしがちに僕にシャツを渡してくれた。洗ったシャツはベンチの背もたれに引っ掛けてある。持って帰るのを忘れないようにしなければと思いつつ、買ってきてくれたシャツを着た。
 どんな柄のものか花火の光で確認すると、中指をつきたててよく解らない英語をまくし立てている骸骨がプリントされていた。jerkとかwussとかcocksuckerとか、よく意味は解らないけれど、絵柄から見るとどうにも不穏そうな単語で敷き詰められている。
「あんまり柄を見ないで買ってきちゃったんだけど……やっぱり変だったかな?」
「ううん、そんなことないよ。ありがとう」
 でも、このシャツにプリントされているmotherfuckerって単語はかなりの悪口だとどこかで見た記憶があるので、表に出るときはこのシャツを裏返して着ようと思う。
「ハセガワくん、これあげる。お詫びの品として買ってきました」
 手渡されたのは今川焼き。中身はやっぱり黒あんである。
「別にお詫びなんてよかったのに」
「何もないと私の気がすまないし、それに私も食べたかったんだ」
 コンドウさんの手に、メインディッシュとまで言っていたのに食べる前に潰れてしまった今川焼きが再度握られていた。ほくほくのそれを眺めながら、コンドウさんはとても幸せそうな顔をしている。
 ふと、今川焼きが潰れた時の呆然としたコンドウさんの表情を思い出し、思わず笑ってしまった。
「そんなに笑わないでよ」
 コンドウさんが恥ずかしそうにベンチに腰掛ける。
「ごめんごめん。でも今度は転んで今川焼き潰さないように、ここで座って食べてこうね」
「うう……子ども扱いだし……」
 歩き疲れたこともあって、僕たちはベンチでしばらく休んでいくことになった。僕たちは他愛のないことをぐだぐだと話し続ける。夏休みの宿題の進度とか、バレー部でのハプニング集とか、イデさんと仲良くなって出かけたこととか、校長先生は絶対ハゲだよねとか、花火に来る時の電車が異様に混んでたとか、帰りも混むんだろうなとか、今クラス内ではどんな交友関係が築かれているのかとか――
 今川焼きなんてとっくに食べ終わったのに、花火も見えないベンチで、僕たちは語り合う。


【93.例えば僕とコンドウさんのお話12】

 どれくらい時間が経ったか、しばらくして、携帯電話に着信があった。誰からだろうとディスプレイを見ると、カタヤマの名前が表示してある。僕ははっとしてその着信に出た。
『ハセガワー生きてるかー』
 なんだかとても久々に感じられる、飄々としたカタヤマの声だ。
『こっちも何とか生きてたんだが、連絡遅くなった。こっちの携帯両方電池切れ起こしやがって、今コンビニで電池買ったところなんだ。花火大会も終盤だけど連絡ついてよかったぜ』
 僕は愕然とした。僕はカタヤマとはぐれていたことをすっかり失念していた。さらに花火大会だというのにほとんど花火を堪能していない。しかも腕時計を見ると花火終了十分前の時刻を針が指していた。
『ハセガワ? どうした?』
「あ、いや、なんでもない。ヤマさんもそっちにいるんだよね?」
『おう、ヤマモトも一緒だぜ。そっちはコンドウと一緒か?』
「うん。コンドウさんも一緒だね」
『ならよかった。でだな、もう花火も終わっちまうしさ、集合場所は駅にしようぜ。特に急がなくてもいいよなってことで、花火終わってから三十分後の九時でいいか』
「解った。来た時に出た改札口でいいよね」
『それでいいぜ。それじゃあまたな』
 携帯を切ると一つ息をつく。まさかカタヤマとはぐれていたことを忘れてしまったなんて。カタヤマは電池まで買ってくるほど気にしてくれていたと言うのに。
「今の電話、カタヤマくん?」
 コンドウさんが小首をかしげる。
「うん。あとヤマさんも一緒だって。で、九時に駅に集合しようってさ」
「離れ離れになってたのに、話し込んじゃって探すの忘れてたね……」
 コンドウさんが苦笑する。僕はうなずき、一緒に笑った。
「あのね」コンドウさんが少し遠慮がちに切り出す。「ここから駅まで十分くらいだよね? だから、もうちょっとここでゆっくりしていかない?」
 帰り支度を始めているあの人ごみに入っていくのは疲れるし、あと三十分もすれば人も減るだろう。なにか出店で食べ物を買って行く気分でもないし、このシャツでうろつくわけにもいかないし。
「うん、そうしようか」
 それに、夏の虫のさえずりと、雑踏が奏でる喧騒と、コンドウさんの鈴を転がしたような笑い声が妙に心地よくて、ずっとこの場所にいられるような気さえするのだ。
 僕たちは夏の夜風に身をゆだねながら、消え行く花火を惜しむように、言葉を紡いでいく。


