【EX2−1.これは例えば購買パンのお話】

 本当は、高校に入るつもりはなかった。
 適当に男に寄生して、貢がれたものを売って、それだけで暮らしていけばいいと思っていた。
 でも親がうるさかったので、自分の成績と見比べて、三つくらい上の高校を受験してやった。もちろん落ちることを前提に受けたのに、結果はなぜか合格。親に泣かれて、仕方なく高校に通う羽目になった。
 あたしの派手な風貌のせいか、近寄ってくる人はほとんどいなかった。クラスの人たちはどうにもこうにも真面目ちゃんばっかりだった。頭の良い高校なんて入るもんじゃないと思った。
 入学してから一週間もして、噂が流れた。
 毎晩男と寝てるとか、複数男を囲ってるとか、援助交際してるとか、親父狩りの犯人とか、だれだれの財布を盗んだとか、タバコをやってるとか、薬をやってるとか、先生をも誘惑してるとか、根も葉もない噂話。
 あたしと同じ中学のやつが私の噂をばら撒いていたらしい。ずっとあたしに巣食っていた病原菌みたいなやつだった。
 噂のせいで、初めは話しかけてくれた子もあたしから離れていく。噂だけが先行する。中学も高校も一緒だった。噂のほとんどが事実と違っていても、否定するすべなんてない。だから、それに乗っかって得を図る。それも慣れた。そのほうがむしろ楽だ。
 授業は聞いていない。テストも出てるだけ。学校行事には参加なんてするわけがないし。つまらない毎日だった。
 そもそもどうしてわたしは高校に来る必要があるのかなと、毎日考えていた。


【EX2−2.これは例えば購買パンのお話】

 この高校の購買パンはとても人気だ。
 昼休みのチャイムと同時にパンの販売が開始されるのだが、まだ授業も終わってないだろう時間から生徒がちらほらと現れ始め、チャイムの鳴る直前には既に群集が出来上がっている。チャイムと言うゴングがなった瞬間、飢えに飢えた亡者達は、人垣を掻き分け購買パンに手を伸ばすのだ。
 もはや大戦争。バーゲンセールに群がるおばちゃんの姿が思い浮かぶ。男女関係なく、群衆の最前線に立とうと周りの人間を蹴散らしていく。パンを得たものは勝利の雄たけびを上げ、歓喜の表情を浮かべて自分のクラスに戻っていくのだ。
 あたしはその光景を、遠巻きに眺めていた。
 あの人ごみに突入する気は起きない。化粧が落ちるし、そもそもあんな汗苦しいところに入ろうとするなんて気違いだ。
 群集が散り散りになるまで、不快なざわめきを奏でなくなるまでそれを見続ける。人が少なくなったら、売っているパンを覗いてみる。だけどパンは残っていない。もちろんそんなことは知っている。人がいなくなったときに残っているのは、週に一度、しかも一個くらいしかない。
 だけどもし、万が一パンが売れ残っていて、そのパンが隅っこに追いやられていたとしたら、あたしはそれを買ってお昼ご飯にするのだ。
 今日の購買も大盛況だった。
 人は群れ、やがて人は減っていき、そして片手で数えられるほどになる。
 あたしはパンを覗きに行くと、一つ、くしゃくしゃにされたあんぱんが隅っこに置いてあった。折り曲げられ排斥され、見た目が悪くなっている梅干みたいなあんぱん。
「おばちゃん、これいくら?」
「あらー、だいぶ揉まれちゃったみたいだね。五十円でいいよ」
 あたしは五十円を取り出し、くしゃくしゃのあんぱんと交換した。
 指であんぱんの形を整えながら、あたしは屋上へ向かい、そこでお昼ご飯を食べるのだ。


