Sixth Day
Chap 2
「お帰りなさい」
家に帰ると、リビングから幸天の声。それからどたどたと黄色のエプロン姿で玄関にやってきて、もう一度お帰りなさいと告げた。達巳は一瞬対応に困ってしまったが、ただいまと小さな声で応えた。
ただいまなんて言うのは何年ぶりだろう。両親がいなくなってからだろうか。よく覚えていないので、本当の所は解からない。
「幸天、タオル一枚持ってきてくれないか?」
どうしてですか? と聞く前に、幸天は達巳の腕に抱えられているそれを見つけた。
「わぁ、道にいたのですよね?」
「うん。なんだか雨に打たれてるの見たら、どうしても拾って来たくなっちゃってさ。……飼ってもいいよね?」
「はい、もちろんですよ! わたしも本当は拾ってきたかったんです」
タオル持ってきますと、喜色満面でエプロンを翻した幸天を見た達巳は、腕の中に収まっているそれに、小さく話し掛けた。
「良かったな。幸天も歓迎するって」
それに答えるように、小さなネコが小さく鳴いた。
種別はネコ。種類は雑種。性別はメス。毛は黒く、流れるように整っている。尻尾はピンと伸びていて、目は右が黄色、左が青のオッドアイ。生まれてからすぐに捨てられたわけではなさそうで、歳は一歳かそれより少し小さいぐらい。ろくに食べ物を取っていなかったのだろう、あばら骨が浮き出ており、見た目が弱々しかった。
ネコは煮干を数匹平らげると、よほど疲れていたのか、ほどなくして眠り始めた。穏やかな寝息に安心した達巳と幸天は、自分たちの食事をとることにした。ご飯に味噌汁、煮物に冷奴。ネコにあげた煮干は味噌汁の出汁に使ったものである。
「明日は洋食にしますね」
こう食事中言っていた。幸天のレパートリーの多さには驚かされる。上界と下界では食材が違うに決まっているのに、レパートリーもさながら、料理する上での知識がきちんと詰め込まれている。ゴボウはあく抜きの為に酢水につけておくとか、大さじ一杯どれぐらい、料理のさしすせそ、包丁の使い分け(もちろん包丁捌きも上手い)、包丁の研ぎ方、などなど、達巳も感心することばかりである。達巳も大体は把握しているつもりだが、幸天に勝てる気はしない。
些細な会話を交わしながら食事は進み、食事が済んで食器を下げて、幸天がお茶を持ってきて、また会話が再開した。
「達巳さんの好きな食べ物はスパゲッティなんですよね。絢さんから聞きました」
「基本的にはなんでも好きだよ」
好き嫌いなんかしていたらこんな生活はやっていけない。だけれども、人間誰にも一つや二つ、苦手なものはある。
「キノコは苦手なんですよね」
達巳は苦笑した。
「菌の塊だと思うとどうしても箸が進まなくて」
「キノコスパはどうなんですか?」
「あんなの邪道だよ邪道」
はき捨てた達巳。幸天は微笑った。達巳もつられて笑い、幸天に訊ねた。
「幸天が嫌いな食べ物は?」
「嫌いと言うか、苦手なものなんですけど、……何だと思います?」
幸天からの挑戦状。達巳はこの挑戦を受けることにした。
嫌いなものと言えばなんだろう? 例えば、そう、同族嫌悪という言葉があるから、幸天に関係がある食べ物かもしれない。幸天の性格は、しっかりしていそうで、どこかトロいところがある。トロい。トロ、マグロ。なるほど、あとは一般化して、魚でどうだろうか。
「魚とか」
「当たりです! 凄いですね、どうして解かったんですか?」
達巳は顔を強張らせた。
「え……ほら勘だよ勘」
推理の過程を披露するわけにも行かず、達巳は違う質問を返す。
「どうして苦手なの?」
「焼いてあればいいんですが……その、寿司とか刺身とかが生魚がダメなんです。特に赤いやつがダメです。口に含んだ瞬間に、えと…細胞分裂し始めて、なにか動きそうな気がするんですよね」
生魚を食してきた日本人でさえ、生臭いからいやだと言う人がいるぐらいだから、別に特に変な事ではない。しかし幸天の理由はどうだろう? 少しずれているのが、何となく幸天らしいのだけれど。
