諸手を満足に広げる事もできない、狭い部屋。
 光は差さず、瞳には漆黒のみが写り込む。
 そこにあるのは重厚な鉄の扉と、陰鬱とした空気だけ。
 五感など無用の長物。すべてが断絶された空間。
 それでも声が聞こえる。音ではない。本当の声が聞こえる。
 笑い声が聞こえた
 ささやき声が聞こえた
 怒鳴り声が聞こえた
 泣き声が聞こえた
 語り合う声が聞こえた
 喜びの声が聞こえた
 戦いの声が聞こえた
 戸惑いの声が聞こえた
 一生懸命な声が聞こえた
 愛を謳歌する声が聞こえた
 うめき声が聞こえた
 静かな声が聞こえた
 憧憬の声が聞こえた
 生きる声が聞こえた
 彼女はそれらに耳を傾ける。声は生まれ、明滅を繰り返して、起伏が揺れたと思うと、ふっと消えてゆく。
 途切れることなくたゆたう大河のように、声は彼女の周りを流れてゆく。
 その時、声を裂くように音が聞こえた。
 ドアが開く音。ぎちぎちと蝶番の悲鳴が部屋に反響する。
 白い光が差し、彼女は顔をあげた。
 おかあさんがいた。
 おかあさんは困ったような表情で、我が子を愛するような口調で、語り掛ける。
「シュカ、どうしてお母さんを困らせるの?」――時間が無いんだからいい加減にして欲しいわね。
「またこんな部屋に閉じこもって……お日様の光を浴びないと体壊しちゃうわよ」――何でこの娘はこんなに役立たずなのかしら。
「シュカ、立って」――魔法もろくに使えずに、いったい誰に似たのか。
「どうしたの、シュカ、ほら、一緒にご飯を食べましょう」――体裁上この娘も育てなくちゃいけないし、この家も楽じゃないわね。
「どうしてそんな顔をしているの?」――煩わしい。
「そんな悲しい顔をしてたら、お母さんも悲しいわ」――まったく、悲しい顔したいのはこっちよ。
「大丈夫よ、安心して、怖い事は何もないわよ」――顔だけは人形のように可愛いのに、
「お父様も待ってるわ」――魔法も、
「お兄様も」――運動も、
「お姉さまも」――勉学も、
「食卓で待ってるわよ」――何もかも駄目なクズな娘。
「おいで、シュカ」――こんな娘いなければいいのに。
 音と声が聞こえた。シュカは耳を塞いだ。でも意味は無かった。声は嘲笑うかのように手の平を通り抜け、彼女の頭の奥深くに突き刺さる。
 それでも、彼女は耳を塞いだ。
 それでも、声は消えなかった。


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