10

 レイセリーティアが目を覚ますとすでにあたりは暗くなっており、先ほど暴走したあの赤い魔具が、炎を上げて煌々と辺りを照らしていた。シディとドーゼルは、炎の向こうで互いに身を寄せ合うようにして眠っている。
 気分は悪くない。すこぶる快調である。魚の焼けたいい匂いがすると思いながら顔を上げると、そこにはお決まりのごとくアルフの顔があった。
「おはよう」
「……おはよう」
 さっき自分が寝ていた場所とは違うから、やっぱり、そういうことなのだろう。
 もう慣れても良いような気もするが、慣れたら慣れたで大切な物を失ってしまう気がする。終わらない葛藤の中、レイセリーティアはアルフから少し離れて座り直した。
「私どれぐらい寝てた?」
「三時間ぐらいかな? 気分はどう?」
「もう大丈夫。寝たら気分良くなったわ」
 それでも、心配そうな表情のアルフ。レイセリーティアは笑顔で応えた。
「平気よ。元気すぎてお腹すいちゃったぐらいだもの」
 本当はここに到着した時点でお腹がすいていたのだ。そこからさらに三時間も経っているから尚更である。
 アルフは心配そうな表情を貼り付けながらも、レイセリーティアに魚を差し出した。
「もう焼けてると思うから、良かったら食べて」
「アルフが釣ったの?」
「うん」
 炎の周りに並べてある串に刺さった魚から、香ばしいにおいがやってくる。彼女が寝ている間にアルフが釣り上げた物だろう。レイセリーティアは一本頂戴すると、口を大きく開けてかぶりついた。塩加減が絶妙でとても美味しい。
「釣りも、域の能力があると楽なの?」
「そうだね。魚のいる場所が解るってのは便利だよ」
 彼女は釣りをしたことがないから解らないが、そんなものなのだろうと納得する。
「雷の魔法が使えたら、大量に獲れるわね」
「それは危険だよ。生態系壊しちゃうかもしれないし、その前に、自分が感電しちゃう可能性のほうが高いよ」
「平気よ、へいき」
「本当に危ないよ。湖が近くに有る町では、自らの魔法で感電死する人が毎年居るぐらいなんだから」
「さすがに死ぬのは嫌ね……」
 自爆なんて、格好悪いにも程が有る。
「そうね、魚は諦めるけど、でも、雷属性を習得してみたいのは本心なのよ」
「そっか、レイティアの属性は火だから、雷属性が使える可能性はあるんだね」
 人間は自然属性、火土水風雷の中の一つを自分の属性として保有している。
 属性によって外見や内面が変わるわけではないし、先にあげた属性の強弱が人間関係に影響することはない。しかし、個人の属性によって、その人間が使える魔法が決まってくるのだ。
 使用できる自然魔法は、自分の属性とその両隣の属性、と言われている。
 円を描き火属性を一番上に配置して、その右側に土、以下右回りに水、風、雷の順に配置した属性の相関図を利用するとわかりやすい。
 レイセリーティアを例に挙げると、彼女の属性は火なので、自分の属性である火属性の魔法と、相関図で見たときに火の両隣に位置する土と雷の属性を行使することができるのだ。
 ただし、火属性の者が火属性の魔法を使えるのは当たり前だが、両隣の属性を使うにはそれなりの才能や訓練が必要になる。
 特に自分の属性の左回りの属性――レイセリーティアの場合雷属性は、習得できるかは先天的なものも大きい。いくら訓練しても習得できないこともあれば、小さいころから三つの属性を使える場合もあり、真相究明は研究者の課題である。
「アルフの属性は土よね」
「うん。たまに忘れそうになるけどね」
 世の中には、アルフのように付与魔法や特殊魔法しか使えない珍しい人間もいる。しかし、かならず属性は決定されていて、彼の場合は土である。
 同じ域の能力でも、属性が違うと少し違う性質を持つようになる。
 火属性だったら熱の流れを追い、土だったら地面の音を聞き、水だったら空間の波紋を読み、風だったら空気の動きを掴み、雷だったら微弱な電気の流れを感じ取ったりと、最終的な役割が同じでも、方法が変わってくる。
 ただし、アルフの場合はもう少し特殊で、すべてのものに流れていると言う魔力の動きを把握しているのだと言う。真面目に域の魔法を使えば、相手の魔力の総量などはいとも簡単に知ることができるのだ。