【94.例えば僕とコンドウさんのお話13】

 駅に行くと、カタヤマとヤマさんが迎えてくれた。
「おっす、二時間ぶり。しかし、はぐれちゃうわ携帯の電池切れるわで災難だったけどよ、まあ花火は楽しめたろ?」
 カタヤマの言葉に、僕とコンドウさんは顔を見合わせ「うん」とだけうなずいておいた。それを見てカタヤマとヤマさんも顔を見合わせたが、気にせずホームへ向かい、たくさんの人と一緒に電車へ乗り込む。

 僕とコンドウさんとヤマさんが降りる駅までやってくると、なぜかカタヤマも一緒に下車した。
「いや、なんだか俺一人だけ乗ってるのがなんか寂しくて……」
 お祭りのテンションが抜け切っていないのだろうか。次の電車が来るまで、僕が付き合うことになった。コンドウさんとヤマさんは、ヤマさんの母さんが迎えに来ているのでそれで帰るのだという。
 じゃあねと挨拶を交わし二人と別れた。僕は駅のベンチに腰掛ける。カタヤマは自販機で飲み物を買い、一口飲んで大きな溜息をついた。
「やっぱり電車の中はサンドイッチ状態だったな。なんだか全身脱力もんだぜ」
「そうだね。でも無事に帰ってこれてよかったよ」
「だな。そういえば、そのシャツ何で裏返して着てるんだ? モチダじゃあるまいし」
「確かにモチダなら気付いてる上でやりそうだけどね。ちょっとこれには理由があって」
「柄がダサいのか?」
「いろいろと放送禁止用語が書かれているかもしれないんだ」
「何でそんなシャツ持ってるんだよ。くじで当った、それとも買ったのか?」
 理由を説明すると、カタヤマは誰もいないホームで豪快に笑う。
「そりゃ災難だったな」
「本当にね。せっかくの今川焼きがもったいない」
「ああ、非常にもったいない。って、いやいや、シャツ代の方が勿体ねーだろ」
「でもシャツは寝巻きにでもなるし」
「なるほど。そう考えれば問題ないな」
 カタヤマはジュースの最後の一口をあおると、飲み終えた缶をゴミ箱に投入する。缶と缶がぶつかる音が、ホームを伝い反響した。
 そろそろ、次の電車が来る時刻だ。
「そうだ。ハセガワに言いたいことがあるんだ」
 カタヤマはそのまま、僕に背を向けながら言った。些細な口調の変化に、僕は身をこわばらせた。
「俺さ、コンドウが好きなんだ」
 友人の背中が、少しだけ大きくて、遠い。


