レイセリーティアはナンパされていた。
 相手はなかなか顔の良い二人組。ナンパのテクニックも下手ではないらしく、恐らく今までに何人も女性を落としてきたのだろう。
 本当は適当にあしらってすぐに別れる予定だった。だが断っても断ってもしつこく喰らいついてきたので、少し強めの口調で抗議したら、一瞬の隙をつかれて逃げ出すタイミングを失ってしまった。ナンパなんてやらないで商売人をやっていたら成功しているかもしれない、と彼女に思わせるほどの巧みな論述である。
 彼女は彼女で奮闘しているのだが、一度崩れた体勢を立て直すのは容易ではなく、これ以上形勢が傾かないように防衛線を張りながら必死の論戦を展開しているが、二対一と言う人数の分も悪く劣勢に立たされていた。
 別にナンパされる事自体は嫌いではない。
 ナンパされると言うのは、雑踏の中でも一際目立つ魅力が自分に有るからであって、一種のバロメーターとして捉える事ができる。
 お世辞でも「美人だね」「可愛いね」と言われるのは悪くないし、誘いを断った時の相手の残念そうな表情を見るのも嫌いではない。
 だけど、いくらなんでも今日は多すぎる。
 今の二人組で十組目。逐一数えていた訳ではないが、きっとそんなものだ。普通ならば一日に一度有るか無いかのナンパなのに、何故か今日に限って絨緞爆撃を受けている。
 ただでさえうんざりしているのに、さらに粘着質たっぷりの二人組みに絡まれて、流石の彼女も辟易していた。それも彼女の論調を鈍らせて、交渉が長引いてしまっている原因である。
(もう面倒だから蹴散らしちゃおうかしら)
 いやいやと、心の中で首を振る。昨日今日と乱闘騒ぎを起こしたら、今度こそお父様に知られてしまうだろう。最近は乱闘回数が(微妙に)減ってきたのだから、できれば何事もなく穏便に立ち去りたい。
(アルフの店につくのはいつになるのかしら)
 朝からトラブル続きだった。朝起きてから服を着替えて部屋を出ようとしたら、使用人が入ってきてドアにぶつかるし、食事の時もお皿を落として割ってしまい、ついでにお気に入りの服も汚れてしまった。服を着替えて気を取り直し、玄関を出ようとしたらまた使用人が入ってきてドアにぶつかるし、家の敷地から出た瞬間に馬が走ってきて、避けようとして転んでしまい服が汚れ、また服を着替えることになったし、そして今はこのナンパ地獄だ。
 メインストリートを歩いていることがナンパ地獄に陥っている理由の一つなのは間違いないので、これが終わったらサブメインストリートに入ろうと考えた瞬間、ピンと、どこかで強大な魔力が渦巻いた気配がした。
 彼女はピクリと反応し、空を見上げる。こう言う時に域の魔法が使えれば楽だと思うが、どんなに努力しても、生憎習得できそうもない属性である。
 空に変化はない、辺りにも変化はない、道行く人々にも変化はないし、ナンパ二人組みの論調にも変わりはない。変わった事は自分が空を見上げた行動ぐらいで、もしかしたら気のせいだったのかもしれないと思えてきた。
 とにかく、自分に被害があるわけでも無さそうなので、気合いを入れ直し、ここから逃げる計画を立てる。手っ取り早いのは相手をのしてしまう事だが、それは先ほど却下したし、二対一だから言い負かすのも難しいだろう。
 やっぱり相手の注意が反れた瞬間に逃げ出してしまうのが楽。そう考えた時、空から何かが落ちてきた。目の前の男の頭に、それは落下した。
 ガンと鈍い音を立て、目の前の男に激突したそれは板切れ。板切れがぶち当たった男は完全に気を失い、辺りに憚ることなくその場に倒れてしまった。
 なぜこんな物が空から?