【EX2−3.これは例えば購買パンのお話】

 今日も購買パン屋の前までやってきていた。いつも通り近くの壁に寄りかかり、パンに群がる生徒達を眺めながら昼休みを過ごす。
 昨日よりも群がる人の数が多いので、今日はパンは残らないだろうと思う。昨日のように残るの方が珍しいので期待はしていないけれど。
 本日もバーゲンセール開催中。あくびをかみ殺しつつ、退屈そうにそれを見ていたのだが、ふと、一人の女子がその塊に突っ込んでいくのが目に入った。
 身長はあたしと同じかそれより小さく小柄なのに、決意を秘めた目を浮かべながら、身をかがめて助走をつけて、ミサイルのように塊の中にねじりこんでいく。
 ずぶずぶと姿が塊に沈み、見えなくなった場所をじっと眺めていたら、その女子がパンを片手に這い出てきた。パンを買いに行くのも大変だが、買って出てくるのも大変で、その女子の髪はぼさぼさになっている。
 勢いよく群集から飛び出た女子は、なんと自分の足に自分の足を引っ掛けてバランスを崩した。バランスを保とうとけんけん足で跳びながら、こちらへ近付いてくる。
 健闘むなしく、ビターンとあたしの目の前でその女子はこけた。おそらく顔面を強打してることだろう。あたしは思わず顔をしかめてしまう。鼻の辺りがむずむずする。
 その女子は転んだついでにパンもぶちまけたようだ。足元に転がってきたので、腰を折って拾ってあげた。
 パンは三つ。あんぱんに、あんぱんに、あんぱん。
「……全部あんぱん……」
 どれだけあんぱんが好きなんだろう。もしかしてこの子はあんぱんを燃料としているのかもしれない。
 転んだ女子は、「いたい」と涙ぐみながら立ち上がった。あたしは三つのあんぱんを目の前に差し出した。その子はみるみるうちに真っ赤になり、あたしからあんぱんを奪い取ると、何も言わずに走り去ってしまった。
「変わった子」
 ふと下を見ると、あんぱんが落ちていた。これもあの子のだろうか。そうすると四つ目のあんぱんになるが……。
 あの子かもしくは誰かが取りに来るのを待っていたが、結局、昼休みの終りまで持ち主は現れず、あたしの昼食となったわけである。


【EX2−4.これは例えば購買パンのお話】

 週末になっても購買パンに集る生徒の数は減ることはない。むしろ、明日が休みと言うこともあって生徒達の活力がみなぎっている気がする。
 あたしはいつも通り、壁に寄りかかりながら遠巻きにその塊を眺めていた。そういえば、風邪気味の時に、このうごめいている塊を見ていたら吐きそうになったこともあったっけ。
 ふと視線を横にずらすと、あんぱんの子が集団を伺っているのが目に入った。今日もまたあの中に突入してあんぱんを掻っ攫ってくるのだろうか。
 あんぱんの子がちらりとこちらを向いた。あたしと目が合うと、慌てて顔を人ごみのほうに向けた。しかしその後も恐る恐る、何回かこちらを窺っている。ウザいような面白いような。
 しばらくして、あんぱんの子は昨日と同じく塊に突撃した。体を捩じらせ、あっという間に塊に姿は飲み込まれる。うまいものだ。後から来た人はパンなんて買えないのが当たり前だというのに、あんぱんの子はこの密集体の抜け道でも知っているみたいだ。あんぱんの子は、上履きの色からあたしと同学年だけど、入学して数ヶ月すでに攻略法を編み出したらしい。
 群集からあんぱんの子が顔を出した。相変わらず髪の毛だけはぼさぼさになってしまうらしいが、今日は転ばずにその場を脱出する。何を買ったのだろうかと手を見ると、パンが五つも握られていた。そのうち二つはあんぱんだと思う。それはともかく、女子にしてはパン五つは買いすぎじゃないだろうか。
 すると何を思ったのか、その子はそのまま帰らずに、こちらに向かって歩いてきた。
「昨日はお礼も言えずに逃げちゃってごめんね。その……恥かしかったからつい」
 話しかけてきたのは予想外だった。
「だからこれ、お詫びとお礼で、はい」
 その子はパンを差し出してきた。ツナオニオンパンと、あんぱんだった。
「あり……がと……」
「じゃあね」
 パンを受け取ると、あんぱんの子は笑顔を残して小走りで去っていく。
「変わった子」
 昨日と印象は変わらなかった。
 突然手に入った昼食をしばらく眺め、初めて、購買に人がいなくなる前にあたしは屋上へ向かった。