【95.例えば僕とコンドウさんのお話14】

 コンドウさんを好きだと言ったカタヤマは僕に向き直り、いつもの口調と表情で、コンドウさんへの気持ちを吐き出していく。
「そうだな、席が隣になって話してるうちに好きになっちゃったんだ。可愛いよな。今日の浴衣姿なんて最高だった。ビバうなじだね! 花火よりもコンドウの方が絶対映えてたと思うわけだよ。容姿もさておき、話してたときに感じたけど、純情そうでウブそうで、絶対想ったら一途な性格だぜ」
 カタヤマはいつもと同じなのに、いつもと違うように感じるのはどうしてか。友人の言葉を聞くたびに、僕の心が握り潰されるかのように軋んでいくのだ。
「コンドウの可愛さは上げたらキリがないから置いといて……でさ、ハセガワ。今回も手伝ってくれないか?」
 肯定の言葉を出そうとして、しかしそれは声として成らなかった。ならどんな言葉なら発することができるのかと模索しても、自分の気持ちを整理させられるものは出てこない。
 友人がじっと、答えの遅い僕の目を見ていた。急かしているわけでもなく、期待しているわけでもなく、僕が何を言うのかを見守っているかのような友人の視線に、僕はようやく、すべてに気付く。
「ごめん」
 僕は言った。
「今回だけは手伝えない。僕も、コンドウさんのことが、好きみたいなんだ」
 奇怪な友人の行動を理解する上で、今まで足りなかった情報は、一番身近にあった自分の気持ちだった。友人はヤマさんと結託し、僕とコンドウさんを二人きりにする計画を立てていたのだろう。自分の気持ちになかなか気付けない僕のために、尽力していたのだ。
 僕は心の中で、深く頭を下げた。
「カタヤマはすごいね。僕の気持ちに気付いてたんだ。僕は自分ですら今まで解らなかったのに」
「何言ってんだ。お前の方が周りの人に敏感だろうに」
 カタヤマは大きく肩をすくめ、晴れやかな笑顔になる。
「しかしやっぱハセガワは自分自身の気持ちに気付いてなかったんだな。表に出さないだけかと思ってた時期もあったんだが、お前の性格上それはないだろと考え直して正解だったぜ。まあこれでハセガワが自覚したし、今まで俺の恋の手伝いをしてくれたお礼として、今回は俺がお前の手伝いをしてやるぜ!」
「いや、いらない」
「どうしてだよ。もうお前は解ってると思うが俺はヤマモトとも連絡つくから、コンドウを連れて来てもらって遊ぶとかもできるんだぜ!」
「そうじゃなくて。だって、カタヤマもコンドウさんのことを好きなんだよね? 俗にいるライバルってことになる気がするんだけど」
 カタヤマの笑顔は崩れなかった。
「何言ってやがる。さっきのはお前に自覚させるための嘘だっての」
 嘘だ。
「なんだよ。疑ってるのか? 本当だぞ」
 カタヤマの瞳は一切揺れていなかった。真っ直ぐだった。僕が何を言っても、カタヤマは嘘を貫き通すだろう。カタヤマは芯の強い男だと知っている。なら僕は、その嘘を信じるしかないのだ。
「解った」僕は言った。「でも、カタヤマの手助けはいらない」
「そうか。まあお前は今まで、いろんな人の恋の手助けしてきたんだから、自分の恋なら助言する必要なくてむしろ楽だよな」
「そういうわけじゃなくて、僕はカタヤマみたいに積極的にアタックするような度胸はないし。ゆっくりやるよ」
「恋愛は速度重視だろ! やっぱり俺が手助けしてやるしかないな」
「いや、人に合った速度が大事なんだよ。僕にはカタヤマのペースは速すぎて――」
 騒がしくなったホームに、電車が進入してくる。


【96.例えば僕とコンドウさんのお話15】

 友人が、花火大会を楽しんできた人たちと入れ替わりに電車に乗り込み、姿を消した。
 一時人が多くなったホームも、あっという間に寂しく静かな時を取り戻す。僕はぽつねんと、一人ベンチで考えていた。
 どうして友人は嘘をついたのだろう。友人は僅かでも可能性があれば彼氏もちの女性にだってアピールをしていく人間だ。ただし、好きになった女性の幸せを本気で願っているのも友人であり、自分では幸せにできないと悟ったならあっさりと身を引き、涙を流すタイプでもある。
 もし友人が嘘をついていたならなぜだろう。コンドウさんに恋人はいないので、そのせいで諦めたわけではない。コンドウさんが彼氏を作らない絶対的な理由がある、とは考えづらい。ではコンドウさんにはすでに想い人がいて、それがそろそろ叶おうとしているのだろうか。確かにコンドウさんには誰かに恋をしている気配があったけれど、僕はそれが誰かは解らなかった。でもそうだとしたら、友人は僕を憂いなく全力で応援していた、つまりもしかするとコンドウさんが好きな人は――。
 首を振って、考えを中断した。
 恋に浮かれて、勝手で都合のよい妄想をしてしまうことはよくあることだ。他人の恋を何度も見てきて、諌めてきたことである。
 僕が思い込んでいるだけで、友人の発言が本当に嘘だった可能性だってある以上、考えるのは無駄である。
 しかし、僕がコンドウさんを好きだと自覚したけれど、これからどうしようか。
 とりあえず今からメールでも送ってみようか。携帯を取り出して、今日手に入れたコンドウさんのアドレスを見ながら、今日の花火楽しかったねくらいの簡単な文面のメールを考えてみる。だけどもし、コンドウさんがまだヤマさんと一緒にいたのなら、みえみえすぎて失敗となる可能性がある。
 考え直して、僕は携帯を閉じた。夏休み中にも何かアクションを起こすべきなのだろうけど、なまじいろいろな恋に関わってきただけに、たくさんの行動が思い浮かんでは、すべてに鮮明な失敗映像が流れてくる。自分の恋なのに自分を客観的に見れず、どの選択肢をとればいいのか解らなくなり、頭が混乱してくる。
 周りの人が、僕に相談を求めに来た理由が解った気がした。恋は不確定すぎて、不安で不安で仕方がないのだ。誰かに聞いて欲しくてどうしようもないのだ。僕もそんな状況に陥ってるのだと、そこだけ客観的に自分を見る。
 また電車がやってきた。僕は降車してくる、花火大会で熱冷めやらぬ人に紛れないように、足早にその場所を去る。