 誰かが落としたわけでも投げたわけでもなさそうだ。辺りを見渡しても空を見上げても理由がさっぱり解らない。
 レイセリーティアは疑問に思ったが、もう一人の男が倒れた男に気を取られているのを確認し、ご愁傷様と一言、さっとその場を後にした。
 すぐさまサブメインストリートに入る。ナンパ野郎も追ってくる事もなかった。ここならばメインよりは人通りが少ないし、ナンパされる確率は低いだろう。
 彼女は悠々と歩き出す。いい天気だなぁと空を見上げた瞬間、彼女の碧い瞳に、何か不可解な物が映し出された。
 何かが空を飛んでいる。確認しようと、彼女は目を細めた。
 それは、だんだんこちらへ近づいてくるようだった。白い固形物、大きさは握りこぶし二つ分ほど。いったい、あれはなんだろう。
 猫の置物? と、彼女がそれを認知した直後、顔面にソレが激突した。 
 
 カウンターの隅に置いてある水晶玉が、ほんのりと赤く光りだす。それから数秒遅れて、アリオストロの魔導店の扉が開いた。
 アルフはいらっしゃいと告げる。が、入ってきた人はお客さんでは無かった。
 レイセリーティアが、今にも噛み付きそうなほど不機嫌な顔をして、ずかずかと乗り込んできた。
 怒髪天の彼女だけれど、手に持っている猫の置物が場違いにもほのぼのとしていて、何となく和やかな雰囲気になってしまう。しかし彼女の口調は、猫の置物を握り潰してしまうのではと思えるほど怒気を含んでいた。
「ちょっとアルフ、どういうことよ! この猫の置物この店のでしょ? いきなり私の頭上に、顔面に降ってきたんだけど! すっごい痛かったんだから! しかもその後、私何分か気絶したみたいだし、何事もなかったから良かったけど、もしかしたら私の人生に関わる事件が起きたかもしれないのよ? それにまた服が汚れて着替える羽目になったし、時間が浪費されたし……とにかく! 私が納得できるように説明して」
 言い切ってから、アルフの表情が妙にやつれていることに気がついた。ついでに、この店がやけに明るい事にも気がついた。
「……いつの間にリフォームしたの?」
「一時間前くらいかな」
 屋内であるはずのお店から、空を望むことができてしまったレイセリーティアは、戸惑いの色を隠せなかった。
 アルフは魔導銃の手入れをしながら、レイセリーティアに事のあらましを説明した。
 魔具を売りにトーヤが来たこと、その中に魔導銃という魔具があったこと、それは予想もしていないほどの威力があったこと、その後に、お客さんであるはずのトーヤに片付けを手伝ってもらった事、ついでに、なぜ猫の置物が一緒に吹き飛んだかなど。
 猫の置物直撃より、屋根吹き飛びの方が不幸っぽいし、何より八つ当たりになりそうなので、レイセリーティアは怒りを収めて、猫の置物をアルフに返した。
「魔導銃って、初めて見る魔具だけど、そんなに威力が高いのね。その珠って消耗品?」
「いや、違うみたいだよ。一回使うと珠の中の魔力はなくなったけど、微量ながら魔力が回復してきてるから、時間が経てばまた使えると思う」
 ただし、このペースだと次に使えるまでに一ヶ月弱はかかる。これでは消耗品に近い。
「あーあ、それにしても」
 レイセリーティアは、残念そうにため息をついた。
「トーヤさん来てたんだ。旅の話聞きたかったのに」
 言わずと知れず、彼女はトーヤのファンである。彼の執筆した本はすべて読破しており、冒頭のくだりなら暗記しているほどだ。
 今回の旅は絶壁の孤島、メンデー島だったはず。本を読むのも楽しいけれど、体験談は直接聞きたいのが心情だ。
 レイセリーティアの興味は、カウンターに広げられている魔具に移る。
「これ、トーヤさんが持ってきた魔具?」
「そうだよ」
 紐や杖や鍵、時計など、様々な形をした魔具がカウンターの上にごった返していた。
(魔具は触っただけで発動する物もあるから、勝手に触っちゃいけないのよ)
 と、心の中で忠告しながら、目の前に有った小さな直方体の物体を手にとってみる。それだけでは何も起きない。