 人との相性には、眉唾物ではあるが属性も関係していると言う報告もある。基本的に同じ属性、又は隣り合っている属性だと上手く行くと言われており、実際、恋人や親友、夫婦などはそのパターンが多く見受けられる。ただし、アルフ土属性トーヤ風属性の例もあるので、もちろん一概に言えるものではない。
(一応、私とアルフの相性はいいのよね)
 さらに詳しく言うと、恋人夫婦の理想としては、女性の属性に対して、男性が右回りの属性だと良いといわれている。
(別にそれだけで他意はないわよ)
 と、誰かに向かって必死に言い訳しておく。
 何となく気まずくなってアルフを見たら、同じタイミングでアルフもこちらを見るものだから、余計に(一方的に)気まずくなってしまった。
「レイティアの両親は水属性なんだよね」
「そうよ。なのに私が火属性だから、浮気したんじゃないかって喧嘩になったみたいなの。でも、お母様は病気がちだったからありえないし、結局、母方のおじい様が火属性の人だったから、あっさり一件落着になったんだけど」
 属性は遺伝である。水属性と水属性からは水属性しか生まれず、火属性が生まれることはまずありえない。しかし祖父に火属性を持つものがいる場合、隔世遺伝で生まれる事があるのだ。属性を決める遺伝は、母親の影響を大きく受けると言うからありえない話ではない。
「本気で習得してみようかしら」
「雷の属性を?」
「そう。もし習得できれば、総合ランクも上がるかと思って。最近ちょっと頭打ちなのよね」
「四つの属性を身につけられれば、審査に有利になることは間違いないけどね。今のランク付け方式だと、四つの属性が使えれば総合ランクA+++++は確定だったと思うし」
「属性ランクがいくらでも?」
「うん、確かね。四つの属性習得はそれだけ難しいって事だよ」
「うーん、私ならやれると思うんだけど……」
「ねえ、レイティア」
 アルフが珍しく、意地悪そうな顔になる。
「力は求めないんじゃなかったの?」
「力を過信するのは止めるって決めたのよ! これは向上心、それとは違うわ!」
「知ってるよ」一転、アルフは優しい表情で「知ってる」
 レイセリーティアは憤然とした表情をため息一つで解いて、頭をアルフの肩に預けた。
「……いじわる」
「……ごめん」
 母を失って、友を失って、ようやく知った、力がすべてだと思っていたことの愚かさ。もう二度と繰り返さないと、心から誓った。過去の自分を見つめて、糧にしていくと決めた。
 それでもたまに擡げてくる慢心を、アルフの優しさが解いてくれる。彼の雰囲気が、言葉が、表情が、力がすべてではないと教えてくれる。
 レイセリーティアはそのままの体勢で、燃え上がる炎を見つめながら、ぼんやり考えていた。
 今回の夢は、また少し違う印象があった。やっぱり内容は覚えていないのだけれど、悲しくも嬉しくも辛くも楽しくもなかった。なんの感情も湧き出てこなかった。いつもなら、怒涛の感情の渦に飲み込まれそうになるのに――
「ところで、さっきの君の魔力暴走……指輪の事だけどさ」アルフが言った。「いろいろ考えてみたんだけど、あれは一種のシンクロだと思うんだよね」
「あれもシンクロ? でもシンクロって、条件が満たないとならないんじゃないの」
「条件を満たすと言うことは、呪具の魔力と君の魔力が同調すること。君が呪具に合わせた場合じゃなくても、呪具が君に合わせる場合もシンクロするんだよ」
「そんなことがあるの?」
「ごくたまにだけどね。やっぱり詳しいことは解ってないけど……一つだけ解ってることは、呪具の魂の感情が高ぶり、それを装備者に共有して欲しいと思った時にシンクロする。つまり、君が外から何らかのアクションを貰った時、君はそれを何を思わなかったり気づかなかったりしたのに、呪具の魂だけが過剰な反応を見せると、呪具が君にシンクロとして干渉を持ち、感情を共有しようとするんだよ」
「……操られたわけじゃないのよね」
「うん、操られたわけじゃないよ」
 それさえ解れば冷静を保っていられる。レイセリーティアは心を落ち着かせて、アルフの言葉に耳を傾ける。
「それでね、その指輪は、伝の魔法が使えるんじゃないかって思うんだ」
「呪具がってこと?」
「そう。呪具の魂が」
 伝とは特殊魔法の一つ。アルフの使える域と並ぶ稀少属性である。