【97.例えば僕とコンドウさんのお話16】

 結局、僕は夏休み中に特別な行動は起こさなかった。と言うより、手助けはいらないと伝えたはずなのに、友人が勝手に行動を起こして、僕が行動を起こす暇がなかったというのが正しい。
 友人に誘われて遊びに行くと、その場所には『偶然』コンドウさんとヤマさんがいて、一緒に行動することになるのだ。
 花火大会の後の一週間に、二回そんなことがあった。恐らくヤマさんと連絡を取り合っているのだろうか。『偶然』会ったときの二人の反応が露骨過ぎて苦笑ものだった。しかし、夏休みの間に一回くらい一緒に出かけられる機会があればいいと思っていた僕にはペースが速すぎる。さすがの僕も友人に口調きつく注意した。
「カタヤマ。これ以上こんな回りくどいことするなら、もう遊びの誘いは受けないよ?」
「しゃーないな。ならこれからはちゃんと初めから四人で行く計画立てるぜ!」
 言葉の選択を間違ったのか、ますます友人がやる気を出してしまい、週二、三回、夏休みの間に合計で十回ちょっとも出かけることになってしまった。
 いくらなんでもやりすぎだ。現にコンドウさんも『また?』と言う顔をしていたし、恐らく僕もそんな顔をしていたはず。最後のほうにはヤマさんすらげんなりしていたみたいで、ノリノリだったのはカタヤマだけだった。
 こんな乱暴な形だったけど、コンドウさんと会う機会も増えれば親しくなる時間も多くなるのは必然で、カタヤマ一人がテンション高いことをネタにしながら、簡単なメールでやりとりするくらいの仲にはなっていった。
 ところで。夏休みを経るごとに、友人の、コンドウさんに好意を寄せている風な素振りがなくなってきて、僕がカタヤマの夏休みの宿題を手伝っているころには、普通に友達として接するような態度になっていた。そのおかげで僕は気が楽になったけれど、本当に友人がコンドウさんを好きだったのかは、未だに確証を得ていない。

 夏休みが明ける。
 一学期と変わったのは、僕がコンドウさんを好きだと気付いただけで、授業もテストも変わらずにある二学期がやってきた。
 それは、目が覚めて窓の外を見ると秋雨が降っていた日。僕は自転車で行く気は起きず、傘を持ち、歩いて学校へ向かう。


