「アルクが先に崖を越えた」 レイセリーティアの元に、テーセを経由して情報が入る。 残念ながら、テーセの域の魔法ではいまいち何が起きたのかを把握できなかった。 アルフが一段低い場所を流れている川に降り立って、そこからジャスナを追い上げて、ジャスナがアルフの進路妨害して、そこでアルフは何かを使いその邪魔な物を取り払って、なぜかアルフは数メートルの高さをジャンプし、見事川から這い出して、崖を登ったとのこと。 これがテーセからの情報。所々曖昧で、何が起こったのかイメージしにくい。 邪魔な物を取り払う時に使ったものは魔導銃だとして、川からまた上に戻った時はどんな策を使ったのかが解らない。三メートルはあったと言うし、まさか何もせずに飛び越えたということはあるまい。 アルフだったら、彼女が理解するまで事細かに説明できるのだろう。まさに千里眼のごとく、何でも解ってしまうのだ。 あやふやな情報だがしかし、アルフがリードしているということは確か。テーセが嘘をつく必要もないし、一先ず安心だ。第三ステージは木々が少ないほぼ直線のコースで、よほどのことがない限り、どちらが先に崖を登ったかが勝敗に直結すると言う。 アルフに限って変なミスを起こすとは思わないから、ほぼアルフの勝利が確定。本当なら小躍りしたいぐらい嬉しいのだが、周りがそんな雰囲気ではなかった。 アルフリードの情報が入るなり、センスの悪い山賊団のムードが突然険悪になった。 列前方にいた通称問題児は、情報が入るまでは和気藹藹と団全体を盛り上げていたのだが、その一報が入った瞬間に押し黙り、一言も喋ろうとしない。ムードメーカーが黙ってしまうものだから、他の団員もムードを盛り上げるに盛り上げられず、段々テンションは下降して行く。仕舞いにはテーセに八つ当たりする者も出てくるほどで、間違って『センスが悪い』と口走ろうものなら殺されてしまう。 今喋っているのは、テーセとその前を歩いている山賊団の二,三人程度である。話題は雑談だが、トーン、テンション、共に低い。 かく言うレイセリーティアも、実は小躍りをしているような状態ではなかった。 いつもならアルフの勝利を喜び、顰蹙を買おうともアルフの凄さを山賊団に伝えていただろう。だが今は、体がそれを一切受け付けようとしない。 顔には出さず態度にも出さず、歯を食いしばり平常を装ってきたが、そろそろ限界が近づいていた。 体中を駆け抜ける寒気。頭に木槌を打ち付けられたような激しい痛み。視界は揺れ、たまにシディにしがみついて耐えることもある。腕を血が出るほどに握り締め、痛覚によって意識を呼び戻しているのが現状だ。 魔力が乱れていた。これまでに体験した事がない乱れ方だった。 激流のように押し寄せてくる魔力の渦を、必死に食い止め抑えようと努力しているが、気分の悪さは一向に収まる色を見せない。 シディが心配そうな目つきでこちらを見る。周りに気づかれていなくても、愛馬には気付かれてしまったようだ。 大丈夫、とシディ首筋を撫でて返事する。 アルフが頑張っているんだ。自分が頑張らないわけにはいかない。 そんなレイセリーティアの決意も虚しく、徐々に状態は悪化していく。喉の渇き、眩暈吐気耳鳴りと、少しずつ彼女の体力は蝕まれてゆく。 (どうしてシンクロしたときは、全く苦しくないのかしら) 朦朧とする意識の中、彼女は考えていた。 夜のシンクロ。自分がどういう行動を取っているのかは覚えてないが、シンクロ時は大量の魔力が体の中に流れ込んでいるらしい。しかし、大量の魔力を取り込んでもこれほどに苦しかったことはなく、朝起きたとき恥かしいだけで、気分は爽快だった。 (そして山の中でのシンクロのときも、苦しくなかった) それは唐突に起きたシンクロで、急に魔力が流れ込んできて驚いたけれど、気分は悪くなかった。シンクロ後に気分が悪くなったが、それはいきなり大量の魔力の干渉が消失したせいであり、呪具そのものが原因ではない。 ――呪具が見た夢を、私は覚えていない。