[29] 強制

 

 顔を洗うのに、なぜ一時間もかからなくちゃいけないのだろうか? しかもまだ残党が残っている。なんかグロッキーになってきた。

 顔にうっすらと悪戯の影を残しつつ、英語科職員室に入る。

 外と中の温度差が著しいせいで、一回だけくしゃみが出てしまった。

 温度差十度というべきか。多分、外が三十ちょっとで中が二十ちょっとだろう。

 簡潔に言うと、健康に悪い―――と。

 机の上を見た。容量がよすぎるだろう、と感嘆の声を上げたくなるぐらいプリントは減少していた。

 ……四分の一、ぐらいまで減っている。

 そのとき、奇跡とまぐれと偶然が合わさり、空前絶後の出来事が起こる。

 三人同時にこちらを見た。これは怖い。

 何となく、嫌な予感しかしなかった。江津と瑠那と美奈津先生の三人がいて悪い事が起きないはずがない、と概念を持ってしまった自分を軽く呪う。でも、後悔はしていなかったりするのだが。

「修斗君……」

 美奈津先生が口を開く。

 分かっている、これが俺を突き落とす発言だということが。今日はそういう展開になるということが。

「はい、お詫びのジュース」

 ヒョイっと投げられたジュースは、素晴らしいコントロールで俺の手に収まった。

 あっけない出来事に、少し戸惑いながら、それを見る。また、紙パックだった。

 ……また紙パックという事に、凄い懸念を抱くのだが……

 じっと、そのパックを凝視する。

 なぜか三人は、俺に視線を注いでいた。

「……センセ? 目薬とか……また入れてる……とか……?」

「まさか、そんなわけないじゃない。どうやって入れるのよ? どこにも傷ついてないのに」

 先生の発言は、目薬が仕込んであると同じと取れる。本当に入っていなかったら、そんなわけないじゃない、だけで言葉が止まるはずなのだ。もし付加されるとしても、二度もそんな事したら人手が足りなくなるじゃない、とかだな。

 ……自分で考えて哀しくなった。

 とりあえず、相変わらず三人の視線は俺に向いていた。

 明らかに怪しいので、紙パックを探る。

 180度紙パックを回転―――………………底に小さな穴があいていた。

 ヒュウっと風切り音がして、そのジュースはゴミ箱へと消えた。

 ナイスシュート。ちょっと悦。

「―――気付いた?」

「ええ、もう即行で」

 先生の問いに、即行で答える。

「せめて、飲む直前とか、ちょっと飲んだ後で気付かない?」

「瞳孔を開く目薬は、無味無臭なんですよ」

 にこりと笑い、即行で答えた。

「……怒ってる?」

「まさか、全然」

 笑顔が引き攣ってきたのが自分でもわかる。

 俺の宇宙的な広さを持っていて、ブラックホールすら存在しているはずの堪忍袋は、破裂しそうになっていた。

 俺は、そんな俺を、超客観しなんかしちゃっている。

 解説は延暦寺修斗、さぁ、修斗選手はここでどうでるか!

 三人の顔は、ちょっとだけ恐怖でひきつっている。

「―――先生、どうやったら、怒りって鎮まるもんだと思いますか?」

 三人の表情が、さらに強張った。蛇に睨まれているように動きがフリーズする。

「三人のあらゆるデータを学校中にばら撒けば、この怒りは収まるでしょうか?」

 修斗、ついにぶちきれた! 

 解説者修斗が叫ぶ。

「それとも、ここでデータをまた飛ばせば、怒りって収まると思いますか?」

 おおっと、ここで瑠那選手が立ち上がった、そして、抱擁するかと見せかけて、修斗選手にタックルをかまし―――

 がしぃ!

 俺は瑠那のタックルの勢いを、身をしならせて減らす。避けてもいいのだが、後ろはドアなので危ない。

「怒ってる修なんて、修じゃないよ!」

 瑠那が俺を見上げて叫ぶ。

「そうだよ修斗! 謝るから、ね」

 江津も叫ぶ。

「そうよ、もしここで激怒したら、この二人から聴いた修斗君のキャラと違うし、私たちのデータを暴露したり、パソコンに打ち込んだデータを飛ばしたって、いいことないわよ」

 先生だけ、私利私欲が入っている。

 ……つーか、俺って、そんなキャラクターで通ってだったんだなぁ……。損な役割。

 なんか、怒る気が失せてきた。というか、馬鹿らしくなってきた。

 解説者の俺と、3D上の俺が融合する。

 深いため息をついて、タックルを仕掛けてきてからずっと俺に体重を預けている瑠那を放した。

 瑠那は、悪戯した事を悪びれていないように、屈託ない笑顔を浮かべていた。多分、俺がため息を付いたのを見たのか聴いたのか知らないが、それで俺が怒るのをやめたのを知ったのだろう。

  笑顔って、ここまで、綺麗だったろうか?