【98.例えば僕とコンドウさんのお話17】

 いつも通りの授業が終わり放課後になる。僕は少しだけバレー部に顔を出した。僕はバレー部に所属しているわけじゃないけれど、カタヤマモチダを筆頭に仲良くなった人が多いのだ。試合の時には必ず顔を出し、データ取りなども手伝うようになっていて、中には僕を幽霊部員だと勘違いしている人もいる。
 今日は次の試合はいつかと聞きに行っただけですぐに帰ることになり、昇降口を出て、僕は空を見上げていた。
 予報では秋雨前線がうんたらかんたらで一日中雨だと言っていたのに、午後になると予報を笑うかのような青空が広がった。実は登校中にはすでに雨が小康状態だったので、これなら自転車で来ればよかったと空を仰ぐ。
 とりあえず傘を杖代わりに帰ろうと視線を下ろすと、コンドウさんが校門からこちらへ向かってくる姿が見えた。目が合ったので手を振って挨拶。
「どうしたの?」
 コンドウさんが近くに来たので聞いてみる。
「えっと、朝は雨降ってたから傘差してきたんだけど、今はこんな天気だからつい忘れちゃって……」
 傘を取りに来たということか。今日はこんなに晴れているけれど、秋雨前線は手ごわく、明日にはまた雨が降る予報になっているのだ。傘がないとつらいだろう。
「ハセガワくんは今帰り? バレー部はいいの? 部員、だったよね」
「いや、僕はバレー部員じゃないんだよ。顔をよく出してるだけで。だから今日はもう帰り」
「そうだったんだ! 私勘違いしてたよ」
 なんだか申し訳ないくらいにコンドウさんが驚いている。僕はよくバレー部のことを話していたから勘違いするのも無理はない。
「コンドウさんは料理クラブに寄ってかないの?」
「朝雨降ってたでしょ? 傘差して歩いてきたから、今日は早く帰るんだ」
 コンドウさんが料理クラブに所属しているわけではなく、コンドウさんの親友のヤマさんがクラブに所属しているので、頻繁に顔を出しては料理のつまみ食いをしているのだそうだ。作るほうはからっきしだと苦笑いしていたけれど。
 コンドウさんが傘を取りに校舎に入る。傘がなかなか見つからないらしく、傘立ての前で右往左往している。
 僕はふと考える。確かコンドウさんとは帰りの方向が同じなので、この流れだと一緒に帰ることになるのだろうか。今まで、帰りの方向がほとんど同じなのに一緒に帰るような機会もなければ、そもそも姿も滅多に見なかった。お互いに部活に頻繁に顔を出すから下校の時間が重ならないし、重なったところで同性の友達と帰るので、こんな状況は初めてなのだ。
 雨が降った、だから歩いて学校に来た、雨が午後止んでコンドウさんが傘を忘れた、部活動にに大した用事がなかった。いろんが偶然が重なりタイミングが合った。
 傘を見つけたコンドウさんが戻ってきて、晴れのような笑顔で言った。
「それじゃハセガワくん、帰ろ」
 コンドウさんの笑顔を見ていたら、僕も笑顔が移って、うんと首を縦に振る。


【99.例えば僕とコンドウさんのお話18】

 自転車で来ればよかったと思っていたけれど、元々歩くのは嫌いじゃない。自転車では早すぎて汲み取れない情報も、ゆっくり歩いていると自然と受け取ることができるから。
 路面は雨で濡れており、所々に水たまりが発生している。車通りの少ない道を通学路として利用しているので車に水を跳ね上げられてという危険性はないけれど、マンホールの上なんかを通るときは気をつけないと滑って転びそうだ。
 コンドウさんは転ばないだろうかと気になり横を向いたら、そこにコンドウさんの姿がなかった。視線を下ろすと、すでにコンドウさんは転倒していた。僕は慌ててしゃがみ込む。
「大丈夫? 怪我してない?」
「……うん、大丈夫」
 コンドウさんは薄く涙を浮かべて、恥かしそうに起き上がった。
「よく転ぶから、怪我はしないように転ぶすべを身に付けたんだ」
 確かに、ぶつけて赤くはれているけれど血は出ていない。しかし、怪我をしない術より転ばない術を身に付けるべき何じゃないだろうか。感心半分、呆れ半分だ。
「制服は汚れなかった?」
「裾がちょっと汚れただけだから平気」
「路面濡れてるから気をつけないとね」
「うん。雨が降ったから滑らないように気をつけてたんだけど、そうしたら普通の石に躓いちゃって」コンドウさんは上目がちに僕を見て、呟くように「……それに、ちょっと緊張してたんだ」
「緊張?」
「あ、えっと、なんでもないの!」
 コンドウさんは逃げるように足早に歩き出す。だけど数メートル進んだところで止まると、僕のことをちらりとうかがった。僕がコンドウさんに追いつくと、また並んで歩き出す。

