18

 ガタガタと体が揺れていた。
 どうやら眠ってしまったらしい。彼女は目を覚ますと、静かに体を起こした。
 理不尽な体の揺れと、やけにうるさい蹄の音。煩わしい事だらけなのに、無駄に装飾を施した部屋。どうせそんなことしないのに、逃げられないように外から錠が施された扉。
 そう、思い出した。ここは馬車の中だ。
 気付いたらもう他のことに興味は無くなり、じっと動かない。
 寝ている時は楽しいのに、すべてを忘れられるのに、どうして起きてしまったのだろう。
 彼女は死んでしまったかのように動かない。体も頭も心もすべてを凍結させた彼女は、虚空へと視線を合わせる。
 しばらくして体の揺れが止まった。馬車が止まったのだ。扉の鍵が開けられ、シュカは馬車から降りる。
 すると、何の返事も無く、馬車はきた道を戻っていった。小さくなっていくその姿に、何の憤りも感じなかった。
 彼女はこれからの、きっと終の家となる建物を見上げる。白が基調の、木で作られた二階建ての建物。きっとここは別荘か何かだったのだろう。
 ここでは声が聞こえない。木の葉が擦れる音をつれてきた風が、シュカの体をも撫ぜる。
 気持ち良いと思った。初めて心が静かになった。このままここで死んでしまうのもよいと思った。
 彼女がしばらく立ちんぼうしていると、家の扉が開いた。
「あなたがシュカさんですね。私はマーサと言います」
 扉から姿を現したのは、二十代半ばの女性。きっと彼女がこれから一緒にここに住む使用人なのだろう。
 シュカがじっとマーサの顔を見つめていると、彼女は不思議そうな表情で音を出した。
「どうしたんですか? 今、家の中の掃除してるんです。手伝ってくださいよ」
 満面の笑顔の彼女から、不思議な事に、声は聞こえなかった。
 シュカは初めてのことに戸惑いを覚えながら、マーサという女性と共に家の中に入る。
「改めてご紹介させていただきます。私の名前はマーサ=エイビス。これからこの家で、あなたのお世話をさせていただきます。マーサとお呼びください」
 別に記憶力が悪いわけではないから、二度も紹介されても困る。シュカが黙っていると、マーサはポケットにしまいこんであった紙を取り出して、勝手に内容を読み始めた。
「えっと、あなたの名前はシュカ=アイーゼでしたよね。歳は十五歳……わー、随分若かったんですね。後二,三歳は歳が行ってると思いましたよ。あ、老けてるとかそう言う訳じゃありませんよ。ただですね、予想と違った事に驚いているだけですからね。……これってやっぱり老けて見えたことになっちゃうんですかね……しまったな」
 なんだか忙しい女性だ。シュカは別にマーサに興味を持たず、寝室を探した。散々寝たけれど、また眠くなってきた。
「シュカ様、眠くなってきたんですか? なら、一緒にお昼寝しましょう!」
 なぜ、と不思議そうにシュカはマーサを見る。
「本当は掃除とかしなくちゃいけないんですけど、私も眠くなっちゃって。……あれ、私変なこと言いました? 私だって人間ですから睡眠欲とかあるんですよ。それに掃除だって今日しなくちゃいけないわけではないですし、あの、別に言い訳じゃなくて、……私も寝ちゃっていいですよね?」
 別に断る理由もないから、小さく頷いておいた。
 マーサの案内で、二階にある寝室へ移動すると、シュカはごろんとベッドに横になる。すると、なぜかマーサも同じベッドに横になる。
「駄目ですか? 私、実は小さい頃からお姉ちゃんという立場に憧れてたんですよ。だから今回、妹ができたみたいで少し嬉しくて。あ、シュカ様じゃ他人行儀っぽいですから、シュカさんって呼んでいいですか? シュカさんは私の事呼び捨てでいいですから。あれ、妹が姉の事を呼び捨てなのに、姉が妹を呼び捨てにしないのはおかしいですかね? それ以前に敬語もおかしいですか? でも、敬語は癖なんで直せないですねぇ」
 マーサはシュカの意見などお構いなしに、次々とまくし立ててゆく。シュカより子供っぽい表情で、とても嬉しそうに。
「シュカさんいいなぁ、私、小さい頃から金色の髪に憧れてたんですよ。ほら、私の髪は黒いでしょう。嫌いって訳じゃなかったんですが、でもブロンドの髪を見るたびに憧れが募っちゃって」
 マーサの黒い髪も、十分綺麗だと思うのだけれど。
 それにしても、本当に眠たくなってきた。早く寝かせてくれないだろうかと思ったら、いつの間にか、マーサが寝息を立てていた。
 シュカはあきれたように、マーサに布団をかけてあげた。それからじっと、マーサの顔を覗き込み、そっと、手を添えてみた。
 声の聞こえない不思議な人。音は嫌というほど聞いたのに、声が聞こえない。
 それでも手の平からマーサの体温が伝わってきて、シュカはそのまま眠りについた。



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