【EX2−5.これは例えば購買パンのお話】

 翌週、それとなくあんぱんの子を探している自分がいた。
 月曜日にその子は見つけられなかったが、火曜日にはその姿を現した。あんぱんの子はあたしを見つけるや、てこてことこちらに近付いてくる。
「今日もいるんだね。もしかして毎日いるの?」
 あんぱんの子はにこにこと笑顔を浮かべていて、なんだか普通に話しかけてきた。他の人はあたしの前すらなかなか横切ろうとしないのに。
「いちおう毎日いるけど」
「パンは買いに行かないの?」
「あんな人ごみに入ったら化粧落ちちゃうじゃん」
「じゃあ私が買って来てあげようか。最近もぐりこみ方法を会得したから、すぐ買ってこれるんだ。何が食べたい?」
 別にいらないと断ろうとしたのだが、あんぱんの子は妙に目をキラキラさせていたので言い出しづらく、何か適当に一つ買ってきてと頼んだ。
 あんぱんの子は颯爽と群衆の中に突入していく。姿が見えなくなってからわずか二十秒ほどでまた姿を現した。
「買ってきたよ」と、髪は崩れたが笑顔は崩れないまま、あんぱんの子はあたしにメロンパンを差し出してきた。ほんと、どうやって潜り抜けてくるんだろう。
 メロンパン以外のパンは何を買ってきたのだろうかと見ると、あんぱんの子の手にはパンが二つ握られていた。片方は当然のようにあんぱんだ。
「あ、こっちのあんぱんが良かった?」
 言いつつ、その子はなんだか悲しそうな表情になり、思わず笑いそうになる。
「うんん、これでいーよ。ありがと」
 メロンパンのお金、百円玉を渡し「じゃあね」とあんぱんの子に背を向けた。
「あれ、そっち特別棟だけど、どこで食べるの?」
「どこでもいいじゃん。少なくとも教室よりはいい場所だけど」
 肩越しに答える。それに対するその子の答えは予想外のものだった。
「おもしろそう。私も行っていい?」
「別にいーけど……」
「やった。じゃあお供させてもらいます。でもその前にちょっとお手洗い寄って髪なおさないと……」
 やっぱり、変わった子である。


【EX2−6.これは例えば購買パンのお話】

 階段を上りやってきたのは特別棟校舎四階。一般生徒は四階に来ても、目の前にある扉のせいでそれ以上進む事ができない。
「いい場所ってここ? それとももしかして……」
 あたしは鍵を取り出してあんぱんの子に見せた。
「それここの鍵? 屋上いけるの? わー、私初めてだよ!」
 開ける前からかなりの期待を寄せている様子。目を輝かせ、あたしが鍵を開けるのを心待ちにしている。
「いい場所じゃないよ」あたしは言った。「あたしも初めは楽しかったけど、景色もあんま良くないしかなり汚いから座る場所限られてるし。期待はずれもいーとこって感じ。まあ教室よりは全然マシだけど」
「そうなんだ……。そういえば、なんで鍵持ってるの?」
「んー、ちょっとある人と取引をねー」
 生徒に手を出したんだから、むしろこれだけの取引で済んで感謝されてもいいくらいだ。まあたまにテストの点数を上げてもらったりもしてるけど、それくらいはとーぜんである。
 あんぱんの子はよく解らないといった感じで首を傾げていた。この子に全部説明しても良かったんだけど、とっても純情そうだしやめておく。
 北京だか南京だか忘れたけど、そんな呼び方をされているものを鍵で外し、扉を開いた。
 屋上に出ると、あんぱんの子は早速駆け出して柵に手を掛けた。
「やっほーって言っていいかな?」
「だめー。あと、そんな端っこいると屋上にいることばれちゃうから離れて」
 残念そうに、その子はその場から離れて戻ってきた。高校生にもなってやっほーはどうかと思うけど、初めての屋上で興奮でもしているんだろうか。
 あたしたちは扉の近くの段差に座り、買ってきたパンを食べる。
「いい場所だね」その子は言った「空は青いし風は気持ちいいし、お日様はあったかいし、のんびりできて期待通りかな。断然教室より良いのは私もそう思う」
 その子は気持ち良さそうに空を仰ぎながら、あんぱんを美味しそうにほおばる。
 あたしだけが知っているあたしだけの場所を素直に褒められ、なんだか照れくさくてなんにも言えなくなってしまった。