 コンドウさんは一度転んだその後も、また何度もつまづいた。
 まずは水たまりを避けようとして。どうやら自分の足に躓いたらしく、電柱に思い切り額をぶつけしばらくうずくまっていた。
 コンドウさんが転ばないよう、もしくは転んでも支えられるように、地面に石がないか確認しながら歩いていたのに、自分の足に躓くこともあるということを忘れていて対処できなかった。
 いつどんな時でも転ぶ可能性があると認識できたあとは、コンドウさんは二回躓いたけれど、両方転倒を防ぐことができた。
「何度もゴメンね。本当にゴメン」
 コンドウさんはその度に謝り、どんどん元気がなくなっていく。声も小さくてしょんぼりしている。何度も転び、僕に迷惑をかけていると思っているのだろうか。
 僕はそんな顔が見たいからコンドウさんを支えているわけではないのに、どうやったら笑ってくれるだろうか。どんな話題を振っても、うつむきがちに答えるだけなのだ。
 どうしようか悩んでいると、本日五回目、コンドウさんの体がよろけた。目の前は水たまりで、ここで転んでしまうと制服が大変なことになる。倒れつつあるコンドウさんの体を、僕は気にせず一歩踏み出して支えた。
 水たまりは意外に深く、踏み出した足は見事に浸水した。濡れた靴下の感触が気持ち悪くて少しだけ顔をしかめた。
「大丈夫? 水跳ね上げちゃったけど服濡れてない?」
「それよりハセガワくんの靴が」
「コンドウさんが全身濡れちゃうよりマシだって。靴なんて一日あれば乾かせるし」
「ほんとごめんね。私ドジだから何度も転んで、迷惑かけて、もう、もう……」
 コンドウさんは酷く落ち込んでいた。何度も迷惑をかけて、あまつさえ靴まで汚させて、彼女にとっては恥かしくて堪らないのだろう。うつむいて、何度も何度もごめんの言葉を繰り返す。
「大丈夫。大したことないよ」
 うつむいているコンドウさんの顔を覗きこみ、声を掛ける。この今にも涙を流しそうな表情を見て、泣かせてはいけないと考えていると同時にとても可愛いと思ってしまった自分は、性格が悪いのだろうか。
「コンドウさんが無事なら問題ないんだ。僕はコンドウさんが、好きだから」


【100.例えば僕とコンドウさんのお話19】

 恋はするものではなくて落ちるものとは誰が言ったのだろうか。初めて聞いたときはなるほどと思ったけれど、いろんな恋を見てきて、今ではそれは違うと考えている。
 その人に接していろんな面を知って、その人に好意を抱いて、その想いがどんどん深くなっていって、それが恋だと気づいた時には抜け出せないものになっているから「落ちた」と錯覚しているだけなのだ。一目ぼれも同じ。一瞬だけ急な坂を降りて落ちたと感じるが、そこから本当に落ちていくのは、その人と接して話して笑って、仲良くなっていくその過程の中である。
 僕もコンドウさんを好きだと気づいたときにはもう穴が深くて、落ちたように感じられた。けれども思い返してみれば席が隣になったときから、コンドウさんと会話して、ともに行動して、勉強教えあって、彼女の仕草、表情を、コンドウさんを知っていき、知りたいと思い、好意を積み重ねてきた過程がたくさんある。
 その積み重ねてきた気持ちが、彼女から涙が流れる前に、ふと言葉となって出てきてしまった。予想外のタイミングでの告白になってしまい、僕は思考が固まってしまう。
 唐突な告白でどう反応していいか解らないのか、コンドウさんはキョトンとしている。僕はこうなったら行くしかないと、頭を整理して、もう一度その言葉を口にした。
「僕はコンドウさんが好きです。付き合ってください」
 シチュエーションが酷くヤケクソ気味の、でも心からの誠意をこめたシンプルな告白。コンドウさんの返事を待つ間、どんな答えでも受け止めようと、ずっとコンドウさんの目を見ていた。張り裂けそうな心音が妙に冷静に聞こえていた。
 しばらく呆然としていたコンドウさんの瞳から、やがて涙が零れ落ちた。僕はうろたえてハンカチを差し出すことすら忘れてしまう。
「ごめん! 突然変なこと言って」
「ちが、違うの……」
 コンドウさんは、止まらない涙を拭いながら続ける。
「こんなにドジで転んでばっかりで迷惑かけてばっかりで、バカだし可愛くないし取り得なんてなくて、嫌われるんじゃないかってずっとずっと怖くて、でも、こんな私に好きって言ってくれて、嬉しくて……」
 流れた涙が、濡れた路面に溶け込んだ。
「あのね、私も、ハセガワくんのことが、あのね、えっと、……」
 言葉が詰まり、先が続かない。ハンカチを渡してしばらく待っても、なかなか落ち着く気配がない。僕はコンドウさんを落ち着かせるために、優しい口調で、自分の積み重ねてきた想いを少しだけ伝えた。
「ずっと思ってたんだ」
 恐らく、恋という穴に向かって行くことになった一つのきっかけ。
「誰かがコンドウさんの側にいて、手をつないで歩けば、コンドウさんは転ばないのにって。その隣にいるのが、僕だったらいいのになって」
 泣き止まない彼女に、そっと手を差し出した。彼女は懸命に涙を拭い、深呼吸一つして涙を止めて、そして眩しいくらいの笑顔で、僕の手を取った。
「私も、ハセガワくんのことが好きです。これからよろしくお願いします」

