――― ニ ―――
あれから三日がすぎるが―――あいも変わらずに猛暑だった。
午前中なのにもかかわらず、温暖化かは知らないが蒸し暑く、体中の水分が抜けて行きそうなぐらい日差しが強い。
――三日前、悲しい事を悟った。
……おばさんは、過剰にお喋りだ。
この前は酷すぎた。おばさんは大部屋に入院しているのだが、―――勉強できる環境じゃなかった。
惨状は、大体想像のとおり。
しゃべってしゃべって、間隙を与えずにどんどん喋りまくる。そういうのは会話に加わっている人なら苦痛じゃないが、周りは明らかに迷惑だ。
聴いた話では個人部屋だったはずなのに……勘違いだったのだろうか?
というか、なぜおばさんは入院しているのだろう……? 健康すぎる。
紗枝は三日前の惨劇を思い出しため息をついた。そのせいで、ここ二日は家で勉強したのだが……進まなかった。エアコンで暑さ対策はできるものの、気が散る。自分は音楽を聴きながら勉強できる性質じゃないのに聴いてしまうし、漫画も手が届く範囲にあるし……状況は、最低だ。たぶん、予定の五分の一すら出来ていないだろう。
だから、か、何となく、か。また病院へ向かっていた。
―――あの静かそうな空間は忘れられない。というより、あのムカツク奴を忘れる事が不可能だった。
三日前、偶然に出遭ってしまった奴。名前など知らない。……読めないだけなのだが。
とりあえず、奴は自分と歳が近かった。プレートを見ると14歳だという事が分かった。タメか年下かなので敬語使わなくていいし、とりあえず勉強はさせてもらえそうだ。
そうだ、と彼女は呟く。
「うーん……一応お見舞いに、菊か植木鉢を買ってこうかな」
天麻は、白で装飾された病室にいた。
窓を開け外を見ていた。すべてが萌え生き生きとしている。夏独特の音を、肌で感じていた。
汗……かくのって、気持ちいいな。
病室の温度は、少しずつ上がっていき、外と同じ温度になる。
そうだった……夏はこんなだった。去年は汗かくのは気持ち悪かったのに、今じゃ気持ちいい。
今はベッドの周りにカーテンは無かった。その方が部屋が広く見えるから、涼しげじゃないかと思い開けたのだ。
いつもは開けない。嫌なんだ、入ってくる人は全員、自分を哀れみの目つきで見るから。だれも、本心を語ってくれないから。
がちゃ、とドアが開いた。
「うえ、暑い、何これ?」
入ってきた者はいきなりそう言うと、開いている窓を見つけ、ずかずか部屋を縦断し、閉めた。
天麻は、突然の出来事に抵抗の声すら挙げられない。
「あっつーい。来た意味ないじゃない。あ、でも、時間経てば涼しくなるか」
入ってきた者は、この前の女だった。彼女は自分の部屋のように勝手に荒らす。何か、手に持っているようだ。
一段落し、紗枝は天麻を見た。
「勉強させて」
「はぁ?」
ふいに、天麻は情けない声を出してしまう。
「何となく、ここが一番進みそうだから」
「…………去れ」
「冷たいなぁ。いいでしょ、お互い喋らなきゃ。でもただじゃ悪いからお見舞いの品買ってきた」
彼女はそう言うと、赤いものを彼に渡した。
……宣言どおり、菊を―――
「それあげる。どうしようと構わないけど。赤い菊ってあったんだねー。珍しくて買ってきちゃったよ」
彼は唖然としていた。わざわざ買ってきたのだ。明らかに病院に適していない花を、嫌味を言うためだけに。
―――大した根性だ。
彼は、とりあえずその花を彼女に渡す。「花瓶に挿して」というと、紗枝は非常に驚いたが、とりあえず机の上にある花瓶に挿した。花瓶にはこの前紗枝がもってきた――というより、置いていった花が先に挿さっていた。天麻は捨てて欲しかったのだが、看護婦さんが勝手に挿したのだ。
菊―――実際はこんな花あったら嫌に思うだろうが、どうせ自分はあれなのだから。
そう言えば菊は意外といい花言葉を持っている。葬儀用の花として使われていなかったら、偏見は生まれないぐらい良い。確か赤菊は―――
たぶん、いや、絶対てきとうに選んだのだろうが。
「で、勉強していいの?」
彼はため息をついた。
どうせ、断っても居座りそうだ。
「いいんじゃないのか?」
「そ、じゃあ、あの机使わせてもらうね」
病室の温度は、また院内と同じ温度に戻っていた。
といっても、かれこれもう二時間も経つ。下がらなかったら冷房の能力は低すぎるだろう。
紗枝はとりあえず院内の食堂で昼食を取り、また病室に戻った。戻った時にはちょうど彼も食事をとり終わった頃であり、食器は下げられていた。
看護婦さんと、見事にすれ違ったようだ。
とりあえず、彼女は食休みを取っていた。
「二時間も集中して勉強したの初めてかも」
本当は心の中で思う事なのだが、部屋にもう一人いるので何となく声に出す。
悲しい人間の運命(さだ)だ。いちおう頭では、返答が返ってこない事ぐらい分かっていたのに。
