〔36〕  夜

 

 夜。夜は海からの風となり、髪を簡単にさらっていく。湿気を含んだ風が、容赦なく俺にぶつかる。空を見上げると満天の星空。昼と打って変わって静まり返った砂浜。それでもやはり変わらない潮騒が耳に響く。

 美奈津先生の家には戻らず海の家で夕飯を食べる事になり、その後、俺はそこから瑠那に追い出された。俺だけでなく、江津も一緒に、水着の上に軽く服を羽織った状態で、一緒に追い出された。

 フェアな勝負が好きなの、と瑠那は言っていた。

 これで、枕投げの商品の意味が無くなった。――ついでに、俺が的となった理由も消え失せたわけだ。

 とりあえず、江津と砂浜を歩いていた。

そう、今も歩くだけ。

 江津と一緒にいる時の会話は多くはない。会話している部分を小説内でピックアップしているだけだ。だけれども、居心地が悪いと思ったことは無かった。

 つまり、今は、気まずい。江津は、そう思っていないのかもしれないけれど。

どう打破しようか考えていたら、隣から声。

「修斗、座らない?」

「そうするか」

 二つ返事で江津の意見に従う。どこ行く当ても無く歩いているよりは、座った方がましだろう。

 ――江津も、何かいつもと違う。不安定な気持ちが入り混じる表情は、闇の中でも、より一層深く見えた。

「静かだよな……」

「……うん」

 消え入りそうだった。時たま見せる陰鬱な表情。それはいつもすぐに消えていた。だが今は、ソレが顔に張り付いたままはがれない。

 俺ハ、ナニをすればいい? どうすれば、その表情を拭えるんだ?

「江津はさ……俺によりかからないの?」

 言って後悔。当然ながら自己嫌悪。

「……修斗がそんなこと言うの……珍しいよね」

「俺もそう思う」

 だけど、ふと出てしまった言葉に文句は言えない。

「じゃぁ、お言葉に甘えさせてもらおうかな……」

 江津は重力に逆らうことなく、身体を俺に預けてきた。

 こう、なんだ? 悪くはないけど、そう、どうしても顔が赤く染まるのは、俺の体質であろうか。

 江津は、そのまま海を見つめていた。夜の海。昼は蒼と青で境界がわからなくなる空と海。夜の場合、闇と黒が入り混じり、境界線が望めない。

 ほてった顔を冷ますように、顔に風が吹き付ける。微弱な風でさえ、江津の髪はなびく。

「江津さ、昼間疲れるような事した?」

「ううん、してないよ。なんで?」

「いや、なんか、ぼうってしてたから」

「ん……それは……ね。こうやって修斗に甘えてるのって、初めてだなって思って……。こういう事、前に無かったなって、ちょっと考えてた」

「……初めてか」

「多分」少々ためらいがちに「だから、少し、……ね」

 また、江津の視線が海へと戻った。

「修斗ってさ……自分の事、好き?」

「そうだな、好きではない、が妥当」

「どうして好きじゃないの?」

 うつろな視線に口調。江津は今、何を思ってこの質問を出しているのだろうか。

 そして――どうして二人は、確信をつくような質問をしてくるのだろうか?

「神は、人に嫉妬してるんだ」

「―――?」

「神は完璧すぎて、これ以上成長しないから。だから限りない可能性を持っている人間に嫉妬したんだ。俺は神じゃないけど……何かを成長させる気力が、数年前になくなったから。周りが、羨ましいんだよ―――そして、自分を駄目だと思いながらも、慢心に溺れている俺が嫌いなんだよ。身勝手な考えだけどさ」

「そんなことないよ。だって修斗前に見せてくれたよね。十一秒切りたいって」

「確かにそれはある。ただ―――」

 それだけなんだよ。

 口には出せなかった。昼間のように、制御できないほど深みにはまりたくないから。

 江津は、何も訊いてこなかった。俺の心中を察したかのように、ふと黙り込んだ。

 なんで俺の弱い所が解かるんだ? なんで、小さな的を簡単に射ぬけるんだ?

 ―――もう、何も考えまい。

 あれこれ考えるからいけないんだ。考えなければ問題がない。考えないで、頭をからっぽに―――

 波の音がやけに鮮明だった。砂浜だから当たり前だが、圧倒的なリアリティーがある。足に一定のリズムが刻まれる。心なしか、波の音とシンクロしていた。

「ねえ、修斗」

「―――なんだ?」

「下」

「下?」

 波の音が近いわけだ。満潮時になったので、俺らの足元まで波が押し寄せてきているのだ。

 空っぽにすると、こんなことに気づかないぐらい思考力が低下するのか……。怖いものだ。

「服濡れちゃったな」

 水着の上に羽織っていた服の裾が水に濡れていた。そこまで水が来ているのに、俺らは動こうとしない。つーかなんで江津は動かないんだ?

「江津、動かないのか?」

「修斗は動かないの?」

「俺は江津が動き出したら動こうかと思って」

「私も……同じだったんだけど」

 ―――なるほど。

 この話が終わってからややあって、二人とも立ち上がろうとした……が。

「きゃっ!」

 江津の体勢が崩れた。立ち上がるときに砂と波に足をとられてバランスを崩したのだろう。

 支えようと思い、手を伸ばした。だが江津のつかみ所が悪くて……。

「――――びしょぬれ」

 俺ら二人はその場に倒れ、完全に水に浸かってしまった。濡れた所為で風が吹くと少し肌寒い。

 どうする? と訊こうとする前に、江津が言った。

「修斗、どうせだったら海に入らない?」

 

 