「レイティア、それは……」
「待って、当ててみるから」
 域の魔法を使えなくても、どれぐらいの魔力が包括されているかぐらいは把握できるし、形状と発動する魔法は関連している場合が多いので、意外と当てることができる。アルフが止めなかった事もあるし、危ない魔具ではないのだろう。
 手にした魔具は完全な直方体。一片は三センチほどで、表面は黒くつるつるしている。蓋がないからどこかが開くこともないし、中が空洞になっているわけでもない。サイコロみたいにふってみたが、やっぱり変化はない。
 目を凝らしてみると、表面の小さな傷に気がついた。いや、傷ではない。これは文字だ。表面を掠るように書かれた薄く小さな文字を、何とか読み取った。
「『ナスケスア』?」
 レイセリーティアが呟いた瞬間、石が突如巨大化した。体積も質量も急激に大きくなり、驚いた彼女は石をすべり落とし、その黒い直方体の石は彼女の足に、運悪く角を向けて落下した。
 声にならない叫びをあげたレイセリーティア。石は床に転がり、彼女はその場にうずくまった。
「だ、大丈夫?」
「――解ったわ。石に書いてある文字を読むと、巨大化する魔具ね」
 レイセリーティアは何事もなかったように済まそうとしているが、どうにも無理があるようだ。目に涙を浮かべているし、一向に立ち上がる気配を見せない。
 アルフは店奥に入り、救急箱と氷袋を持ってきた。
「レイティア、椅子に座って」
 彼女はそれに従い、近くの椅子に腰掛ける。
 靴と靴下を脱いだら、大きな青アザが現れた。爪にも骨にも支障がなさそうなのが幸いだろう。
「……今日はとことん不幸だわ」
「何があったの?」
 アルフは氷袋をあてがいながら、訊ねる。レイセリーティアは嘆息交じりで答えた。
「朝から服が二着も汚れるし、しつこい男に何度も声かけられるし、猫の置物がぶつかるし、それでまた服取り替えなくちゃいけなくなったし、今のこれもまだ痛いし……」
 もしかして、この不幸続きが無ければトーヤさんにも会えたのでは? と考えて、さらに気が沈んでしまった。
 アルフは、落ち込んでいるレイセリーティアの顔を覗き込み、微笑む。
「レイティア、笑わないと、幸せは逃げちゃうよ」
「これ以上逃げるような幸せなんて無さそうだけど」
 不幸のどん底のいるような顔のレイセリーティアの頬に、アルフは手を添えた。
「そんなことないよ。ほらほら、綺麗な顔が台無しだよ。君は笑ってた方がいいよ」
 瞬間、レイセリーティアの頬がかっと赤く染まった。
 ナンパ野郎達も綺麗とか可愛いとかは言ってくるが、それの中の半以上はお世辞が入っている。しかし、アルフはお世辞や嘘を全く言えないタイプなので、彼の言う綺麗は本当の言葉だから、思わず恥ずかしくなってしまう。
「顔真っ赤だけど、大丈夫?」
「な、なんでもないわよ!」
 さらに鈍感。ここまで素直で純真無垢だと、眼鏡を奪いとって虐めたくなってくる。
 なぜか彼女が不機嫌になったので、彼は肩をすくめて立ち上がった。氷袋を彼女に預けると、救急箱を戻しに店の奥に入っていった。
 レイセリーティアはため息をつくと、巨大化した石を見つめる。
「大体、こういう魔具の戻し方は決まってるのよね」
 先ほど唱えた言葉、ナスケスア、逆から読めば。
「アスケスナ」
 黒い石は、あっという間に小さくなっていき、元の大きさに戻った。
 何事もなかったことにほっとしながら、彼女はそれを拾い上げる。報復にこつんと軽く叩いてから、カウンターの上に戻した。
 本当に、今日は不幸続きだ。今から何をしてもすべて悪いほうへ転がってしまう気がする。
 少しでも動けば椅子が壊れるかもしれないし、下手したら床が抜けるかもしれないし、次に魔具に触ったらまた怪我を負うかもしれないし……。被害妄想だとは思うけど、そうも考えたくなってしまう。
「幸運になるような魔具はないか聞いてみよう」
 カウンターに無造作に広がっている魔具を見つめる。
 ふと、先ほど魔具とは違う、小さな箱が目に入った。
