《38》 そこに君がいたから。(中編(1))
よくよく考えればあたりまえの事だった。
あんな事があったのだから、江津は例の場所に弁当を食べに来る訳がないし、瑠那は成績が上がってAクラスに行ったので、普通に合うことも無くなり、これは瑠那が調節していることかもしれないけど、バスも一緒になることが無い。
俺が動かないと、二人には会わないんだって事。
前回の話から一日が過ぎて、今日は水曜日。空は晴れ、もともと水捌けのいいグラウンドなので、いい感じの湿り気具合になっており、ベストコンディションだった。
今は三限目、体育の時間。この学校の体育は普通3クラス編成で行われる。IJK、FGH、CDE、と、三クラスずつ。そして、あまりのABクラス。
Bクラスの俺には、二人のいるAクラスと合同なのはあまりにも苦痛だった。
陸上競技をやっていた。
特別なことをやっているわけじゃなくて、各クラス男女に分かれて四組作り、幅跳び、砲丸投げ、高飛び、一〇〇m走の四つの競技をぐるぐる回るだけ。ノルマはすべての競技を二回以上記録をとること。
俺は一〇〇m走だけを残して、他の競技は記録がとり終わっていた。全部適当にやったので、記録は普通の人より少しだけいいぐらい。本気でやってしまっては、大変なことになるから。
この学校、妙に機器が揃っていて、スリットビデオとか、フライング測定機とかが置いてある。予算が無かったのか一台ずつ。
一回で三人走れ、その中の一人が機械を使うことになる。当然ながら、皆はこの機械を使いたがる。運良く機械を使えて喜んでいた奴とかもいれば、使わなくていいさ、みたいに気取っているやつもいる。
気持ちが恐ろしいぐらい落ち着いていた。すべての場景が簡単に入ってきた。
百メートルが、短く見える。
一回目の記録をとった。
その機械は使わなかった。
普通にストップウォッチで計ってもらう。記録、14.3。
ゆっくりと歩いて、またスタートラインに戻った。
周りでは、雑談している人が目立ってきた。ほとんどの人が計測を終えたのだろう。
何となく、機械を使いたくなった。
好奇心からくるそれではない。
プライドからくるそれ。
自分に、負けたくない気持ち。
いま気がついたが、俺の後ろには誰も並んでいなかった。
俺の組が最終と言う事になる。
今の位置では、あの機械を使えない。
貸してくれと言っても、多分素直には貸してくれないだろう。
だったら――
俺を含めて三人がラインに並ぶ。競技用ピストルが鳴り響き、その場から走り出した。
いや、走ったのは二人だけ。
俺はそこに残っていた。
友達から声を掛けられた。
「なんで走らなかったんだ?」
俺は少し笑んで、その機器を指差した。
「なるほど、お前も使いたかったんだ」
素直に頷いた。
前の二人が走り終わり、次に俺の番になった。
その機器の上に、俺は構えた。
一人で、ラインに立つ。
孤独感が、襲った。
その場から逃げ出したくなった。
走り去ってしまいたかった。
だけど、何かによって引き止められていた。
透明な、何のしがらみの無い鉄鎖。
ふと顔に、違和感を覚える。
―――邪魔だ。
伊達眼鏡が、とてつもなく邪魔だった。
なぜこんなものをしているんだろう。
人との繋がりを持ちたいのなら、こんなもの、していてどうする?
人との隔たりをもつものを、どうしてしていたんだ?