 OKを貰ったから良かったものの、このシチュエーションには今でも後悔している。
 だけど。
 これは僕にとっての、大切なお話なのだ。


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HR(独り言ルーム)

91話 解ってると思いますが、「少しだけ重くなった〜」は比喩ですよ!
92話 アメリカのスラングです。motherfuckerと米人に言ったら殺されても文句が言えないらしい。
94話 「本当にね。せっかくの今川焼きがもったいない」と言う台詞に関して。
   ササキくんなら「さすがハセガワくん……そう来たか」 モチダなら「そうだな」
96話 ハセガワの考えは正しいんですが、ただし今までの経験から逆に慎重になっています。
   ちなみに、「祭りで騒いでいる人」を軸に、入れ替わりで電車に乗ったカタヤマ、それから逃げるように去ったハセガワ、そんな対比を設けてます。

例えば僕とコンドウさんのお話シリーズについて

 主人公カップルが、100話と言うキリのいい数字で成立しました。
 予定調和とはいえ、告白シーンはいつ書いてても恥かしい。書きながら照れてしまった。
 このカップルの成立話はけっこう前から考えてたんですが、花火大会だけはシリーズ直前で思いついた程度で、全然練りこめておらず苦労しました。
 それでも一番このシリーズで書きたかった台詞を書けたのでそれなりに満足。>誰かがコンドウさんの側にいて〜

 花火大会裏の話は、ヤマさん視点で書きます。しばしお待ちを。
 後で中学時代、ミサキが惚れた理由も書きたいな。書きたいことだらけで完結しないのが進凛北クオリティ。

 そういえば、主人公が初めから恋人同士だった作品は初めてのような気がします。
 いつもは恋愛物語だったり、至らずの関係が好きなのでファンタジーではそれが多いし……。
 しかし、思った以上に主人公カップルが可愛くなってよかったです。書いててとても楽しい。ニヤニヤし放題です。
 では、書き下ろし(?)のαをどうぞー。


【100−α.例えば僕とコンドウさんのお話20】執筆年月日09/1/19

 付き合い始めてから、一週間経ったころだろうか。
 初めてのデートに行くことになって、その場所は近くの公園。そんな場所でいいのかと聞いたら、「お金かからないから何回も行けるし、ハセガワくんと一緒ならどこでもいいんだ」と可愛いことを言われてしまった。基本は公園で、月に一度くらいはどこか遠くへ遊びに行こうと思う。
 そんなデート中、コンドウさんが何かを言いたそうに、何度もちらちらとこちらを窺ってくることがあった。あちらが言うまで待っていたのだが、結局デートの終わりまで何も言ってこなかった。
「何か言いたいことあるよね?」
 帰り際に訊ねたら、コンドウさんはびくんと跳ね上がった。あまりの驚きっぷりに僕のほうもびっくりしてしまう。
「いや、言いづらいことなら言わなくていいけど」
「あの、あのね、えっと、言いづらいことじゃないんだけど」
 言葉とは裏腹に、繋いでいる手からも、緊張が伝わってくる。
「友達から聞いたんだけど、そのね、恋人同士になったら、やっぱり苗字じゃなくて、下の名前で……」
 コンドウさんの声が尻すぼみで小さくなっていく。あまりにおどおどしているものだから笑いそうになる。
 真っ赤になってうつむいてしまった彼女に、僕は言った。
「ミサキ」
「なあに? ……あ」
「そろそろ暗くなってきたし帰ろうか。ミサキもそれでいい?」
「う、うん」
 公園の出口に向かって歩き出そうとしたら、握られていた手がするり離れた。どうしたのかと振り返る。
「アキヒトくん」
 名前を呼ばれた。
「なに?」
「呼んだだけ」
 えへへと、とても幸せそうな笑顔で言われ、あまりにも可愛いものだから、僕は彼女の頭をくしゃくしゃになでてやった。

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