 それは、木で作られた小箱。カビが生えていてボロボロで、触っただけで崩れてしまいそう。見るからに怪しげで、異様な雰囲気がびんびん伝わってきて、関わっても幸せはなさそうだ。
 それでも、なぜか興味をそそられてしまう。
 魅入られたように、彼女はそれを持ち上げて、蓋を開けた。
 箱の中には小さな指輪が入っていた。
 模様が刻まれている銀色のリングに、赤い宝石がくっ付いていた。その宝石を良く見ると、紋様がぱっと浮かび上がってくる。
 彼女は恐る恐る指輪を摘み上げた。
「綺麗な指輪……」
 吸い込まれそうなほど精巧な指輪だった。決して目立つ面立ちではないのに、その存在感はありありと伝わってくる。
 職人技だと思う。リングに彫られている模様は一つ一つが繊細で、メインである宝石を引き立たせている。宝石も大きいルビー。さらに、覗き込んだら紋様が浮かび上がるなんて、いったいどういう技巧なのだろう。
(もしかして、アルフが私の為に用意したプレゼントだったりして)
 思ってから、そんなことを考えてしまった自分が恥ずかしくなった。
(でも、将来、誰かが指輪をはめてくれるんだろうな……)
 指輪をそっと、右手薬指にはめてみる。さすがの彼女も、左手にはめるのは恥ずかしかったようだ。
 その指輪はぴったりだった。まるで彼女の為にあつらえたかのようにぴったり指に収まった。手を空の青い光にかざしてみる。その指輪は彼女の手になじみ、違和感を与えない。
 やっぱりプレゼントなのではと訝ったが、そんなことあるはずないと首を振り、その指輪を外そうとした。
 ――外れない。
 初めは関節に引っかかったのかと思ったのだが、指がちぎれそうになるまで引っ張ったけど、ピクリとも動かない。ねじってみたりひねってみたり、引いて駄目なら押してみても、うんともすんとも動かない。 
 全身の血の気が引いていく。まるで、指輪が体の一部になってしまったかのような、そんな感じがするのだ。もしかして、身につけたら一生はずれなくなる魔具だったりして?
 アルフが戻ってくる気配がしたので、箱をすぐには見つからない所に隠し、手を背中の後ろに回した。
 焦りの表情を押し殺す。だてに商家の娘をやっている訳ではない。営業スマイルなどお手のものだ。
「足はどうなった?」
 と、アルフが戻ってきた。
 平常心平常心。うまく会話を誘導して、外す方法を聞き出せばよい。
「ええ、もうほとんど大丈夫です事よ」
「です事よ?」
「あ、え、大丈夫よ」
 いきなり失敗した。どうしてこんなに緊張してしまうのだろうか。会話の誘導なんて、そんな難しい事でもないはずなのに。
 それに考えてみれば、指輪の事だって隠す必要はないのだ。衝動的にはめたら外れなくなったと本当の事を言えば、アルフは優しいから怒ることもなく、気をつけなきゃ駄目だよと軽い注意と共に、対処法を教えてくれる。
 けど、何か嫌な予感がするのだ。操られたかのように指輪を身につけてしまった一連の動作や、指輪をはめてからの迫りくる圧迫感が、不安として付きまとう。
 何より、今日は厄日だし。
「そうだ。アルフ、幸運になれるような魔具とか、不幸を追い払ってくれるような魔具ってある? できればアクセサリーがいいんだけど」
「うーん、そんな都合のいいものは無いよ。逆のイメージのものだったらあるけど」
「それってどんな指輪?」
「外見はきれいな指輪なんだけどね。知らない人が見たら変哲もない高価な指輪だと思うはずだよ。……それにしても、よく指輪だって知ってたね」
「えっ! あはは、勘よ、勘」
 自然と指輪の話に持っていきたいのだが、先入観とは恐ろしく、焦っている事もあって、なかなかうまく行かない。
「その指輪って、どんな形をしてるの?」
「確か、リングに細やかな細工がしてあって、じっと見つめると紋章が浮き上がってくる大き目のルビーがくっ付いてるよ。見た目はかなりのものなんだけど、持つ特性が難しくて……。ボロボロの木箱に入ってたんだけど、どこいったかな」