いったん立ち上がった。
眼鏡を取り去った。
投げ捨てた。
どこかから、小さな驚き声が響いた。
気のせいだろうか、いつもよりも視界がクリアになった。
視界にゆがみが無かった。
見えるものが呼吸していた。
全員がこちらを見ているような気がした。
あながち間違いではない。半数は、確実にこちらを見ている。
その中に、あの二人は混ざっているのだろうか。
俺は叫び声を上げたかった。
見ていてくれ。
頼むから、感じ取ってくれ。
構えた。
競技用ピストルが鳴り響いた。
瞬間、もう俺の身体は空気を切っていた。
速く、速く、速く、速く。
もう、隠すことなんて無い。
今まで隠していたものを晒し、赤裸々にし。
見ててくれよ。
なぁ、江津、瑠那。
こんなにも俺は、駄目なんだよ。
お前らがいないと、駄目なんだよ。
空気が避けている、俺を避けている。
モーセの十戒の如く、それは避けてゆく。
道が切り開かれる。
音が消えた。
鼓動の音以外が消滅した。
風。
吹き抜けろ。
どこまでも、
どこまでも。
そして、
少しでいいから、
この気持ち、俺の思い、響いてくれ―――――――――――
いつの間にか俺はゴールを通過していた。周りでは驚嘆の声があがっていた。
走りきった俺は一回深呼吸をした後、記録係の人に記録を聞きに行く。
「何秒でした?」
俺が尋ねても、記録係の体育の先生はなかなか言ってくれない。俺の記録をとった先生はこの人でよかったはずなのだけれど。
その人は俺を凝視していた。凄いものをみた、というか、奇跡を見た、みたいな表情。
ふと、顔に手をやって、眼鏡が無いことに気付いた。
そういえばさっき投げてしまったんだな。もう、眼鏡を掛けなおしたって手遅れだろうから、取りには行かなくていいけど。
グラウンドを見渡すと、本当に沢山の人がこちらを見ていることに気がついた。
昔慣れたと思ったんだけど、やっぱりこの視線は痛い。
「何秒でしたか?」
もう一度俺が尋ねると、はっと我に返って、答えをくれた。
「十秒一三」
なんだ、11"13か。思ったより速く走ったつもりなんだけど、自己ベストより13も遅くなってしまった。
いろいろ考えてたし、フライング測定機があってフライングを正確に取られてしまうとかっていう緊張もあったし、仕方が無いのかもしれない。
ともかくこれからどうしようか。素顔も明かしてしまったことだし、自己ベストの11秒よりは遅いものの、それに近い値を出したのだから、とりあえず、逃走経路を確保しなくてはならないな。
「君は、修斗君だったかな?」
「はい、そうですけど?」
測定していた体育の先生は、俺をその場に留まらせ、他の先生を呼んできて、スリットビデオで検証をはじめていた。
スリットビデオとは、1000分の1秒までを写せるという優れもの。公式のオリンピックで使われているとかを聴いた事がある。
どうでもいいけど早くこの場を離れたい。一人で立っていると、視線が異様にいたいのだ。……その視線の一つ、いや二つが、瑠那と江津のものだったらいいんだけど。
それを確かめるなんて、俺には勇気が無い。
「修斗君」
「あ、はい」
「随分と君は冷静なんだね」
「十一秒だったら出したことありますから」
「十秒台は出したことあるのかね?」
「いえ、ありませんけど?」
なんなんだろうか、さっきから。
先生の顔は、どことなく緊張していた。そんなに真剣な顔してると、ただでさえ少ない髪の毛がもっと抜けますよ?
「修斗君、もう一度君の出したタイムを言おう」
「11秒13、でしょう?」
先生は、大きくかぶりを振った。
それから言った。
「それより、一秒早い」
―――苦痛だ。
激しく苦痛だ。
あれから一週間経ち、それは沈静化の傾向にあるが、傾向にあるだけで今はまだ中盤にあった。
こうなる事は予測できたはずなのに、なぜあの時眼鏡を取り去ってしまったのだろうか。
抑えきれない衝動――あの時は確実に感じたのだ。メリットはどこにも無い。正確にタイムを計れると言うことだけで、後々のことを考えればデメリットの方が大きい。結果論でいい記録が出ただけで、何のメリットも無かったはずなんだ。
あんなことをしなければ、女子からの痛い視線をもらうことも無く、陸上が優れた高校や団体からのうざったい勧誘も無く、安静に過ごせたはずなのに。
―――でも、あの時走らなければ、後悔していたと思う。それは確かな事実。
場所は屋上。立ち入り禁止なのだけど、だからこそ誰からの視線をも受けることが無く、のんびりと空を眺めていた。
雲が二層になっている。はるか上空の雲と、低い山にすらかかりそうな地面に近い雲。
上空の方が風が強いはずなのに、下層の雲の方が明らかに速く俺の真上を通過してゆく。
高度の違いは、ここまで視界に違いを見せるのか。
前に眼鏡をはずした――というかはずれた――時は、周りが非常にむかついた。
すべてのものに嫌気がさした。すべてのものに嫌悪を覚えた。
当たり前だった。俺が、皆を蔑んでいたんだから。知らぬ間に、俺は自分自身で上層に立っていた気分になっていたんだ。
そんな俺が、今になって哀れに思う。ようやく、下層に降りてきたんだ。
そのせいか、周りは確かに五月蝿いけれど、煩いまで思うようなことは無くなった。
その変化が走りにも出た―――分析してみればそうなんだろうけど、もっと違う要素のほうが大きかったような気がしてならない。
気持ちが、相手にあったから。自分のために走った気がしないから。