 相手の思っていることを把握することができたり、相手の言動の虚偽を知ることができたり、自分の思っていることを相手に伝えられたり。人によって能力は少しずつ違うが、呪具の使える伝の能力は、特に相手の思っていることを把握できる能力に長けていると考えられる。
「さっき、音が聞こえずに声が聞こえてきたって言ったでしょ。それは、伝の魔法を使う人の特徴なんだ。相手の思っていることが、口から出てきた音じゃなくて、心から出ている声として聞こえるんだって。耳で聞き取るのではなくて、心で聞き取るものだって」
 そう、あのタスケテという声は、耳ではなく心に直接響いてきた。音ではなく、声。
「それに、今まで君がシンクロしたときは域の魔法を使って、魔力の流れを調べてきたけど、伝の魔法を使用する人の魔力の流れに近かったんだよ。今までは弱かったから確証が持てなかったけど、今回のは顕著に表れてた」
「伝の魔法……」
 相手の心の情報を得る力。域の魔法が外側の情報を得る力だとすれば、伝の魔法は内側の情報を得る力である。
「伝の属性って、認知されてから、まだ百年ぐらいなのよね」
「そうだね。まだまだ研究途中の魔法だよ」
 伝の魔法は昔からあったといわれているが、伝の属性が魔法として認知されたのはつい百年前。自然魔法や付与魔法は太古から知られていたが、特殊魔法の域の魔法や伝の魔法は、最近になって認知された魔法だ。
 二つの属性は、使用者以外に解らないものを理解する能力であったため、さらにその属性を使う人間が少数だったこともあり、そのような魔法があることを大衆が認識できなかったのだ。
 域は約二百年前、伝は約百年前に属性の一つとして認識され、ライセンスに記されるようになった。
 認知される以前は、アルフのように域だけを習得していたり、伝だけを習得していたりした人は、知れずと差別されていたのだと言う。域や伝の属性以外にも自然属性の魔法を使える人がほとんどだった為に、ことさら稀少属性だけを習得していた、つまり魔法を使えないと思われていた人間は、ゴミにも劣ると言う風習があったらしい。
 今は魔法を使えない人間はいないと言われている。もし現在、魔法が使えない人がいるとすれば、新種の属性を扱える可能性が高く重宝されるだろう。
 レイセリーティアは呪具を見つめていた。指輪は炎に照らされて、ゆらゆらと光を放っている。
 もし呪具の魂が伝の魔法しか使えない者だったら。または強い伝の魔法が使えたとしたら。 
 指輪は、伝が認知されていない時代、百年以上前の物。伝を図らずとも使用できてしまった指輪の魂がどんな経験をしたのか。未知の物を扱えてしまった彼女は、周りからどんな目で見られてきたのか。そして、彼女を忌避する声が直接響いてきて、心に刻まれてしまったのではないか。それが夢に現れているのではないか。
 確証は無いけれど、それは間違っていないと思った。
 先ほどのシンクロと思われる状態の時に、響いてきた声を聞き心に生まれた震えは、夢の中で体感した戦慄と同じものだったから。
 そこまで解っているのに、結局何も解っていなかった。
 想像しても、ことごとく現実味が無いのだ。それは私に苦しみを与えているけれど、呪具は別のものだから、自分と関係ないもの、とどのつまり、他人事なのだ。
 しかし、もっと呪具のことを知りたいという気持ちも有る。夢の内容も思い出したいし、あわよくばシンクロだって会得してみたい。それらが最終的に外すための手がかりになろうとも、理解したいと言う強い気持はある。
 それでも、何も呪具のことがわからない。それはやはり、何かが足りないのだろうか。
 いや、それともただ単に――。
「ねえ、アルフ」
 訊ねようとしてとして、止めた。
 もし、呪具が彼女にシンクロとして干渉し、感情を共有しようとしたのなら。その為に『タスケテ』と言う声を聞かせたのだとしたら、いったい呪具の魂は、レイセリーティアに何を求め伝えようとしていたのだろうか。
 それすら、自分は解らないのだ。
「レイティア、魚冷めちゃうよ」
「ええ……」
 魚を食べると、内臓の部分を噛み千切ってしまい、口の中に苦味が広がった。



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