「私、夜の海でこんなに遊んだの初めて」

「俺もこれは初めてかな」

「やっぱり修斗でも体験してないことあるんだ」

「江津……俺をなんだと……」

「修斗」

 ―――いや、たしかにそうなんだけどさ。

 海に入ると言っても泳ぐなんて事はしない。光がないところで泳ぐなんて自殺行為に等しい。なので腰まで浸かる所まで行き、後は水掛けやら……というか水掛け主体で暴れたわけである。

 水掛け遊びなんて小学生以来か。中学ではプールの授業があっても自由時間というものが存在しなかった。――無駄なもの、なのだそうだ。

 今は遊んだ後なので、波打ち際に座っていた。波打ち際と言っても本当にすぐ近くなので、波が来ればすぐに水に浸かってしまう。

 闇夜―――見渡すはすべてが暗黒。振り返れば点々と明かりが漏れているものの、そんなの些細な光でしかない。

 昼間に見えた砂浜のごみも、この場所にはさすがに散乱していないらしく、手で触る砂は心地よい感触だった。寄せては去る波とあわせて、疲れを拭い去ってくれるような、そんな感じがした。

「なぁ、江津は筋肉痛になってないのか?」

「さすがに痛いよ。今も結構痛かったんだけどね」

「そんな素振りぜんぜん見せてなかったけどな」

「そうかな……あれ? 修斗は筋肉痛じゃないの? あんなに動いたのに……」

「んー…少し痛いぐらい。とくに気にならないけどな」

「あれだけ動いたのに……」

「動かしたのは誰だったかな?」

「……怒ってる?」

「冗談だよ」

 しかし、どうも負けた方が附に落ちない。どうして隼先の石枕の所為でやられてしまったのか……。もしかしたら隼先のことだから確信犯だったのかもしれないけどな。

 いまさらだが――気になることが数点。隼先と美奈津先生はいつの間にくっついてしまったんだ?

 隼先の話でデキていたということは判明したのだが、その経過が分からない。国語科と英語科で職員室も違うし、接点はあまりなかったはずだ。隼先の性格からして、デートに誘うなんて技術を持っていないだろうし、美奈津先生もだろうし――。

 ピクニック前に互いが意識していても、接点がその時のだけでは成就しないだろうし……。

 ああ、ここまで考えて答えが出ないとなると、なるほど、作者の手抜きか。元も子もなくなるけど。

 また海に視線を戻した。

 穏やかな海。心が洗われる。

 俺は水辺が好きなのかもしれない。だからこそ、例の場所――忘れている方もいると思うが、学園内の小さな湖があるところ――が好きなのかもしれないし。

 ふと、江津を見ると、肩が震えていた。小さな震え。よく見なければ分からないほどの。

「江津、どうした? 寒いならそろそろ上がろうか?」

「大丈夫……寒いわけじゃなくて……少し怖い……」

 江津は、自分で自分の肩を抱く。

「周りが暗いから……このまま消えるんじゃないかって……。いつの間にか消えてるんじゃないかって……」

目線を落として、ためらいがちに苦笑した。

「修斗は、私のお父さんが居ないこと知ってるよね。あの日も突然だったんだ。

 お父さんは刑事でね、正義感が強くて、……あの頃は小4だったからあまり詳しく覚えてないけど。お父さんはどこかの金持ちの不祥事を暴くために調査してたらしいんだけど……恨み買っちゃって、殺されて――――殉職って言うのかな……。あの時はいっぱい泣いた。何がなんだか分からなかったけど、悲しいことだけはよく分かった。暗い何かに引きずられた感じがして、夜、お母さんの胸でずっと泣いてた。

 突然だったから、好きだったお父さんが突然いなくなったから……今になって考えたら、いつこの時も壊れるか分からないんだよね……。それが、それが突然怖くなって……。

 今思い出すと、あの時にお金持ちなんて大嫌いとか思ってたような気がするけど……結局だもんね……。私どうしよう……もう私が分からなくなってきたの……」

 江津は、泣いていた。もしかしたら、泣いていることを認識していないのかもしれない。

 肩は小刻みに震えていた。体は思いのほか小さく、それが余計に弱さを引き立てた。

「気持ち落ち着くまで……な」

 俺は江津を、ふわりと包み込む。これぐらいしか、出来ることが無いから。俺は悲しいほど無力だから。

「ありがと……いきなり心細くなっちゃって……話したら、なんだか安心しちゃって………ごめんね……」

 

 

 

 その日二人とも、俺にこう言った。

『できればだけど、あの話、忘れて欲しい』みたいなことを。

 ―――二人は、強すぎる。

 あの小さな体に、どうして大きな芯を持っているのだろう。

 どうして、俺なんかを好きになったんだろう。

 こんなにも俺は弱いのに。

 こんなにも俺は悩んでいるのに。

 あの二人は、小さな答えを見つけているのに。

 俺は、何一つ見つけていないのに―――

俺は自身に問うていた。

 

 

 

 そして、このときは知らなかった。

 神が、弱き自分に罰を与えることを。

 

 

 もう、遅すぎたということを。

 

 

 

 HR

 

    よくマンガとかで、男が女に飛びつかれたときに言っている、

    『胸が当たるっ!』

    などを入れたかったんだけれども、修斗の性格上……ね。

    ちなみ、瑠那の水着はセパレーツ。

    江津はワンピース。背中が割れてます。

    栄美もワンピ。彼女は普通の。

    美奈津先生はビキニ。まぁ、ね。(隼先のために選んだのか(隼先が選んだのか)どうかは不明)

 

    さぁて、ついに最終幕が上がろうとしています。ようやくです。やっとです。

    後半になって更新速度ががくんと落ちたのが原因ですね……(泣)

    後一話か二話か三話で終わりますんで、最後までお付き合いくださいな。

 

 

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