「好きな食べ物は?」
「えっと、まずはスコーンです」
「スコーン?」
「はい。グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国のお菓子なんですよ」
グレート以下は、つまるところイギリスのことである。イギリスと覚えてきたほうが効率が良かっただろうに。達巳は湯飲みを持ち上げて、少量口に含んだ。
「他にはある?」
「ドリアンです」
達巳は思わず口の中のお茶をを吹きだしそうになった。
「ドリアン? あの臭い果物?」
幸天は不思議そうに顔をかしげたが、すぐに過ちに気付くと、慌てて訂正する。
「ドリアです。ドリア」
「でもさ、幸天がドリアン好きだったらなんとなく納得できるけどね」
「どういう意味ですかっ」
むぅと頬を膨らました幸天は、ぼそりと言った。
「明日キノコスパにします」
「おれが悪かったです」
「にぁ」
ぐっすりと寝ていたはずのネコがいきなり起きて鳴いた。二人は驚いてネコを見ようとしたら、机の上にちょこんと載って、また小さく鳴いた。
「ネコさんも許さないって言ってますよ」
「え、今のタイミングでだったらおれの弁護じゃないの?」
「絶対わたしの肩もってくれてますよ。ですよね、ネコさん」
そんな事はどうでもいいから、ネコはそんな事を訴えているような目で達巳と幸天を交互に見た。このネコは人の言っている事が理解できているかのように、何かを訴えている。
「お腹減ってるとか」
ネコは何も反応しなかった。
「まだ眠いんですか?」
やはり反応しない。
「名前、付けて欲しいとか?」
「にゃぅ」
黒ネコが鳴いた。二人は顔を見合わせた。
「日本語、理解してるんですかね?」
「……どうなんだろ?」
兎にも角にも、名前を決める事になった。達巳は幸天の苦手なものを当てたように知恵を振り絞り、名前をたたき出し、指をさして命名した。
「タマ」
ガブリ。
穏やかも激しい噛み付きが、そして神経を震わせる激痛が達巳の指を襲った。
「―――――っ」
安直な名前ではこのネコは満足しなかったのだ。そんな事を考える暇が無いほど噛み付きは強く、達巳はネコから指を奪い返した。しかし、その反動で肘が湯飲みにあたり、不幸にも急須にもぶつかって、中に入っていた高温の液体は容赦なく達巳に襲い掛かって――。
「――――ぁっちぃぃっ!」
絶叫が響いた。
もともと雨で湿気気味だった制服のズボンが、お茶によって完全に濡れてしまい、達巳は風呂に入ることになった。ズボンはリビングで干されている。ドライヤーなんて電気食い虫を使うわけにも行かず、明日までに乾くかどうか少々怪しい。
その不安は一時置いておき、部活で疲れた身体を湯船にしっかりと浸し休める。湯気が一緒に疲れを取り除いてしまうと思えるほど気持ちがいい。
「……なかなか頭がいいんだな、あのネコ」
ネコは人の感情を読むというが、手抜きで決めている事がばれているのだろうか。または気に入らない名前だったのか。偶然だったと言う可能性も否定はできないが、それだけは違う気がする。
「名前、ねぇ」
幸天に頼るのは酷だろう。ここの知識がかなり詰め込んであるとは言え、日本人がネコにつける名前なんて学んだわけが無い。いい名前を出してくれるに越したことは無いが、やはり自分が積極的になるべきだろう。
今までに一度だけ名前を付けたことはあった。縁日の時にとって来た金魚一匹に名前を付けたのだ。黒い出目金で、尾っぽが随分とひらひらしていた。その時つけた名前は『菊造』で、陽平に馬鹿にされた覚えがある。
「苦手なんだよな……題名とか、名前とか」
達巳はため息をついた。どんな名をつければあのネコは満足するのだろうか。
「クロとかじゃ怒るよなぁ」
「にゃん」
風呂場への入口はほんのりと開いていた。狭い狭い隙間、しかし頭さえ通れば通り抜けられると言われているネコにとっては、あまりにも広すぎる隙間なのだろう。
達巳はため息をついた。