いくら頑張っても、頭の片鱗にすら記憶のかけらが残らない。 私は知っている。呪具の夢は覚えにくいものだからとアルフに聞いたときから、それを言い訳して逃げていた自分が居ることを。 死地を特定し、呪具を外す。その為に、努力しているのは本当だ。夢を覚えようと思っているのも本当だ。一生懸命な自分がいる。ひたすら頑張っている自分がいる。 それでも、接触を拒みたくなるほど、夢は、凄惨だから。 夢を記憶してしまったら、自分が壊れてしまうのではないかと疑うほど、その夢は狂気に満ちていたから。 今まで想像すらしなかった出来事。想像しても、実はこんなこと起こっていなくて、私の妄想の中でのことだと思っていた。少なくとも、自分の周りではそんな事起こっていなくて、無関係で、別世界のことだったのだ。 そんな甘い幻想が、ことごとく打ち砕かれてしまいそうだから。誘惑が、解することを塞き止めるから。 ――それでも。 知らなければいけない。見なければいけない。少なくとも自分は、目を反らしてはいけない。 夜シンクロしたとき、決して自分は拒んでいなかった。苦痛から解き放たれることを望んでいた。 森の中でシンクロしたとき、私は拒む暇がなかった。呪具の訴えに、耳を傾けようとしていた。 ならば、どうして今は呪具とシンクロできないのか。 答えは簡単だ。私が、シンクロを拒否しているから。得体の知れないものが流れ込んでくるのを必死で押し返そうとしているから。呪具から溢れる「彼女」の気持ちを、無に返そうとしているから。無理に押し留められた魔力は乱れ濁り逆流し、体を犯し自らの首をしめることになる。 呪具を忌避し、畏怖し、そこから逃避して、その上で問題を解決しようなんて虫の良すぎる話。 レイセリーティアは右手を持ち上げる。指輪は語りかけてくる。 無意識に彼女は微笑み、口から言葉が漏れた。 「私はもう、あなたを、シュカを拒絶しない」 瞬間、堰を切ったように魔力が流れ込んでくる。今までの荒れ狂った魔力とは違う、美しい清流のような魔力。これがシンクロなのだ。穏やかで暖かい、一つになる為の儀式。 何度か体感していたけれど、実感したのはこれが初めて。目を閉じて、その流れに身をゆだねる。 そうか、呪具の魂の名前はシュカだったのか。何度も夢の中に出てきた少女の名。本来ならとっくに知っていなくてはならなかった、彼女の名前。 体の気分が良くなっていく。シュカと一つになった事で、魔力の乱れがなくなった。 そして、頭の中に『声』が飛び込んできた。 隣にいるテーセの声も聞こえてくる。前を歩いている山賊たちの声も聞こえてくる。遠くのアルフとジャスナの声も、微々たる物だが聞こえてくる。 これが伝の能力。相手の思っていることを把握できる魔法。切れ切れとしか声が聞こえてこないので、完璧に使いこなせている訳ではないのだろうが、初めて味わう感覚に戸惑いの色を隠せない。 シュカはこんな声を、幼い頃からいつも聞いていたのだろうか。今は穏やかな声しか聞こえてこないが、ある時は、聞くに堪えないどす黒い声を、聞き続けてしまったことがあったのだろうか。 伝の魔法は認知されておらず、理解者も居らず、不気味な力を持つ子供だと侮蔑され、その蔑みの声が直に聞こえてしまう。だとしたら、それはなんて残酷な―― 「なんだこいつは!」 隣りからテーセの音が聞こえた。なんだなんだと、山賊たちは振り返る。 「よく解らないが、何かでかいものがお頭達に近づいてるんだ」 テーセはその物体を懸命に捉えようとしているようだ。彼の声が聞こえてくる。ナニカ危ないものが、お頭たちに襲い掛かろうとしている。 パキン、とレイセリーティアの頭の中の何かが割れた。突然感覚が鋭くなり、大音量の声が響いてきた。けたたましい声に耳を塞いだが、その行為自体は何の意味もなさない。 一際大きな声があった。それは山賊団やアルフの声を圧倒し、やがてその声しか聞こえなくなった。思わず逃げ出したくなるほどの、悲哀と激怒と渇望と絶望と切望と、すべての負の感情を孕んだ心を穿つような声。 