 これは、確実に自分がはめてしまった指輪だ。逆のイメージとは何だろう。特性が難しいとは何だろう。不幸になってしまうような魔具だったらどうしよう。これ以上不幸になったら死んでしまうのではないだろうか。
 彼女の思考は止まる事を知らず、全速力でマイナスへと向かっていく。
「その指輪ってどんな魔具なの? 特殊魔具?」
「特殊魔具とは違うかな。呪いの魔具。呪具って言ってね、これがまた厄介な魔具なんだ」
「じゅ、呪具?」
 レイセリーティアは、ごくりと生唾を飲み込む。
「普通、魔具ができる為には、誰かが大切に使用していることが前提でね。そうすると、道具にその人の思いが微かな魔力となって残り、下地が完成するんだ。その後使われなくなってから、長い歳月をかけて辺りに停滞している魔力を蓄積していき、何かの衝撃によって安定した魔具になるんだ。持ち主の使い方によって魔具の性質が決まる場合が多いけど、辺りの魔力の具合や、衝撃の種類によって、性質が変わってしまうものも多い。と、まぁこれが特殊魔具のでき方なのだけれど」
 アルフには珍しく、険しい表情になる。
「呪具ってのは、この課程が大きく違う。物を大切に扱っている事は確かなのだけど、所有者……特に大きな魔力をもった所有者が悲劇の最期、未練が残るような死を遂げてしまうと、感情でかき乱された膨大な魔力が物に流れ込み、所有者の魂をそこに束縛するんだ。それが呪具のでき方なんだよ」
「それって、身につけちゃうとどうなるの?」
「魂そのものが篭っているわけだから、呪具の魂の記憶を見たり、突然気分が悪くなったり、ふとその魂に操られてしまったりするよ。ただ操られるだけだったらいいんだけど、呪具によっては悪化すると手におえなくなる事もあるんだよね。最悪、その後死に至ったりもするし……まぁ、そういうケースは本当に稀で、精神力の強さによって解消できるから、あまり気にすることではないね。他に面倒なことと言えば、呪いの魔具は、一度使用したら魔具依存症になってしまうか、一度身につけてしまったら外れなくなるか、必ずどちらかの症状が現れるんだ。それさえ無ければ呪いの魔具も便利なんだけどね。効力自体は大きいし、大きな魔力を持っているわけだから、使用者はほぼ無限に魔力を引き出すことができるし」
 レイセリーティアは背中に嫌な汗を掻いていた。口腔に渇きを覚えていた。それでも、表情は崩さない。
「もし身につけたり、使用してしまったりしたら、どうすればいいの?」
「うーんと、対処法の一つ目は破壊。魔具依存症の場合、破壊後数日は精神錯乱、下手をしたらそのまま廃人になってしまう可能性もある。呪具を壊す時は辺り一帯が吹き飛ぶような魔法を使わないと壊れないから、身につけて外れない場合だと、盾の魔法を最大限に活用しても、極部は吹き飛ぶね。そして二つ目は――」
 発狂しそうだった。言葉の意味を噛み砕く事が人並みにすらできず、依存症とか一生はずれないとか精神錯乱とか廃人とか破壊するとか極部が吹き飛ぶとか、都合の悪い単語だけが頭の中を駆け巡る。
 そんなことを考えてはいけない。耳を塞ぎ目を瞑り、すべての情報をシャットアウトする。
 アルフはレイセリーティアの変化気づき、彼女の顔を覗き込む。
「レイティア、大丈夫かい?」
 レイセリーティアの顔は真っ青だった。声をかけても、彼女は反応しない。
「レイティア」
「………………」冷静に冷静に
「レイティア?」
「………………っ」落ち着いて落ち着いて
「顔が真っ青だよ、ねえ、レイティア?」
「………………ぁ」真っ青で真っ青で……
「レイティア?」
「………………ぃ」………………
「レイティ」
「嫌ああああぁぁぁぁっっっっ!」
 これ以上耐えかねず、勢い良く発狂した。
「死にたくない死にたくない死にたくないわ助けて助けて助けてアルフほんとどうにかしてよ嫌よほんと絶対嫌よぉぉぉっ!」
「レイティア、落ち着いて」
「ごめんねアルフ、死の指輪をはめてしまった私は操られて精神錯乱状態になって死んじゃうの。……嫌よ! 死にたくない!」
「レイティア」