「仮にも女なんだから、男の入浴中に入ってくる時は少しぐらい恥らい持てよな」
隙間の間に収まっている黒ネコに向かって、達巳は呆れ気味に言った。言っても聞かないのは分かっているのだけれど、少しぐらいは理解していそうな気がするから。
ネコは歩いてきてぴょんと飛び上がると、浴槽の淵に乗っかった。落ちてしまうのではないかと気が気でなかったが、上手くバランスをとっていて、今ではすっかりくつろいでしまっている。それでもやはり心配だったので、蓋を少しだけ閉めて、その上にネコを載せた。
湿気が多いのかネコはしきりに毛づくろいをしている。あまりに忙しなくやるものだから、なぜわざわざここに来たのかと不思議だったけど、見ている分には愛らしく、それに実物を見ながらのほうが名前を付けやすいだろうと、たまに指で軽く撫でてやっては、そのままにしておいた。
毛づくろいも終わったらしく、ちょこんとふたの上に座っているネコの額を指で撫でようとしたら、指をがぶりとやられた。だけど今度はさっきみたいに痛いものではなく、噛むというよりくわえると言った動作に近い。離したと思ったら、リビングで噛まれたところをぺろぺろと舐め出した。
悪かったとでも思っているのだろう。きっとそうだ。
「お前みたいに聡いヤツに、適当な名前はつけられないよなぁ……」
「にゃ」
とんでもないネコを拾ってきてしまったものだ。達巳はくつくつと笑いながら湯船から出る。ネコにかまっていたせいで長い時間浸かっていたみたいだ。
浴室から脱衣室に移り、開いていた廊下側のドアを閉めた。ちょっとたってから、ネコも一緒に脱衣室にやってきた。
バスタオルで体を拭いている間、ネコは自分の尻尾と戯れていたが、飽きてしまったのか、外へ出たいと催促してきた。
達巳は扉を開けてやった。扉の向こうには、トイレに向かう途中だった幸天がいた。
ネコはさっさとリビングに向かった。達巳と幸天はその場でかたまる。
幸天の視線と、達巳の身体に、隔てるものは何一つ無い。おもむろに、幸天の視線が下に移動―――。
幸天の顔が赤く染まったのと同時に、達巳は脱衣室の扉を勢いよく閉めた。
何事もなかったように十数秒秒、達巳はドアを閉めつづける。幸天がトイレから出てリビングへ向かった足音を聞き終えてから、達巳は大きくため息をついた。
「こう考えると、男は少々得かもな……」
女は裸を見られたら相当恥ずかしいだろうけど、男はその一瞬が恥ずかしいだけで大して恥ずかしさは無いし、なにより、男が女の裸を見るのと、女が男の裸を見るのでは、前者の方が罪状は大きい。
しかしながら、ネコが出たタイミングはばっちりだった。数秒さえ違っていれば、ああなる事は無かったのに。
「あのネコ、こうなることを目論んでたりして」
まさかなと、達巳は自分の考えを笑い飛ばした。
HR
ネコだ!
やった!
遂に自分の小説にネコを登場させてしまった!
オレは無類のネコ好きです。
ネコを馬鹿にするものはオレにやられます(笑)
白の裏話。
続いては管城子道則。
彼は実は本当に脇役です。陽平じゃ補えない所を補ってもらうのがみっちーの役割。
でもみっちーはいい人です。いい人すぎます。努力家です。彼女である日和をかなり大切にしています。
人任せな所もありますが、自分の意志ははっきりしています。
みっちーがいれば和むんだろうなーみたいな、そんなキャラにする予定。
ぶっちゃけると頭数揃えたかっただけたったってのもあります(爆
男二人女二人じゃ、日常っぽくないですもんね。せめて三人組ってのが日常っぽいなって思ったのです。
しかも、達巳は一人だけ独り身ってのも、なんだか曰くありそうじゃないですか? ない? あ、すいません。
次は道則のつがい(笑)の日和ー。
裏設定。
身長168センチ 体重58キロ 誕生日11月30日 血液型AB型 一人称僕。
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