 俺は…………笑顔に、弱い。今まで知らなかったから。純粋無垢の笑顔なんて。

 でも、笑顔でいることにちょっとむかついたので、ぺしっと瑠那の頭を叩いた。

「いたい〜修がぶったぁ」

 いきなりのキャラ変で、瑠那が涙ぐむ。

 ……泣きまね、出来るのか? あ、そういえば前もしてたかも。

「先生、のど渇いたんで、『まともな』ジュースありますか?」

「はい」

 先生は一瞬にして紙パックのジュースを投げてきた。それは瑠那の後頭部あたりに直撃したのだが、俺的には問題無いので、床に落下したジュースを拾う。

 瑠那は、先生を睨みつけていた。

「二度あることは三度ある。三度目の正直」

 口の中で呟きながら、パックを探る。

 えーと、このパックのへこみは、瑠那直撃のあれと床直撃のあれだから問題ない―――。

 ぺいっ、ヒュウ、ストン。

 投、飛、落。

 三拍子の擬声語と言葉を連ねて、また紙パックはゴミ箱へと消えた。

 これで、ジュースが200円分無駄になったわけだ。

「先生?」

「はい、なんでしょう……」

 先生が敬語になっている。あはは、なんだかなぁ、俺ってSだったかなぁ。相手が怯えてるの見ると、超悦ぶんだけどなぁ。

「先生、普通の、ごく一般的な、至極普通な、人畜無害なジュース……ありますか?」

「は、はい」

 今度こそ、先生はまともなジュースを渡してくれた。

  俺が前科持ちになるのは防がれたようだ。

 

 

「終わった……」

 時が刻む音が響いていた空間で、その声があがったのは、俺が安全なジュースを飲み終えてから二時間後だった。

 四人でやったおかげで、大量のテストプリントの山は完全に消え失せていた。

 ここまで来ると、感慨無量というか……

「みんな有り難うね」

 先生が言う。

 当たり前の言葉だが、やっぱりこういうのは嬉しいものだ。

「実は、ジュース以外にも景品があるんだけど……」

「遠慮します。じゃ、帰るんで、さようなら」

 嫌な予感しかしないので、すぐさま立ち上がり、逃走しようとしたが―――

 なぜか、こういうとき、俺以外の人の行動は著しく活性化する。

 美奈津先生の手が、俺の襟首を捕らえていた。

 まさしく光速と言うところか。いや、神速か。

 どちらでもいいが、結局俺は捕まってしまった。

 ―――どうせ、俺はこんなキャラなんだ。

 完全に諦め、項垂れていると、先生は続けた。

「実は、私の実家って、沖縄なの」

 わー、凄い凄い。だから帰らせてくれ。

 いくら切に願おうと、逃げられそうにない。

「修斗君、一緒に行かない? 桐生さんも、鮎川さんも。妹弟を連れてきてもOKよ。ただし旅費は自分持ち。泊まる所は私の家でいいから、安くて済むわよ」

 どうせ、隼先も連れて行くんだろうけど。

「四泊五日よ」

「俺は行きませんよ」

 きびすを返すように言い返す。

「駄目よ。妹とかお姉ちゃんが、「男紹介して!」って言うから、修斗君を売り飛ばせば十万は堅いかと……」

「帰ります」

「待って! 嘘、嘘。十万もらって、それで修斗君を渡さないために、鮎川さんと桐生さんを連れて行くんだから」

 結局十万をもらうのか。

 その前に、俺に選択権はないのだろうか?

「えーと、先生?」

 江津が言う。久々の発言だ。

「隼也先生との……あれなんじゃないですか?」

「うーん……その計画もあったんだけどね、健次さんが『あいつらが中途半端なままってのは気持ち悪いからな』とか言って、だから六人連れて行くことにしたの」

 その瞬間、瑠那と江津の顔が赤くなったような気がした。

 …………………….………………………………………………

 …………うあ…………

 いささか遅れて俺も赤面し、軽く俯く。

 決着つけろと言うことなのだろうか? ……流石の俺でも分かる。

 だけど、まだ決着はつかないだろう。

 六人って言う事は、……ここの三人の妹弟も連れて行くんだよな……。

 さて、俺はきっぱりと断りたい。だが…………どうせ…………

「先生、俺に選択権は?」

 一応、訊いてみた。

「あら、あるとか思ってるの?」

 この言葉を聞いた瞬間脱力し、もう風の吹くまま身を漂わせようと、むなしく心に反響させた。

 

 

 

 HR

 

     うあー、修斗よえー。

     修斗って絶対けつにしかれるタイプだと思うなぁ。

 

 

 

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