もう隠すことが無くなり、おおっぴろまに走ることができるようになってから数回計ったのだが、11秒は軽く切れるようになったけど、あのベストタイムは出ようとしなかった。
その時突然、殺気を感じた。それは階段の方から近づいてくる。
「しまった、追っ手か」
実はここに来るまでも沢山の人を撒いてきたのだ。
ああ、言い忘れたけど、今は昼休み。だからこそ撒かなくてはならない人が多かったわけで……。
とりあえずそれは置いておく。それよりもどこに逃げようか。
今、俺は扉の近くにいる。そしてこの足音の大きさからすれば隠れるような時間はなさそうだ。ならば一番確実なのは、扉が開いた瞬間に中央を突破すること。今度は足音の数を確認して―――反響してわかりづらいが、多くて二人。だったら造作も無い。
バァン! 勢いよく鉄の扉が開いた。
反射神経を最大限に生かし、敵の位置を察知して飛び込む、が。
「甘いっ!」
「へ?」
足に何かが引っかかる。あまりにも突然の攻撃に避ける事もできず、バランスを崩した。
転ぶまではいかなかったが、思い切り柵に激突した。ある程度衝撃をいなしたとは言え、ダメージはでかい。
振り返ると、そこには勝ち誇った姿の、栄美がいた。
「やった……先輩の動きを初めて見切った」
「感動してるところ悪いけど、何しに来た?」
「決まってるじゃないですか」
ぐわしっと俺の肩をつかみながら、栄美は泣き泣き個人的な愚痴をを吐き出した。
「どれだけ私が先輩のせいで被害被ってるか解かってるの?」
「あ……いえ……解かりませんです」
「先輩は当事者だから被害喰うのは当たり前だけど、なんで第三者であるはずの私が四苦八苦七転八起十人十色してるのっ?」
「最後の四字熟語はその状況に関係ないと思いますよ?」
「ああん?」
「いえ……そのですね……」
いつの間にか、一方的な罵倒に変わっている。しかも口調が著しく悪化していた。傍から見たらどちらが先輩か解かったもんではない。
ブチ切れた栄美を止める術が全く解からないために、罵り誹りを全身で浴びることとなる。
「ただでさえ私は、香甲斐と秀二のイザコザで周りからいろいろ言われてるのに、『えー、修斗先輩まで知り合いなのぉ?』とか言われて、精神的攻撃されてるのに!」
「シカトとか?」
「違う。休み時間毎に、私の髪の毛をぐじゃぐじゃにするのっ! ひでぇよひでえもうひどいったらありゃしない。これぞ寝起きの江戸っ子やい、みたいな状況に陥って――――――」
中略。十分後。
「勝手に中略してるんじゃない、ゴルァ!」
「栄美……あのね、少し落ち着かないと読者が逃げる……」
なだめにかかる。興奮の具合が弱くなってきたのを確認し、できるだけ冷静になるように言葉をかける。
「そうですね」
「え?」
あまりにも突然だったので、素っ頓狂な声を上げてしまう。
「逃げるほど読者がいるかは別としても、私はすっきりしましたから、本題に入りましょう」
むかつくほどすっきりした表情で言い切った栄美に、空手チョップで襲撃した。
「何しに来た?」
俺は凄みを利かせた眼光で栄美を見やる。さすがの栄美もびくりとして、さっきまでの愚行を省みるように俯いた後、きちんとした理由を話し出す。
「初めは、久しぶりに修斗先輩に会って、こっちの近況を告げるつもりでいたんです」
「んで?」
「で、いざ修斗先輩に会ったら、理不尽な現状が急にむかついたんです」
俺が素顔を明かす、俺が有名になる、俺の知り合いである栄美、さらに香甲斐と秀二とも仲がいい――簡単な説明だが、これらのことから友達から『ささやかなプレゼント』をいっぱいもらったらしい。
「でも喜んでくださいよ。携帯番号とか訊かれても教えませんでしたからね」
顔をあげて、拳をぐぅにして誇らしげに。ただ、俺は容赦なく、
「それだったら問題ないよ」
「え?」
「新しい携帯を用意するから」
「―――二個同時に使うんですか?」
「だってなぁ、今の携帯の履歴、凄いことになってるから」
知らない番号のオンパレード。無論、俺の携帯番号を知っている誰かがどんどん伝えていったのだろう。昔の携帯はかなりの人数に教えてしまったから、どこから伝播しているのかは不明。
そんなわけだから、信用できる人にしか教えない携帯を買う予定なのだ。
「今はもう使えない古携帯の着信履歴、見るか? 二十件すべて一時間以内だから」
「いえ……。あ、じゃあ、修斗先輩の携帯番号教えて欲しかったら千円渡せ! とか言えば買ってくれるかな?」
「人の番号を商売に使うんじゃない」
「ケチ」
「ケチってな……」
栄美は少し拗ねたように口を尖らせた。
だけど俺はそんなことに興味は無く、いや、さっきからその言葉にずっと引っかかっていた。
「で、近況って何だ?」
この言葉を聞いた瞬間、栄美が神妙な面持ちになる。
聞かないほうが、もしかしたらよかったのかもしれない。
後悔は、先に立たなかった。
HR
―――――びみょー
最近どんどん微妙になっていくような気がする。
えっと、香甲斐を出して、隼先出して、栄美だしたから……。
次は美奈津先生か。いや、秀二のほうがいいか。
二人は最後の最後でしか出さない予定だし……。
何がナンダカ解からなくなってきました。本当に完成するのか、うやむやですわ。あはは。
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