[26] どっち?
人生には確実に難問がある。
それは、究極の選択かもしれないし、ただのチープな二択かもしれない。
だが、当事者にとって、それらの重さは、同等なのだ。
―――信じていない言葉を、ふと思う。
俺は、悩んでいた。
あるものを目の前に、いささか緊張しながら、そして後悔しながら。
その双方の値段は、一つ2000円ぐらい。
俺は頭を抱え、そして天を仰ぐ。
天を仰ぐ、と言っても、仰いで見えたのは自分の部屋の天井だが。
仕方が無いのだ。
だって、前者はもちろんだし、後者だって仕方が無い。
後者は対処できたかもしれないが、……俺には無理だ。出来る者を見てみたい。……それに、嫌ではなかった。それが、一番の理由だったかもしれないが……。
そろそろ、土曜に変わろうとしている。
コチコチと時計の音が部屋中に響く。
例の日は、日曜日だ。
土曜になってしまったら、タイムリミットは午前中までとなるだろう。
それまでに、決断し、携帯やらメールやらで連絡を取らなくてはならない。
相当困った。
人間は考える葦(あし)である。
かの有名なパスカルの名言。
嫌なほど、実感してしまう時。それが今の状態。
人間に思考能力が無ければ、悩む必要が無い……もっとも、思考能力が無ければ、人間に生きている価値はないのだが。
最も弱いが、最も尊厳のあるもの。
……何となく、分かるような気がする。
……俺は盛大にため息をつくと、腕を組んで、また黙考し始めた。
事の発端は、木曜日の昼休みから、始まりを告げた、
ね……眠い……。
目を開けると、見下ろすように木々が揺れていた。夏に向けて青々と力強く光っている葉たちは、風に気持ちよさそうに揺れている。
自然に身を任せ、湖のほとりで、寝ている。
というか、寝ていた。
多分、今は昼休み。
三時間目からここに来て、寝ていたのだ。
俺の腹時計は正確で、きちんと12時に起きた。
……ふけた理由はただ一つ。
―――眠いからだ。
……最近、メイド達の動きがエスカレートしている。
安らかに眠らせてくれないのだ。
土日がピークなのだ。
平日はさほどでもない……と言っても、やはり安心はできないのだが……。だから、毎日ぴりぴりしながら寝なくてはならず、熟睡できない。
だから、眠い。
だから、単位を少しぐらい落としてもけっして問題ない教科……主要教科を狙ってサボったのだ。
家庭科とか体育とかは、サボると、後々こまる。
もし仕方なく休むしかない時に、単位が足りない状態だったら大変だ。
俺は問題ないだろうが……まぁ、一応な。
いつも家で寝る場所は、ベッドでない。
最近では隼先の家にも寝に行く。
それは、運良く抜け出せた時だけで……。はぁ……。
安らぎが欲しい。
ともかく、時計を見る。
さてと。さん、に、い……
「やっほ」
カウントの途中で、江津が現れた。
おしい、後一秒ぐらいだったのに。
「ふぁ……あぁ」
俺はあくびをすると、脇に置いてあった弁当を取った。
江津は、木に寄りかかって座る。
いつもの事だ。なんら変わりない場景。江津は、本当に俺の事が好きなのだろうか? 瑠那みたいにアプローチされても対処に困るが……なにもそういう素振りを見せないのも困惑する。
いや、困惑する必要な無いだろうけど。
「……江津?」
「ん? 何?」
「……いや、なんでもない」
江津は怪訝そうに俺の顔を見た後、またいつも通り食べ始める。
……なぜ、俺は江津の名を呼んだのだろうか……?
自分の発言に対して、疑問に思う。
「修斗」
「んあ、何?」
今度は江津から話し掛けてきた。少々間抜けた声で返答してしまったが、気にしない。
「今度の……というか、明々後日の日曜日……ヒマ?」
ヒマ? と訊かれて、頭の中で考える。
暇じゃないといったら暇じゃない。だって、逃げ惑うしかないから、もう間髪なんてあるわけない。だが、……家から出る事にさして問題はない。それに、家に誰かを招けば、必然的にメイドたちの行動は治まる。つまるところ、ここの意は、暇、という事なのだろう。
江津の方を見て、言う。
「暇だよ」
「そっか……」
江津はそう言った後、弁当のおかずをついばみ、そして、俺を凝視した。―――何か、物言いたさげな目つきで。双眸は、俺を確実に捕らえている。
なぜか、お互い見つめあう容(かたち)になってしまう。
……最近の、思考は、いかれてきた。江津や、瑠那の顔を見ることが、何か良くて、何か悪くて。
少し自分の顔が赤くなってきてしまったのが分かったので、すぐに視線をはずした。
心地よい風が通り過ぎていく。
心が休まる。自然の中に身を置くと対比するものが無く、心が疲れない。木漏れ日は、円光のような、優しい光。見守ってくれる淡い光。
「修斗……あのさ……」
江津が声を発したのは、お互いが昼飯を食べ終わり、食休みを取っていた時だった。あと昼休みは10分ぐらい残っている。
「日曜日、空いてるんだよね……?」
「ああ、空いてる」
「じゃぁ……さ」
江津は、ごそごそと、制服のポケットをあさり、そしてある紙を取り出した。そして俺の前に、それを突き出す。
「……あの……一緒に、行かない?」
突き出された紙は、長方形で、一枚二千円の、―――水族館のチケットだった……。
!?