「まだ私は生まれてから十七年しか経ってないのよ、まだ人生を満喫してないのに謳歌してないのにどうしてこんな目に遭わなくちゃいけないの?」
「レイティア、落ち着いて、深呼吸をして」
 アルフは彼女の肩を優しく掴みながら、ゆっくりと語りかける。彼女は叫ぶのをやめて、ぐったりと肩を落とした。
「えっと……指輪をはめちゃったの?」
 レイセリーティアは無言で頷いた。
「指輪を見せて」
 ボロボロと涙をこぼしながら、彼女は右手を差し出す。彼は彼女の手を取り、きょとんとして、指輪を見つめていた。
 あれ? と、レイセリーティアは一瞬だけ冷静になった。
 これが呪具だとしたら、もっとアルフは慌てふためるはずではないか? 下手をしたら人を死にまで至らしめてしまう魔具なのに、こんなに冷静でいられるものなのだろうか? もしかして、私の早とちりだったりして? そうよね、いくら今日が不幸続きだからって、少し被害妄想になっていたのよね。あはははは、なーんだ、心配して損しちゃっ
「厄介な事になったね」
「嫌ああああぁぁぁぁっっっっ!」
 これ以上耐えかねず、勢い良く発狂した。
 
 アルフは店の外に出ると、まずは空を仰ぎ見た。店の中で見たのと変わらない空で、まだまだ日も落ちそうにない。
 彼は扉にかかっている営業中と書かれた板をひっくり返して閉店の表示にすると、店の中に戻っていった。
 店の中では、憔悴しきったレイセリーティアが虚ろな表情で空を見上げている。
 一時間も騒いでいたのだから、疲れているのは仕方ないだろう。それに、まだ頭の中は混乱しているはずだ。
 アルフが目の前に座っても、レイセリーティアは特に反応を見せなかった。
 彼は、語りかけるように、ゆっくりと話し始める。
「普通の魔具は、大量の魔力を含有していても、完全に安定しているから、使用者に害を全く与えない。けれど、呪具は膨大な魔力を含んでいるのに不安定だから、装備者の体内の魔力をかき乱してしまい、結果、情緒不安定になってしまう。今のレイティアはそんな状態にある」
 こくりと、レイセリーティアは頷いた。
「君はましなほうだよ。今までに一度だけ呪具を装備してしまった人を見たけど、装備してから三日も経ったのに、まだ情緒不安定だったんだ。吐気やめまいも酷かったけど、でも、レイティアは魔力のコントロールが巧いからこれだけで済んだのかも知れないね」
 アルフは域の魔法で、彼女の体内に流れる魔力を調べる。一時間前までは爆発しそうなほど荒れ狂っていた魔力が、今では落ち着きを取り戻していた。
「……そっか、ならちょっと安心したわ。普通だったら、私があんなに取り乱すはずないものね」
 少しずつ冷静になってきて、思考が回り始める。
「私が指輪に惹かれたのも、指輪の魔力のせいだったりもするの?」
「それもあるよ。呪具は人を選ぶからね。でも、半分以上は君の好奇心のせいだと思う」
「……私もそう思う」
 こう言う時ぐらい、嘘をついてくれればいいのに。
 アルフの相変わらずの性格に嘆息しつつ、しかしそのおかげで意識がはっきりとしてきた。
 レイセリーティアは、両手で自分の頬を叩き、気合いを入れなおす。
「この呪具を外すには、どうしたらいいの?」
「前にも話したけど、まずは破壊。指輪だったら指一本切り落として外す方法もあるけど」
「それだけは絶対に嫌」
「それが普通だよね。装着したら外れなくなる系の呪具では、今この方法はほとんど取られない」
「じゃあどうして、さっき一番初めにこれを説明したのよ! そのせいで余計に錯乱したんでしょ!」
「まさか指輪をはめてるとは思わなかったんだよ」
 それもそうだ。ちょっと考えれば解かるような事なのに、すぐに興奮してしまった。レイセリーティアは頭を抑えた。呪具のせいで、まだ混乱しているのかもしれない。
「他の方法は?」
「放置って手もあるけど。難点は外れないだけだから、レイティアだったら魔力を制御できるだろうし、呪具自体は強力だから適度に使えば役に立つし――」
「それも嫌」
 即答である。