【EX2−7.これは例えば購買パンのお話】
「……そういえば、どーしてあんぱんあんなに買ってんの?」
 何を話していいかわからなくなってしまい、その子が今食べているあんぱんのことについてたずねることにした。
 その子はあんぱんの最後の一口を飲み込んでから答える。
「あんなにって?」
「ほら、何日か前に三個か四個か買ってたじゃん」
「あ、あの日はね……ええと、私は元からあんぱんとかあんことかが好きで、パンを買う日は絶対あんぱん買ってるんだけど、あの日はたくさん食べたい気分だったから二つ、友達に頼まれたから合計で三つ買ったんだ、そしたらおばちゃんがさらにあんぱんをオマケしてくれて、だからあの日は四つになったんだ。あれ、そう言えば三つしか持って帰らなかったような……」
 今まで気付いてなかったのか。
「あーあれは、あとからまだ一つ落ちてることに気が付いて、あたしがもらっちゃったんだけど、お金払おうか?」
「うんん、どうせもらったものだし、大丈夫」
 あんぱんの子は、あんぱんではないもう一つのパンを食べ始める。
 もっと聞きたいことはあるはずなのに、何も考え付かず、あたしも買ってきてもらったメロンパンを食べた。
 食べ終わった頃には、昼休みが終わろうとしていた。あたしはこのままここにいるけど、あんぱんの子は帰ると言う。
「こんないい場所なら授業サボっちゃうのも解る気がする」
 サボるのはそういう理由ではないんだけど。
「私は戻るね。授業でないと全然付いていけなくなるし……。あ、そういえば名前聞いてなかったね」青空のような笑顔で「私の名前は近藤美咲。呼び方は美咲でいいよ。よろしくね」
「あたしは……井出恵。メグでいーよ」
「いでめぐみ……うん、覚えた! それじゃ、メグ、またね」
 昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。あんぱんの子もとい美咲は駆け足で屋上から去っていく。
 なんか、初めから終りまで美咲のペースだった気がする。
 またねと言うことは、笑顔を浮かべながらまたここにやって来るのだろうか。
 もしあたしの噂を知っても、笑顔が消えずにここに来るのだろうか?
 もしも、それでも美咲がここへ来るというのなら、その時は一緒にあんぱんを食べたいと思うのだ。



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HR(独り言ルーム)

 本編の井出さんの話にすべてリンクしているといっても過言ではない物語。
 美咲がいなければ井出さんは学校を辞めていたでしょう。それほどの分岐点です。

 井出さんの一人称なので、できるだけ難しい言い回しを使わないように気をつけてみました。違いがわからない? すいません。
 一人称の辛いところはこれ。一人ひとり描写の仕方を変えなくちゃいけないから辛い。
 これから複数のキャラを一人称で主役にしますが、果たして変えられるかどうか……

 井出さんの過去話は、後々、山さんと仲良くなる過程で書きましょうか。
 井出さんと持田が出会った話も書くし、作者は井出さんを贔屓しすぎですね!


【EX2−α.これは例えば購買パンのお話】執筆年月日08/11/14

 次の週、美咲はまた屋上にやってきた。
 美咲が言うには、本当は毎日でも来たかったのだけど、他の友人と食べる約束があってなかなかこれなかったのだそうだ。ミサキの友人関係などあたしにとってはどうでもいい話だ。
「美咲は、あたしの噂知ってる?」
 そう思っていたのだが、あたしはつい、意地悪な事を聞いてしまった。
 美咲みたいな子に友人がいるのは当たり前なのに、少しだけいらいらしている自分がいる。こんな独占欲が自分にあったことに驚きが隠せない。
 少しくらい言いよどむと思ったのだが、美咲は拍子抜けするくらい普通に「うん」と答た。それ以上の回答はなく、雰囲気が重くなることもなく、美咲はあんぱんを食べ始めた。
 美咲を動揺させるつもりが、あたしが動揺してしまった。
「え、ほら、えっとさぁ。嫌じゃない? そんな噂があるやつと一緒にいるって」
「噂、嘘なんだよね? なら別に嫌じゃないかな。もし本当でもメグいい人っぽいし構わないけど」
「そりゃ、噂はほとんど嘘だけど……」
「やっぱり嘘なんだ。もー、誰なんだろうね。そんな酷い噂流した人。人の嫌がることはやっちゃいけませんって小学生で習うことなのに」
 ぷりぷりしながら美咲は言った。自分のことのように、本当に怒っているようだった。
 なぜか涙が出そうになって、ぐっとこらえた。化粧が落ちたら面倒だから。
 きっと彼女はバカなのだ。大勢が信じている噂を信じないで、会って数日の私のことを信じるとか本当にバカだ。こんなバカな子、詐欺師に騙されたらあっという間に身包みはがされてしまう。放っておいたら大変な事になってしまう。
「ありがと」
 そっと、美咲に聞こえないように呟いた。

 もし美咲が友人でいてくれるなら、これから毎日学校にこよう。
 学校に来る意味が、ようやくできたから。

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