「あ、嫌ならないいんだけど……」
江津は、少し照れながら呟く。
………………………………。
「嫌、…………じゃない……」
呟く。
「えっ?」
「いや」
頭(かぶり)を振って微笑みながら言う。
「じゃ、行くか」
次の出来事は、帰りのバスの中だった。
江津から券をもらった後、俺が、後で時刻を設定する事になった。
ま、俺にもいろいろと事情があるわけで、家にいったん帰ってから、決める事にしたのだ。いろいろな事情って……訊くな。
とりあえず、今は下校中。バスの中だった。
クラスが一緒。なので、必然的に俺と瑠那の下校に使うバスは一緒になる。
瑠那は、当たり前と言うように、俺の隣に座っている。もう、それはいつも通りだった。空いているときでも隣に来るし、こんでる時でも……というか、このバスはこまない。
とにかく、瑠那は、俺の隣に座っているのだ。
―――嫌、
と言う訳ではない。
こうしている事は、もう、普通の事だった。
バスの中では、瑠那にとっては珍しく、特に話はしない。迷惑をかけるし、毎度毎度ネタがあるわけでもなさそうだ。
でも、窮屈じゃない。
―――何か、普通。
バスを使うと、家まで一時間とちょっと。瑠那宅までは、一時間半と言ったところだろう。
なので、瑠那は、俺に体を預け、寝ていた。
これも、特に変わらない、普通の事だった。
こういうのを周りから見ると、差し詰め、カップルだろう。
そう考えても、苦ではない。
というか、江津とあの湖のほとりで一緒に弁当食っているのも、端から見ればカップルなんだろう。
そう思われる事が、やはり、苦ではない。
恥ずかしいけど、何か別のものが渦巻いている。
瑠那がこうやって、隣に座り寝ている事によって、一つだけ困る事がある。
それは、俺が眠れない事。
笑い事ではない、意外と深刻な問題だ。せっかくの睡眠時間が削られる。
この前、今の状態と立場が逆で、俺が寝ていたら、瑠那も途中で寝てしまって、瑠那のうちの一歩手前まで乗ったときがある。
人生の貴重な一時間を無駄にしてしまった。
だから、それ以来俺は寝ない。というより寝れない。さすがに、起きる時間まではコントロールできない。
そして、時は三十分進む。
もうちょっとで降りる時間になってきたので、瑠那を起こす。
おい、と肩を揺らすと、瑠那はゆっくりと体を起こした。
「んあ……もう着いたの?」
「もうちょっと。後五分って所かな。というか、瑠那?」
「何?」
「なんでさ、ほぼ毎日バスの中で寝てるの?」
何か夜遅くまでしているのだろうか? それとも何か疲れているのだろうか?
しかし、返ってきた答えは、まったく反していた。
「うー、ただ、修のぬくもり感じてると安心しちゃうからぁ〜」
なぜか語尾が延びているのだろうか?
そして瑠那は背伸びをすると、ため息をついた。
「あーあ、修をお別れだ」
「いや、明日も会えるだろ?」
「半日もあえなくなるんだよ? すっごいお別れじゃん」
瑠那の基準が読めない。
「でも、家にいても寂しいのは確かかな」
「どーいう事?」
「家にいても、あんな広い部屋に一人じゃ、……なんか物足りないんだよなぁ」
「しょうがないなぁ、私が同居してあげるよ」
「遠慮する」
いつも通りの会話に、俺らは笑う。
……いつから、いつも通りになったんだろう。初めて話した時からか……つい先日からか……。そんなのもう分からない。ただ、瑠那はもう普通の存在だった。
いなければ、寂しい。
それは、瑠那、江津、二人に言えるかもしれない。
なぜ、だろう。
―――諒解できない。
「そうだ」
突然、瑠那が言った。
それとほぼ同時に、バスが俺の降りるバス停に止まる。
とりあえず、俺は立ち上がった。
「はいこれ、都合つく時間に連絡して」
そう言って、瑠那は俺に何かを差し出した。
俺は早く降りなければいけないと思っていたので、それを受け取り、瑠那にじゃあな、と言った後、降りた。
そして、バスは遠くに去って行った……。
降りてから気になったので、瑠那から受け取った物を見る。
長方形で、一枚二千円の、―――水族館のチケット。
あれ? さっき江津から貰った物を取り出してしまったのか?
ええっと……。
バッグを漁り、そして、見つけた。――あるものを。
―――そして、あるものを取り出すと、同じ物が、二枚、手に残った。
偶然だろう。
だが、ひどく必然的な感じしかしなかった。
狼狽していた。
二つとも同じ日のチケット。
連絡をしなくてはならない。
しかし―――どういう連絡をすればいいのだ?
かれこれ、もう三時間も悩んでいた。
もう、悩むのはやめたい。そろそろ決断せねばならない。ならば、もう、あれしかないだろう。
―――決めた。これが、一番悩まない。……と思う。
日付が変わるが早いか、俺は携帯を取り出した。
HR
久しぶりにUPだーいえーい。
まぁ……江津が水族館のチケット渡した所で、なぜ修ちゃんが悩んでいたか気付く人は多数いたと思います。
次回の展開は、なんと言うか、分かる人は分かってしまうんではないかという展開。
なぜ水族館なのかってのは、意味なし。
動物園でも遊園地でも良かったのですが、気分が水だったので(笑)
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