案の定、返ってきたのは静寂だった。
「無愛想」
返答はないが、聞いてはいるだろう。だから、嫌味を言っておく。
紗枝はため息をついた。いるのにいない人に会ったのは初めてかもしれない。
まぁ、そのおかげで二時間集中して勉強できたのは確かだ。一気に進んだ。たぶん、ここ三日よりは明らかに多くやっただろう。だからちょっと息抜き。
「ねぇ、この質問ぐらい答えてよ。名前何て言うの?」
ひそかに最大の疑問だった。
―――『簗田天麻』 上も下も読めない。何となく屈辱だが、訊くのは一時の恥というから訊いた。答えが返ってくるかは定かではないが。
「外のプレートに書いてある」
返答は返ってきた。
「それが読めないの」
「…………やなだあお」
「へっ?」
「や・な・だ、あ・お」
「あお?」
それ以上は返答が返ってこなかった。どうやら必要最低限のことは帰ってくるらしい。
「へぇ……あお……って言うんだ……あの字」
天麻、をどうやったら、あお、と読むのだろう? それが真実なら信じるしかないが。
「天麻君って、中三? それとも中二?」
「中三……だね」
予想通り同い年なので、何か嬉しい。
「ああっと、私は、虹羽紗枝」
言いながらノートを破った紙に自分の名前を書き、天麻に渡す。天麻は適当にそれを見ると、ベッドの隣にある棚に置いた。そして、本棚から小説を取り出し、読み始めた。
やっぱり無愛想、と紗枝は内心思いつつ、また勉強を始める。
すると、ぴたりと、手の中のシャーペンが止まった。
「そうだ、天麻君って勉強しないの?」
なんだか悔しいほど返答がこない。構わず続ける。
「面倒臭いよね〜勉強って。なんで高校受験とかさ、競い合わせるような事するんだろうね? どうせさぁ、習う事はほとんど将来意味ないことだし、他人との交流の場としては良いかもしれないけど、そんだったら毎日合宿とかやってさ、世界共通語の英語をやってさ、ああ、もちろん日常で使える奴だよ。今習ってるのって、全く意味ないんだよねぇ〜。とりあえずさ、学校の勉強って何にも意味ないじゃん? 私も何となく勉強してるけどさ、何か、みんなに遅れとりたくないから……。分からないんだよね。実際。どうせさぁ人間っていなくなっちゃうわけじゃん。いつかは、どんな死を迎えるかは分からないけどさ、なのに一生懸命勉強して……わっかんないなぁ。私もなんで勉強してるんだか。夢も特にないけどさ、一応高校入らないと社会人になってから苦労するって言うじゃん。……そんじゃなければ高校なんて入ろうとも思わないし、勉強しようとなんて思わないんだけどな」
長々と喋った後、紗枝はため息をついた。
「天麻君に愚痴ってもしょうがないね……ま、私は悩み多き女子なわけ。辛いなぁ。天麻君もそう思うでしょ?」
天麻は外を見ていた。外ではいい天気。やっぱりこういう日は紫外線が多いのだろう。今では珍しくなった麦藁帽子をかぶった子供が道路を歩いていた。男の子だろう。肌が健康そうな小麦色に焼けている。
自分の腕は、白い。去年から……だから、当たり前かもしれないが。
「ねぇ、返答してよ。悲しくなってくるでしょ?」
紗枝が嘆いた。シカトにより悲観的になり始めたらしい。
五月蝿くなりそうなので、答えた。
「悩めるだけ…………いいんじゃないか?」
「はぁ? 悩めるのが良い訳ないでしょ? 小学生に戻りたーい」
本音が一蹴。まぁ、理解してもらおうと思っていたわけではないが。どうせ自分の気持ちを理解できる者など、若干名しかいないだろう。
「悩みがあるなら、未来があるって事だろ?」
「未来なくていいから、悩みなくなりたいなぁ。でも、自殺願望あるわけじゃないからね」
彼の表情が酷く曇った。見ている方が辛いほど、沈痛だった。
「…………未来なくて、いい奴はいないよ」
紗枝は驚く。自分から話題をふっていないのに彼は自分から話し出した。紗枝は天麻を凝視する。
「じゃあ訊くけど……俺が、後一ヶ月の命。だとしたら、どういう反応する?」
「え……その……」
天麻は無機質に笑んでいた。どこを見ているのか分からなかった。
「俺には、未来がないんだ」
何もかもが無機質だった。言葉も、時も。この場所ですら。
天麻はちらりと、紗枝を見やった。紗枝はびくりとした。
「ゴメン!」
紗枝はその場から逃げ出していた。急いで荷物をまとめ、一瞬のうちに外に出てしまった。
なぜ謝ったのかは分からない。何となく外に出た言葉。
―――今の自分って、なんだろう。
―――――まだ、陽は高い。
HR
『まだ、陽は高い。』の「陽」は、「ひ」と読みます。実際は読まないけれど。
なんだかありきたりかなぁ……この展開は。
というか、……まぁ……いいか。
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||