「そう? 使いこなせれば思った以上に結構役に立つよ? 今まで歴史に名を連ねてきた人たちは、多くが呪具を身につけていたというぐらいだから」
「本当?」
「うん。この国を統一した初代皇帝ガッザニールは、腕輪の呪具を身につけていたらしい」
「もしかして、『腕を一振りすれば山も海も空すら砕ける』っていう語りは真実で、呪具のおかげだったって事?」
「魔具の学会ではその説が有望だね。肖像画にも腕輪が描かれてるし、都の周りには不自然な平地がいくつもあるし、何より、ガッザニールの遺骨の左腕は無かったというし」
 彼女はギクリとした。
「……死後まで呪われるの?」
「違う違う。死んでしまったら、その人に対する呪具の影響はなくなるよ。だからこそ、死後、他人に奪われないように、死期を悟った彼は自ら腕を切り落とし、呪具を隠したと考えられる」
「それほどまでに、強力な呪具だったってこと?」
「そういうことになるだろうね」
「敵勢力に奪われたら終わりだものね……」
 すぐには現れないかもしれないが、将来、呪具の持つ力を知り、我が物にしようと争う者は絶対に出てくる。そしてもし奪われてしまったら、それが謀反を試みる者だったら、国ごと取られてしまう可能性だってあるのだ。
「他に有名なのと言えば、世界最強の魔女と呼ばれたエキレイかな。彼女の持っていた呪具は、自らの魔力を意思を持った塊にできる能力を持っていたらしい。形状はナイフで、一度使ったら一生魅了されてしまうタイプ。若い頃は使いこなしていたみたいだけど、老いてからは呪具に飲み込まれてしまい、廃人となってこの大陸のどこかで死んだらしい。エキレイは野心家でもあったから、失踪は計画的なものだったのではないかとの説もあるけど、なかなか謎が残る話だね。他には――」
 レイセリーティアは身を乗り出しながら、アルフの話に耳を傾ける。昔からこうやって、彼に歴史や過去の偉人について教えてもらっていた。アルフは何でも知っていて、今も昔も、アルフの話を聞くのは嫌いじゃない。
 が、徐々に違和感を覚え始め、慌てて彼女はアルフを止めた。
「アルフ、話が脱線してる」
 雰囲気的に、このまま呪具をはめててもいいかなーと思い始めていたのだが、よくよく考えたら、聞く限り呪具を身につけていた人々はいずれも屈強な魔術師だけで、それでも最期に飲み込まれてしまう人がいると言うのに、自分が操れるはずはないのである。
「もしかして、私が付けたままでいるように誘導したの?」
「まさか。でもそれが一番楽だけどね。君だったら扱う事ができるだろうし」
「私を買いかぶりすぎよ」
「そうかなぁ。魔術ギルド創設以来、君はSランク取得最年少記録を持ってるし、最近順調に力を上げているから、指折りの魔術師になると思うけど」
「なれたら嬉しいけど、最高ランクの魔術師は数人しかいないのよね。可能性は高くないと思うけど」
「俺が今まで会ったことのあるS+++++の人は二人いるけど、どっちも知識と技術でそのランクを得ているような人たちだったよ。魔力の総量だったら、今のレイティアの方が多いと思うし」
 何度も聞いているつもりだが、やっぱりアルフの誉め言葉は苦手だ。アルフの言葉は本音だし、経験から来るものが多いし、魔力を扱う事に関してはエキスパートだし。
 アルフの言葉を聞いてると自惚れてしまいそうになるから困る。
 と、また話が脱線している事に気付いて、慌てて話を戻した。
「アルフ、早く外す方法を教えて」
 今度こそ話を脱線させないよう、眼鏡のレンズ越しに、彼の瞳を覗き込む。
 彼は観念したように、期せず吹き抜けになってしまった屋根から、空を見上げた。
「しばらくは、この屋根もこのままか……。幸い、今は雨季じゃないから、応急処置で何とかなるかな?」
 独白のように呟いてから、アルフは、レイセリーティアに告げた。
「レイティア、一緒に旅に出るよ」
 状況が飲み込めていない彼女を差し置いて、唐突に、重大な何かが決定された。


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