数日前、森の中で聞いた声と同じ声。いや、それよりも激しい慟哭。 これが、胸騒ぎの原因。シュカが伝えたかった叫び。 体中から冷や汗が噴き出していた。歯がガチガチと震えていた。魔力が乱れているからじゃない。頭に直接叩き込まれた心の奥底から来る純粋な痛哭に、思考が倒錯しそうになる。 キモチワルイ。 体が拒否反応を起こしていた。今まで知らなかった、きっとこれからも知ることがなかったはずの感情の渦に、自我が壊されそうになる。 しかし、レイセリーティアは逃げなかった。ここで逃げたら、結局以前の自分と同じだから。前に進まなければ、 タスケテという声が、次々と心に突き刺さってゆく。シュカが教えてくれている、この森に、救われないものがいると、救われたいものがいると。 センスの悪い山賊たちは、テーセにしきりに質問を繰り返していた。テーセの様子から、何か良くないことが起こっていることは想像できたのだが、それ以外の情報がなかなか出てこない。 ふと、山賊団の一人が気付いた。さっきからレイセリーティアの様子がおかしい。 「レイセ、どうした?」 彼女は耳に手をあて、俯いている。心なしか体が震え、顔色も悪い。 「―――せて」 彼女は低い音で呟いた。 「なんだって?」 「すぐに私をアルフのところに行かせて」 「それは駄目だ。それはルール違反だからな」 山賊の一人から、音が聞こえた。 「レイセに危害を加えないのは俺らのルールに従っているからだ」 山賊が、何か喚いている。 「もしもルールが破ることがあるのなら、喩えレイセでも俺らは容赦しねえよ。不本意だがな」 山賊たちが次々に話し掛けてくる。とても、とても五月蝿い。 「安心しろ。何か起きて心配する気持ちはわかるが、お頭がいる限り大丈夫だぜ」 何故、私はこいつらに束縛されなければいけないのだ? 「ペースは上げるけどよ、我慢しろな」 そうか、彼らはきっと、私に用意された試練なのだ。私の決意を鈍らせる為に用意された障害物なのだ。これを突破することで、本当の成長が得られるのだ。 レイセリーティアは、静かに、面を上げた。 「私はアルフのところに行くの。殺されたくなくば、そこをどきなさい」 まだあどけなさの残る彼女から発される、絶対零度の威圧。山賊団は一瞬にして凍りつき、絶句した。 神が下賎な物を見下す為に許された威厳が、彼女には存在している。下界にあってはならないはずの絶対的な存在が、目の前に立錐している。 彼女は、もう一度告げた。 「そこを、どきなさい」 この一言は、すべての意味を包括していた。 反論してもこの一言ですべてが覆され、その瞬間、誇りや尊厳、自分に備わる瑣末な物が潰されてしまう。もはや無力でしかないことを教示しているのだ。 山賊団は誰一人として動けない。息をすることすらままならず、体が硬直してしまう。彼女の言うとおり道を開ければ良いものを、しかし彼らが携えてきた小さな誇りがそれを許さなかった。 愚かな一人が、その雰囲気を断ち切るように口を出した。 「おいレイセ、どうしたんだ? 顔色もおかしいし、息も荒いし、少しおかしいんじゃないか?」 いささか震えた、しかし懸命に絞り出されたその声は、威圧の前に潰された。 「そうね、きっと私はおかしいのよ」 おかしくても、成し遂げなければいけない物がある。助けなければいけないものがある。決心した。やり抜くと決めた。信念を貫き通すためなら、邪魔する物を排除するのも厭わない。それが、大切な何かを奪う結果になろうとも。 「それでも、私はやらなければいけないから――もし遂行できなければ、私は私を一生許せないから」 彼女は、酷く冷静だった。その冷静さは、山賊たちを絶望へ導いた。 「私の命令に従う事を拒んだ――そして、この場に居合わせてしまった」 それは、神の鉄槌。 「――あなたたち自身を、恨みなさい?」 ディン山脈を揺るがすほどの衝撃が、地を駆け抜けた。 |
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